別れ、別れ、そして別れ……どうも、今週毎朝泣きっぱなしだった朝ドラ見るるです。戦場に行った直道お兄ちゃん、とどろき、そして優三さん……どうか、無事で帰ってきて! と祈るしかありません。

そして、久保田先輩、中山先輩に続いて結婚し、妊娠したトラコ(とも)も、弁護士の仕事を辞めることに。悲しすぎる展開だけど、トラコのモデルであるぶちよしさんは、実際、この時期どんなふうに働いていたんだろう? そのへん、朝ドラファンとしては気になります!

疑問を解決してくださるのは、この方……弁護士の先生です!
うう……それでは涙を拭いて、今週も参りましょう。教えて、佐賀先生!

時代の最先端を走る女性弁護士 リアルなお仕事状況は?

見るる というわけで佐賀先生、今週もよろしくお願いします! さっそくですが……嘉子さんも、トラコと同じように戦争が激化してきたこの時期に、弁護士の仕事を辞めてしまったのでしょうか?

佐賀先生 実は、そうなんです。1938(昭和13)年に高等試験に合格し、2年後、正式に弁護士になったのですが、弁護士として仕事をしていたのはごくわずかな期間。仕事も少なくて、開店休業状態だったようです。

さらに1941(昭和16)年に第2次世界大戦が始まると、ただでさえ減っていた民事裁判がもっと少なくなって、弁護士の出番はあまりなかったらしいのです。さらに2年後の1943(昭和18)年に嘉子先生はお子さんをご出産されますから、当時は思うように働けていなかったようですよ。

見るる なるほど、ドラマでも言っていたけど、民事裁判自体が減っていたんですね。そこに、出産や育児も重なって、お仕事から離れることになったと……。

佐賀先生 嘉子先生が働いていたのは、ますろうという方の法律事務所でした。事務所の所在地は、なんと、当時最先端の丸ビル(丸の内ビルディング)の中。しっかりした事務所ではあったようですが、やはり時代の影響は大きかったでしょうね。

見るる せっかく女性に法曹の道が開かれたのに、悔しいなあ。ちなみに、嘉子さんと一緒に高等試験に受かった中田正子さん、久米愛さんはどうだったんですか?

佐賀先生 中田先生も、夫の病気の療養と、激化する戦争から逃れるため、夫の実家のある鳥取県へ移り住むことになり、1945(昭和20)年の4月、東京にあった職場の法律事務所を離れておられます。

でも、それ以前には、弁護の依頼を受ける以外に『主婦之友』という雑誌で法律相談の連載記事を担当されるなど、ご活躍だったようですよ。

見るる わ、ドラマの中の久保田先輩と同じ! 鳥取への疎開も同じだし。ドラマの元ネタっぽいエピソードを見つけると、テンションが上がっちゃいます(笑)。『主婦之友』ってことは女性誌ですか? 全国の悩める女性たちから、相談が寄せられる人気コーナーだったんでしょうね!

佐賀先生 そのようです。毎週100通以上の相談の手紙が、中田先生の元に届いていたそうですから。しかも、誌面で紹介するのは毎月1件。それ以外のものには、すべて個別で回答の手紙を書いていたといいますから、すさまじい話です。

見るる 毎週100通⁉︎ しかも個別に回答を⁉︎ そりゃ、久保田先輩の連載を引き継いだトラコも、倒れますわ……。でも、相談を送った方からすればありがたいですよね。

佐賀先生 一方の久米先生も、中田先生と同時期に2人のお子さんを連れて岡山県に疎開されています。それまでは、銀行や大きな会社の法律顧問をしていたありちゅうざぶろうという人が経営する、わりあい大きな法律事務所で働いておられました。

しかも、1941(昭和16)年4月に第一子をご出産され、同年9月には日本の女性で初めて法廷デビューするなど、懸命に家庭とお仕事を両立されていたようです。

見るる 久米さん、女性の法廷デビューのトップランナーだったんですね。カッコいいなあ〜! ところで、どんな事件だったんですか?

