出家したあとも多くの作品を残し、2021(令和3)年に亡くなった瀬戸内寂聴さん。少女のころから親しみ、その作家活動の原点にもなったという『源氏物語』への思いを、寂聴文学の研究者・竹内紀子さんが語ります。
聞き手/高橋篤史
この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2024年6月号(5/17発売)より抜粋して紹介しています。
寂聴文学の原点
――『源氏物語』は主人公の貴公子・光源氏の栄華と苦悩、愛した女性たちとの関わりや、子孫の人生も描かれた物語ですね。『源氏物語』の現代語訳もされた寂聴さんにとって、どのような存在だったのでしょうか。
竹内 よく「『源氏物語』は日本が世界に誇る文化遺産。読まないのはもったいない」と言っていました。寂聴さん自身は、徳島県立徳島高等女学校の1年生、今で言えば中学1年生の入学直後に図書室で与謝野晶子訳の『源氏物語』に出会い、こんなにおもしろい物語があるのかと夢中になったそうです。
本が好きで、子どものころから世界文学全集などを読んでいましたが、紫式部はトルストイやフローベールにも負けないと思ったそうです。『源氏物語』は寂聴さんの人生における文学の原点になったのでしょう。
――寂聴さんにとって『源氏物語』はなくてはならないものだったのですね。
竹内 その後も、谷崎潤一郎訳の『源氏物語』を読んだり、現代語訳に取り組む円地文子さんのご苦労をつぶさに見た経験もありました。
――作者は平安時代に生きた紫式部で、大河ドラマ「光る君へ」の主人公にもなっています。寂聴さんにとっての『源氏物語』の魅力はどこにあったと思いますか。
竹内 光源氏が愛した、個性的で魅力に富んだ女性たちがたくさん登場しますが、それぞれの運命や緻密な心理が描かれているのがいい、と言っていました。
2人の権力者に支えられ花開いた才能
――作者である紫式部のことは、どういう人物と見ていたのでしょうか。
竹内 自我とプライドを持った天才肌の女性と捉えていました。遅くに結婚した父親ほどの年齢の夫は、3年で亡くなっています。当時は一夫多妻で、愛情にあふれた結婚生活が送れたわけでもなく、屈辱も味わっていただろう、と書いています。『源氏物語』が評判になり、時の権力者・藤原道長にスカウトされ、道長の娘・中宮彰子の女房として宮中に入ります。
『源氏物語』が読み上げられ、天皇や彰子、女房たちが聞いている中、紫式部はできるだけ目立たないように片隅に控え、人々の反応を観察していて、それをもとに物語を膨らませたり筋を作り直したりしたのではないかと、寂聴さんは推察しています。こんなところから『源氏物語』は連載小説のようだとも言っていました。
「天皇が“この話はおもしろいね、どんな人がこれを書いたのだろう”と言っても、紫式部はじっと黙って反応しなかっただろう。私だったら、“はいはい、それは私です”って言うけどね(笑)」と言っていました。
当時の帝・一条天皇はとても教養が高く、物語の鑑賞眼もすばらしかったとか。天皇と藤原道長という二人の権力者に支えられ、皆から楽しみにされている自信と誇りが、紫式部が『源氏物語』を書く原動力だったのではないかと寂聴さんは書いています。
※この記事は2024年2月29日放送「瀬戸内寂聴が見た源氏物語の世界」を再構成したものです。
瀬戸内寂聴記念会事務局長・ 竹内紀子さんのお話の続きは月刊誌『ラジオ深夜便』6月号をご覧ください。寂聴さんの紫式部への思いを感じさせる作品「偽紫式部日記」の解説や、『源氏物語』を通じて伝えたかったことなどについてお話しています。
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