どうも、朝ドラ見るるです。

新潟でトラコ(とも)を待っていた思いがけない再会──それは、喫茶店「ライトハウス」で、第二の人生を歩み始めていた涼子様&たまちゃんコンビでした! これで、かつての女子部メンバーは全員が再登場。そして、涼子様と玉ちゃんの間にあったモヤモヤも解けたみたいで、本当によかった! そう。見るるにはわかる……思っていることは、口に出した方が絶対に、いい!(←直道お兄ちゃんリスペクト。笑)

しかし、華族のお嬢様だった涼子様が、戦後、あんな苦労をしていたなんて思いもしなかったな。「すべての国民を平等に」という新憲法の裏返しなんだろうけど……。でも、改めて考えてみると、華族って一体どんな人たちだったんだろう? 戦後、特権を奪われたって言ってたけど、その特権ってどんなものだったの? 涼子様たちの苦労を理解するために、専門家の先生の解説がほしいぞ〜!

というわけで、今回お話をお聞きしたのは、「虎に翼」の法律考証をされている、明治大学法学部の村上一博教授です!

それでは早速始めていきましょう。教えて、村上先生〜!

華族って一体何者? “高貴なお家柄”の根拠って?

見るる 村上先生、毎度、初歩的な質問ですみません! そもそも「華族」って何者だったんでしょうか?

村上先生 華族とは、ある一時期に存在した日本の貴族的な階級のことです。いつ始まったかというと、1869(明治2)年。江戸幕府が滅んで明治の世に移ったとき、それまで世襲的な封建制度のもとで俸禄を受け取っていた藩主のような高い地位にあった人たちの処遇をどうするかが議論になりました。

明治維新によって、彼らは無職になってしまったわけですからね。かといって、そのまま放っておいたら反乱の種になりかねない。それは避けたい、ということで、彼らの地位と収入を保証する制度として「華族」という身分が生まれたんです。

見るる なるほど。つまり、いわゆる江戸時代の“お殿様”みたいな人たちが、華族になったんですね。確かに、反乱なんて起こされたら大変ですもんね。新しい政府のやり方に従ってもらうからには、何かフォローをしないと!ってことでしょうか。

村上先生 まあ、そうですね。そこで1876(明治9)年に発行されたのが、「きんろくこうさい」。ごくごく簡単にいうと、政府からお金を支給することにしたんです。しかも30年間にわたる、いわば分割払いのような形でした。

見るる ふむふむ。まあ、お金さえあれば、それを元手に商売や事業を始めることもできますし。とはいえ、きっと額も小さくはなかったんでしょうねえ……(遠い目)。

村上先生 現在とは貨幣価値が大きく異なりますので、数字を出して説明するのはちょっと難しいのですが、ドラマで戦前に涼子様が住んでいたお屋敷のことを思い浮かべてもらうと、庶民の収入からはかけ離れた大きな額だったことは、なんとなくイメージできるでしょうか。

見るる 確かに立派なお屋敷でした! 家具とかの調度品や涼子様の着ていたものも、とっても豪華でしたもんね〜。

村上先生 1884(明治17)年になると、「華族令」という華族にまつわる法律が制定されます。「公・侯・伯・子・男」という5つの階級の爵位も、このタイミングで決められました。最も身分が高いのが「公爵・侯爵」。江戸時代の徳川の家系や元公家、大きな藩の藩主などに与えられました。「伯爵・子爵・男爵」は、比較的小さな藩の藩主や、明治維新後に功績があった人などに与えられたようです。

見るる えーっと、涼子様のお父様は、「桜川男爵」でした! わわ、それであのレベルなのか……恐るべし、華族。

こんなにあった、驚きの華族の特権!

見るる で、華族の人たちの特権って、その公債だけだったんでしょうか?

村上先生 いいえ、他にもいくつか大きな特権がありました。金禄公債によって一定の収入が保証されただけではなく、1886(明治19)年に公布された「華族世襲財産法」によって、かたく守られてもいました。華族の身分(爵位)は世襲されること、たとえ借金をしても財産が差し押さえられることはないと、法で定められていたんです。

見るる て、手厚い……! 強固なシステムによって経済的に守られていたんですね。

村上先生 それから、華族の男性は、国が華族のために作った華族学校(現在の学習院)に無試験で入学することができ、さらにそのあとは、無試験で帝国大学(現在の東京大学)に入ることができました。教育面でも保証されていたんですね。それに、若いころから有望な人材と人脈ができることは、その後の経済的、政治的な地盤にもつながりました。

見るる 東大に無試験で!? 難関試験をくぐりぬけた実力のある人たちが行く場所なんだと思ってました! 身分だけで入れる人がいたなんてびっくりです。

村上先生 また、華族は、選挙に勝たなくても貴族院議員になることができました。

見るる うん⁉︎ 議員って、選挙で選ばれた人がなるんじゃないんですか?