佐賀先生 被告人は若い女性。男に捨てられて子どもと無理心中、母親だけが助かって殺人罪に問われたというものでした。やはり、女性の事件は女性に……ということだったのでしょう。

でも、大きな事務所に属してはいても、久米先生に回ってくるのは、基本的に小さな事件ばかり。そのうえ、やめた事務員の後任探しや経費の会計といった雑事も任されていたようで……。

久米先生は、のちに「(女性が弁護士になったというので当時は)新聞や雑誌の記事になりましたが、一人前の弁護士として扱われたかどうかはあやしいものです」「(担当することが多かった相続人排除の形式的な裁判についてふれて)簡単なものですがこんな事件は物珍しい婦人弁護士にはちょうどよかったのかもしれません」(『月刊婦人展望』241号)と、語っておられるくらいです。

見るる うーん。前回、清永さんのコラム(第7回「法律家の女性は“嫁のもらい手がない”なんてホント? 三淵嘉子さんの婚前コメントも発掘!」で三淵さんのコメントを紹介してもらいましたけど、どうにも不本意な気持ちが伝わってきます。まだまだ女性が社会で働くことへのハードルが、いろんな意味で高い時代だったんですね。

佐賀先生 そうですね。ただ、当時の女性弁護士たちの存在自体が、困っている女性たちの希望になっていたのは間違いないと思いますよ。


トラコの上司・雲野六郎ってどんな人? 参考にされた人物を解説!

清永さん さて、ここからは私がお話しさせていただきましょう!

見るる 清永さん、今回も颯爽さっそうとご登場、ありがとうございます! 今日はどんなお話を聞かせていただけるんでしょうか!?(ワクワク)

清永さん トラコが働いているうん法律事務所……その所長であるうんろくろうさんのことが気になっている頃じゃないかと思いましてね。

見るる 実はさっき、佐賀先生にちょこっとお聞きしましたよ。三淵さんが実際に勤めていたのは、仁井田益太郎さんっていう弁護士さんのところだったんでしょう?

清永さん ええ、その通りです。ですから、この塚地武雅さんが演じる雲野六郎弁護士は、ドラマ上の架空の人物。しかし、参考にした人は複数いるのです。

見るる そうなんですか⁉︎ それって一体どんな人だったんですか?

清永さん ひとりは、三淵さんが実際に勤務した事務所の仁井田益太郎。そして、もうひとりが、うんしんきちです。トラコのお父さんが巻き込まれた「共亜事件」のモデルである「帝人事件」で、不当な罪に問われた被告人や、言論弾圧を受けて起訴された人々の弁護をした、人権派の弁護士です。たいへん立派な人物なんですよ。

海野普吉(1885〜1968)。写真は日弁連会長時代のもの(写真/『剣を以て立つ者は剣に滅ぶ─海野普吉生誕一〇一年記念─』より)

見るる うんさんとうんさん。なるほど、漢字は違いますが、発音は同じですね〜。そういえば、ドラマの雲野さんも、初登場は共亜事件の時でした。

清永さん 帝人事件の後、政府にとって不都合な発言をする人物が拘束される流れがどんどん加速していったと、以前にもお話ししましたよね(第5回「直言さんが逮捕された“共亜事件”って創作? 事実? どっちどっち?」)。そんな中で海野弁護士は、戦前から戦後にかけての政治や思想に関わる事件を数々、担当していきます。

主なものだけでも、河合栄治郎事件、津田きち事件、尾崎行雄不敬事件など(長くなってしまうので、ここでは割愛しますが、気になる方はぜひ調べてみてください)。

さらに戦争も末期にもなると、日に日に激しくなる空襲を避けて、弁護士たちもどんどん疎開していきました。一方、拘置所の中の人々は閉じ込められたまま……。そこで海野弁護士は、自身は疎開をせず、自分の食べるものにすら不自由しながらも拘置所を回り、弁護活動を続け、被告人を励ましたのです。

