NHKの前身・東京放送局「愛宕山演奏所」の遺構を探検!の画像
当館で展示中の東京放送局愛宕山演奏所のジオラマ。

NHK放送博物館の川村です。
これまで放送100年の歴史を振り返ってきましたが、今回は趣向を変えて100年前に愛宕山に建てられた社団法人・東京放送局の局舎、「愛宕山演奏所」の名残を探します。

1956年に開館したNHK放送博物館。世界初の放送専門ミュージアムです。

実は先日、放送記念日である3月22日にNHK放送博物館のイベントとして、来館者の方々とともに、昔の放送局の遺構を探すミニツアーを実施しました。今回はその際にご紹介した、今もわずかに残る「放送のふるさと・愛宕山」の姿をご紹介します。


愛宕山演奏所とは

ところで「愛宕山演奏所」とは? というお話からご紹介します。「演奏所」とはあまり聞きなれない言葉だと思いますが、いわゆる「放送局」のことです。この場合の「演奏」とは放送や送信のための映像・音声を送出するという意味で、現在私たちが日常使う楽器などの「演奏」とは別の意味を持っています。

現在も放送に関する法規(電波法関係審査基準)の中では、演奏所について「演奏設備とは、主調整装置、演奏室、演奏装置等とする。」と規定されています。したがって、現在の東京・渋谷のNHK放送センターをはじめ全国各地の放送局(民放局も同じく)も放送を出している施設は「演奏所」ということになります。

ちなみに少々ややこしくなりますが、演奏所にある「演奏室」はスタジオのことで、放送を出す施設としての演奏所とはまた別の意味で「演奏」ということばを使っています。


1966年まで現存していた愛宕山演奏所

さて前段が長くなりましたが、この日本初の放送局「愛宕山演奏所」は現在当館が建っている場所よりも少々北側に建っていました。現在駐車場として利用されている博物館前の広場がちょうど愛宕山演奏所の建っていた場所です。その当時の写真を見ると大体の位置関係がわかります。

愛宕山の上に建つ「愛宕山演奏所」(1936年)。2本の送信塔がシンボル。写真の中央下に、愛宕トンネルが見える。

この写真を見ると愛宕山演奏所の建物はほぼ愛宕トンネルの真上に建っていたことがわかります。現在周辺は高層ビルが立ち並び大きく景観が変わりましたが、トンネルと愛宕山の風景は当時のままです。  


当時の建物の位置を確認しよう

愛宕山演奏所の正面入り口(1939年)。右隅に映っているのがクスノキ。

では改めて100年前の演奏所の大体の位置が分かったので、遺構をさがしてみましょう。まず正門の位置を確認します。当時の写真を見てみましょう。
この写真はちょうど現在の博物館の駐車場入り口とほぼ一致します。右隅にちょっと写っている樹木(クスノキ)は現在も大木となって現存しています。

現在のクスノキ。クスノキの向こう側が、現在のNHK放送博物館の建物。

現在は木の周りは一段高くなっていますが、位置的には同じ場所に生えています。この写真を見ると建物は今の博物館よりも北側の、かなり愛宕神社に近い位置に建っていたことがわかります。

東京放送局局舎と送信塔 (1933年)。現在の駐車場にあたる場所。

さらに演奏所のシンボルでもあった送信塔も今ではまったく痕跡がありません。ここまで見てきた範囲には、これといった当時の遺構は残っていませんでした。


100年前の姿のまま残る唯一の痕跡

1961年に撮影された石垣。最上部に、飛び出した石が等間隔で並んでいるのが特徴。

では全く当時の遺構はすべてなくなったのかというと、実は一部に100年前のままの姿で残っている場所がありました。それは東側ののり面の擁護壁として組まれた石垣です。
かつての写真をよく見てみると、その特徴的なデザインがよくわかります。石垣の最上部には等間隔で外に飛び出した石が並んでいるのが見えます。

この場所とほぼ同じ石垣のあった場所の現在の写真がこちらです。

現存している石垣の一部。赤枠で囲った中に、特徴的な石が見える。

当時の石垣がそのまま残っているのが見えます。特徴的な最上部の飛び出した石がはっきりと見えています。局舎の完成当時は崖の上部全体に石垣が作られていましたが、その後の補強工事で取り壊されたりして、一部がこのように当時の姿で残っています。

GHQによる接収・返還を経て、放送博物館へ

愛宕山の局舎は1939年に放送局機能が内幸町の東京放送会館に移ってからは、海外の放送を傍受するための部署が移転して利用していました。また敷地内には当時の国策会社だった同盟通信社(現在の共同通信社と時事通信社の前身)の海外放送を傍受する部署も置かれていました。戦後はGHQが接収したのち、1953年に放送法の下で新しい組織になった現在のNHKに返還されました。

旧愛宕山演奏所遠景。1961年にNHK放送博物館として開館した後の写真。

今ではすっかり高層ビルに囲まれてしまった愛宕山ですが、100年前は千葉から武蔵野方面まで見通せる高台でした。1世紀にわたり大正・昭和・平成・令和と時代を経て、当時の面影はほとんどなくなりましたが、まだわずかにその遺構は残っているのです。