村上先生 それは「衆議院」ですね。当時は、「貴族院」というのがあって、公爵・侯爵は無条件でその議員になることができたんです。また、伯爵・子爵・男爵は、一般市民は参加しない、彼らの間だけで行う選挙によって選ばれれば、議員になることができました。しかも、それなりの議員報酬も支払われていたようです。

見るる え〜! それはなんというか……ずるすぎます。恐るべし、華族……!(2度目)

村上先生 他にも、誰かから訴えられて裁判になったときに出廷しなくてよいなど、特権がいくつもありました。ただし、爵位は男性にしか世襲されなかったというのは、ドラマでも言っていたとおりです。

見るる あ、そうか。そこでも女性はしっかり差別されていたんですね。それで涼子様も、婿むこ養子をもらわなくちゃいけなかったのでした。

村上先生 とはいえ、華族には華族の苦労もあったようです。収入はあるにしても、やはり出費も大きかったとか。

見るる 立派なお屋敷に住んで、たくさん人を雇って、毎日いいものを食べて、いつもいいものを着て……普通に生活するだけで、お金がかかりそうですもんね〜。ま、贅沢ぜいたくな悩みに思えますけど! でも、涼子様を見ていると、華族だからこその孤独や葛藤もあったのかな……。

戦後の華族たちはどうなった? 女優になって家計を支えたお嬢様も!

見るる それで、戦後、1947(昭和22)年に交付された新憲法によって、その特権はすべてなくなったんですよね?

村上先生 そうですね。ドラマの中でも何度も登場している日本国憲法第十四条「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」──その第二項には「華族その他の貴族の制度は、これを認めない。」と続いています。

つまり、華族という身分はなくなり、特権もなくなりました。結果、彼らは有していた財産の8割〜9割程度を没収されたと言われています。

見るる なかなか厳しいですね。いくらもとがお金持ちとはいえ、生活はガラリと変わらざるを得ないんじゃないですか?

村上先生 ええ。多くの華族が収入を絶たれ、それまで財産を保証してくれていた法律も無効になったわけですから、全くの無一文になってしまった人もいたでしょう。空襲でお屋敷が焼けてしまったというケースもあったでしょうし、生活を支えてくれていた使用人も雇えなくなって……。最初のうちは、慣れない「平民」暮らしに、さぞかし苦労したと思います。

見るる うう、涼子様の苦労が忍ばれるところです〜。

村上先生 中には、傾いた家の財政を支えるために、俳優になった方もいました。有名なところでは、つい先日亡くなった久我くがよしさん。元華族で、超名門の侯爵家の長女でしたが、戦後、傾いた家の財政を助けるために芸能界に入ったそうです。結果、人気女優として活躍されましたが、もし華族制度が続いていれば、全く働く必要がなかったお嬢様だったわけです。

NHKのドラマ「テレビ指定席 失われたもの」(1963年放送)出演の久我美子さん。

見るる なるほど。華族のお嬢様って、そういえば、涼子様も雑誌で特集を組まれていたりして、ちょっと芸能人っぽいところありましたもんね。でも、だからといって仕事として誰もができるものじゃないですよね……。他の人たちはどうしていたんですか?

村上先生 それが実は、華族制度がなくなったあとの元華族が、どうやって戦後を生き延びたのか、具体的な例を記した文献や研究は、ほとんど残っていないんですよ。もちろん、今でもお金持ちで、かつてのお屋敷に住み続けている人たちもいますけど、おそらく多くは、何がしかの方法で平民としての暮らしになじんでいったんじゃないでしょうか。

見るる そうなんですね。涼子様みたいに、ある意味では窮屈な思いをしていた過去を捨てて、前向きに新しい人生を歩んだ人たちもいたのかもしれません。頑張れ、涼子様! じゃなかった、涼子ちゃん! 華族だろうが華族じゃなかろうが、見るるは変わらず応援してますよ〜。ファイト!


次週!

第18週「七人の子はすとも女に心許すな?」7月29日(月)〜8月3日(土)

意味:《七人の子をもうけるほど長年連れ添った妻にも、気を許して大事な秘密を打ち明けてはいけない。女には気を許すなということ。》(小学館「デジタル大辞泉」より)

さあ、気になるのは星航一さんのことです。トラコや優未ちゃんとの距離の縮まり方もさることながら、戦争の話になったときの、何やら意味深な様子が……気になります!

いや、突然泣き出しちゃった杉田弁護士も衝撃的ではあったけど、その杉田弁護士を抱きしめて「ごめんなさい」って言ったの、なんだったんだろう?
彼にいったいどんな過去が……? 「秘密です」ってなんだー!!?
このあたりのことが来週、描かれるのかな? 涙の理由も、気になるぞ!

というわけで、今週の「トラつば」復習はここまで。
来週の先生方の講義も、お楽しみに〜!!

村上一博(むらかみ・かずひろ)
明治大学法学部教授、明治大学史資料センター所長、明治大学図書館長。1956年京都府生まれ。日本近代法史、日本法制史、ジェンダーを専攻分野とする。著書に、『明治離婚裁判史論』『日本近代家族法史論』(ともに法律文化社)など多数。「虎に翼」では法律考証担当として制作に参加している。

取材・文/朝ドラ見るる イラスト/青井亜衣

"朝ドラ"を見るのが日課の覆面ライター、朝ドラ見る子の妹にして、ただいまライター修行中! 20代、いわゆるZ世代。若干(かなり!)オタク気質なところあり。
両親(60&70代・シニア夫婦)と姉(30代・本職ライター)と一緒に、朝ドラを見た感想を話し合うのが好き。