見るる すごい……。それって、簡単にできることじゃないですよね。そんな人がいたんだっていうことを聞くだけでも感動しちゃいます。

清永さん もう少しドラマに引きつけてお話ししますと、戦時中、数十人に及ぶ新聞記者や編集者がでっちあげによって逮捕されるという、大がかりな言論弾圧事件「横浜事件」が発生するのですが──ドラマの中でも、雲野さんが「逮捕された新聞記者や編集者の弁護を引き受けた」という説明がありましたよね。あれは、この事件をイメージしています。

史実では、やはり海野弁護士がこの事件を担当。そして、被告人たちが勾留されている横浜の刑事施設まで、汽車で面会に向かうのですが……途中で空襲に遭ってしまったんです。ところが海野弁護士は、そこであきらめて引き返すんじゃなく、橋の下に逃げ、線路づたいに横浜まで歩いて行ったというんですよ。

見るる 海野弁護士、人権派で、人情派で、さらにガッツもある“信念の人”だったんですね……!

清永さん そうなんです! ちなみに、海野弁護士は戦後、片山哲内閣の組閣の際に、司法大臣への就任を打診されますが、断ったといわれています。戦前や戦中の、政府や軍部の横暴を目の当たりにしていたから、国側に立つことはできなかったのでしょうね。

1948(昭和23)年には日本弁護士会連合会の会長に就任し、一貫して弁護士として活動を続けられました。

見るる なるほど~。すてきな方のご紹介、ありがとうございました!

参考:弁護士海野普吉生誕101年記念の会著『剣を以て立つ者は剣に滅ぶ―海野普吉生誕一〇一年記念―』(非売品)、松岡英夫著『人権擁護六十年 弁護士海野普吉』(中公新書)


次週!

第9週「男は度胸、女はあいきょう?」5月27日(月)〜6月1日(土)

意味:《男には度胸が、女には愛嬌が大切だ、の意。》(小学館『デジタル大辞泉』より)

ついに日本国憲法の登場! 第1話の冒頭に戻る流れ、めちゃくちゃエモい〜!と思ったら待って、次週予告で花江ちゃん、号泣してない⁉︎  お父さんも苦しそう。い、嫌な予感がする。う〜ん、次週が来てほしいような怖いような……心臓ドキドキで放送を待ちましょう……。

というわけで、今週の「トラつば」復習はここまで。
来週の先生方の講義も、お楽しみに〜!!

佐賀千惠美(さが・ちえみ)
1952年熊本県生まれ。1977年司法試験合格。翌年に東京大学法学部を卒業、司法修習生に。1981年東京地方検察庁検事を退官。1986年弁護士登録。これまで、京都府労働委員会会長、京都弁護士会副会長、京都女性の活躍推進協議会座長などを歴任。著書に、『三淵嘉子・中田正子・久米愛 日本初の女性法律家たち』(日本評論社)、『三淵嘉子の生涯〜人生を羽ばたいた“トラママ”』(内外出版社)などがある。
清永聡(きよなが・さとし)
NHK解説委員。1970年生まれ。社会部記者として司法クラブで最高裁判所などを担当。司法クラブキャップ、社会部副部長などを経て現職。著書に、『家庭裁判所物語』『三淵嘉子と家庭裁判所』(ともに日本評論社)など。「虎に翼」では取材担当として制作に参加。
※清永解説委員が出演する「みみより!解説」では、定期的に「虎に翼」にまつわる解説を放送します。番組公式サイトでも記事が読めます。
2024年5月21日放送の『みみより!解説「虎に翼」解説(3)女性弁護士と戦争』はこちらから(NHK公式サイトに移ります)。

取材・文/朝ドラ見るる イラスト/青井亜衣

"朝ドラ"を見るのが日課の覆面ライター、朝ドラ見る子の妹にして、ただいまライター修行中! 20代、いわゆるZ世代。若干(かなり!)オタク気質なところあり。
両親(60&70代・シニア夫婦)と姉(30代・本職ライター)と一緒に、朝ドラを見た感想を話し合うのが好き。