NHK放送博物館の川村です。今回から日本の放送100年の歴史を今に伝える貴重な現存資料にスポットを当てる「放送遺産探訪」、2回目は当館に所蔵されているちょっと変わったものに注目します。名付けて「何だこりゃ?博覧会」。
まずは当館で展示中の「何だこりゃ?」からご紹介します。
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1発目からなかなかの「不思議遺産」が登場です。これ、原始的(?)な「テレビ」なのです。その名も「テレバイザー」、現在のテレビの原理を機械的に実現した装置です。右側の縦長の窓が映像を映し出すモニターです。
左側の小さな穴があいているところがカメラに相当する部分で、中央の丸く出っ張っている部分に回転するする円盤があり、この円盤にあけられた小さな穴を通過した光を、映像として右側に映し出していました。
厳密にいえばテレビというよりは幻灯機(映写機)のようなものでした。何だかよくわからいという方はぜひ当館の展示をご覧ください。
次はこちら。
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これは70年前に開発された「投写型受信機用シュミットレンズ」といいます。まだテレビが普及していない時代、街頭テレビ用に映像を大型スクリーンに映すために開発された大型のレンズです。当時は駅や公園などの広場に持ち出して、プロレスや野球中継など人気のスポーツ中継を公開受信していました。
既に70年前にパブリックビューイングを実現させたパイオニアです。4年前、倉庫に眠っていたこのドラム缶のようなものを見つけて「何じゃこりゃ?」と調べた結果、テレビの黎明期を支えていた縁の下の力持ちだったことがわかりました。
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さて次からは当館の倉庫で眠っている放送遺産をご紹介します。なお「放送遺産」という言葉は川村が勝手に作った造語です。実際にはそのようなカテゴリーがあるわけではないのであしからず。
では最初の「眠れる遺産」はこちらです。
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いよいよなんだか不思議な装置が登場しましたが、これもれっきとした放送機材です。これはテレビ放送が始まったころに使われていた「テレシネ装置」という機材です。テレシネとはフィルムで撮影された映像をテレビ放送用にコマ数を変換することを意味する用語です。
この装置はドイツのAEG社が1930年代に制作したもので、開発者の名前からMechau(※正式な日本語表記がないためここでは収蔵リストにある「メシュウ」と表記します)と名付けられました。もともとはドイツ人技師、エミール・メシュウが無声映画時代に映写機として設計した装置です。
残念ながらNHKの資料の中には実際に使用していたときの画像が残っていませんが、海外のインターネットサイトなどではイギリスのBBCで使用されていたときの画像が紹介されています。
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この画像では16ミリのフィルムをテレビカメラで撮影する本体部分だけが写っていますが、実際に使用されていた時は映写機部分に光源装置などが取りつけられていて、この倍ぐらいの場所をとる巨大な装置でした。先端部には今は破れていますが映像を映し出した小さな四角いスクリーンを確認することができます。
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テレビの黎明期は録画の技術がなかったため番組は生放送かフィルム映画を放映していました。このためテレシネ装置はテレビ放送にとってなくてはならない装置だったのです。
ちなみに当館に収蔵されているものはNHK名古屋放送局でテレビ放送が始まった時代に使用されていたものです。おそらく世界中でも現存している「メシュウ」のテレシネ装置は珍しいのではないかと思います。
最後にご紹介するのはこちら。
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電話機ですかぁ? と思わるかもしれませんね。確かに電話の一種ではありますが、この装置の使用目的は音声通信ではありません。静止画像を送受信するための装置の受信機側、「カラー写真電送受信機」です。
具体的には取材現場で撮影したインスタント写真を電話回線をつないで放送局まで送るためのシステムで、この受信機は放送局側に設置されていました。まだ今のように動画を伝送することができなかった時代、緊急報道はインスタントカメラで撮影して放送に間に合わせていました。
このシステムはビデオカメラが主流になった1980年代中頃まで使用されていました。
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この黒いケースにインスタントカメラの印画紙をセットして、送信機から送られてくるデータを受信、約3分半程度で画像が受信できるようになっていました。
今では写真1枚送るのに3分も、と思いますがこの装置が開発された1970年代前半はまだフィルム全盛時代で現像にかかる時間を考えれば、格段に速報性が高かったのです。ではその送信機はどんなものだったのか、こちらも当館に保存されています。
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何とも怪しいアタッシェケースのような箱の中にこのような伝送機器が収められていました。重量も10kgもあります。なんだか昔のスパイ映画に出てくるようなめちゃくちゃ不審な機材ですが、当時のカメラマンや記者はこの送信機を持ち出して取材現場に出向いていました。
では送信時、電話はどうしたかというと、店舗や事業所あるいは民家にお邪魔して電話線を借りるという、今では考えられないような大胆なことをしていたのです。
ちなみに当時の電話線はいまのようにモジュールジャックで接続するような構造ではなかったので、都度電話線をいったん端子からはずしてこの送信機のケーブルを挟み込んでいました。その部品が次の画像です。
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赤いワニ口クリップが電話線に接続する部品です。一方、撮影したインスタント写真の印画紙はローラーに巻き付けて送信していました。ローラーが回転することでスキャンされた画像が局側にある受信機に送られる仕組みです。
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今では極めて原始的な機材4点をご紹介しましたが、当館にはまだまだ「なんだこりゃ?」というようなお宝が静かに眠っています。いずれも放送100年の歴史を様々な面で支えてきたプレーヤーたちであり、それぞれの時代の最先端技術を今に伝える貴重な遺産の数々なのです。