ちょうとく2年(996)、紫式部(まひろ)の父・ふじわらの為時ためときは、国司の任にくため越前(現在の福井県)におもむき、紫式部も父に伴って都を離れました。出発は夏。陰陽道おんみょうどうがらから、6月5日のこととされています。おそらく紫式部にとって初めての長旅だったでしょう。

当時、京の都(平安京)から越前国府までは7日ほどかかりました。(下図)

 

初日は近江おうみ国の大津で宿泊。翌朝からは、舟で琵琶湖びわこ西岸を北上します。途中のさき(現在の滋賀県高島市・白髭しらひげ神社付近)で紫式部のんだ和歌がのこっています。

三尾の海に 網引く民の 手間もなく 立ち居につけて 都恋しも

近江のうみの三尾が崎で網を引く漁民たちは、手を休める暇もなく立ったり座ったり。それを見るにつけても、私は都が恋しくてならない。

(『紫式部集』20番)

海(湖)のない平安京を故郷とする紫式部には、琵琶湖での漁の風景は新鮮だったでしょう。にもかかわらず彼女の心を占めているのは、むしろ郷愁でした。

ところが、センチメンタルな思いにひたってなどいられない事態が発生しました。湖上での夕立ゆうだち、そして嵐です。この季節、琵琶湖には積乱雲が発生し、急な雷雨や強風に見舞われることがあります。

かきくもり 夕立つ波の 荒ければ 浮きたる舟ぞ しづ心なき

空が一転かき曇り、夕立が降ってきた。波も荒くて、湖面に浮いた舟は安心できない。

(『紫式部集』22番)

この和歌は、ドラマではまひろが越前国府に到着してから書きつけていましたが、実際は湖上で詠んでいます。

この夕立によって、紫式部は都での過去から引き離され、旅という現在に目を見開かされました。人々の暮らしも独特の天候も、眼前のものすべてが貴重な体験だということに気が付いたのです。

ちなみに、この和歌の「浮きたる舟」という言葉が、やがて『源氏物語』宇治十帖「うきふね」の巻の着想につながったとの説があります。

この巻で、『源氏物語』最後のヒロイン(浮舟)は密通のため、小舟で宇治川を渡ります。

滔滔とうとうたる宇治川を小舟で渡る不安。恋人でない男性(におうみや)に身と心をゆだね、恋人(薫)へ不義を働く怖さ。琵琶湖上での「浮きたる舟」体験の不安と恐怖が紫式部の心に潜伏して、長年を経て物語へと結実したのでしょうか。


琵琶湖北端の塩津で下船すると、そこからはけわしい山道を辿たどり、峠を越えて越前に入国しました。国司館は現在のJRたけ駅付近(越前市)にあったことが、発掘調査により明らかになっています。

越前は、紫式部の父・為時にとっても新天地でした。そうの商人が数十人の部下を引き連れて越前のつるに滞在中で、漢学者・為時にはまさに語学力の振るいどころです。

中国大陸では、玄宗げんそう皇帝やよう貴妃きひなどで知られるとうが907年に滅び、混乱状態を経て960年に宋が建国されていました。

世襲貴族が権力を握った唐と違い、宋ではかん登用試験であるきょの制度が重視されました。門閥もんばつ貴族でない者、経済人、儒学者などさまざまな出自階級の者が抜擢ばってきされて、皇帝を支える国の形を作りつつあったのです。

日本の朝廷は宋と正式な国交を結びませんでしたが、ざいを中心にした私貿易は盛んに行われました。香や陶器、毛皮などの舶来品は「唐物からもの」と呼ばれて朝廷にも献上され、貴族たちにも大人気でした。そんななかで宋の商人たちが越前や若狭にも来着し、ときには長く滞在しました。

為時は、商人のリーダー・きょうしょうと詩を交わしました。その交流はのちに宋の正史『宋史』にも記されました。詩は現在2首が伝えられており、その1首で為時は羌世昌に語りかけています。

【白文】 言語雖殊藻思同

【書き下し文】 げんことなりといえどそうは同じ

【大意】羌世昌殿、あなたと私は言語こそちがえ詩心は同じだ。

(「重ねて寄す」『本朝麗藻』下)

国と言葉は違っていても、詩を通じて理解し合えることを実感したというのです。また、為時は詩の締めくくりには次のように詠みました。

【白文】 嬰児生長母兄老 両地何時意緒通

【書き下し文】 えい生長して、けいも老いぬらむ 両地いずれの時にかこころかよはさむ

【大意】あなたの故郷では、赤ん坊だったお子さんは成長し、ご家族は年をとっているでしょう。宋と日本の2国は、いつになったら心を通わせることができるのでしょうか。

(同上)

故郷を長く離れている羌世昌の心を思いやり、その家族に思いをせるとともに、2つの国が自由に行き来できるようになる日を願う——。為時が人として優しいだけでなく、官人として広い見識と視野を発揮したことが、よくあらわれています。

紫式部と藤原為時。都での人間関係や官僚社会を離れ、越前の地に来たことで、どちらも “新しい自分”を発見したようです。

 

引用本文:『紫式部集』(新潮社 新潮日本古典集成)

     『本朝麗藻』(勉誠社 本朝麗藻詳注)

 

京都先端科学大学人文学部歴史文化学科教授。平安文学研究者。紫式部とその作品、また時代背景を研究している。1960年、石川県金沢市生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科修了。博士(人間・環境学)。2007年、『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり』でサントリー学芸賞受賞。2015年、『平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む』で古代歴史文化賞受賞。著書は受賞作のほか、『紫式部ひとり語り』(2020年)など多数。近著に『道長ものがたり』(2023年)。