NHK放送博物館の川村です。

日本の放送100年の歴史において、今回は「放送」が始まる少し前のお話です。

さて、いきなりですが、今では誰もが普通に使っている「放送」ということば、日本で放送が始まるにあたって英語のbroadcastingを日本語に訳したものです。では一体、いつ誰がこの訳を作ったのでしょうか? 日本で「放送」が登場する前の時代にさかのぼります。


ラジオの先輩は無線通信

ラジオの元となった無線通信はラジオの登場よりさらに30年ほど前に、イタリアの発明家、グリエルモ・マルコーニの発明によって実用化されました。マルコーニはドイツのヘルツが発見した火花放電による電波の原理をもとに、電波を利用した「無線通信」を考案しました。

電波に信号を乗せて遠くで受信するという発想はここから生まれました。マルコーニは日本のラジオ放送が始まるちょうど30年前の1895年、2.5kmの距離を無線通信でつなぐことに成功します。これが今につながる「無線通信」の始まりでした。

グリエルモ・マルコーニ(1874-1937)<「20世紀放送史」(日本放送協会編)>

初期の無線通信は「・(トン)」「―(ツー)」の2つの符号で伝える「モールス符号」が用いられました。いわゆる「モールス信号」です。この無線通信は軍事用に使われるなど、様々な分野で大きく発展していきます。マルコーニはこの無線通信の発明で「マルコーニ無線通信会社」を立ち上げ、実業家としても大きな成功をあげました。

ちなみに、1912年に発生したタイタニック号の遭難の際も、無線通信が大きな役割を果たしています。この時、ニューヨークの無線局でタイタニック号の遭難信号を無線で傍受した通信士は、近くの船舶に救援に関する情報を発信し続けたほか、乗船者の名簿を無線通信で送り続けたことで一躍有名になったとのことです。

この通信士の名はデビッド・サーノフ、彼はその後アメリカの電機メーカーRCAに採用され、ラジオ放送の発展に貢献しました。


「放送」の語源は?

無線通信が実用化されると、次は継続して電波を送り続けて音声を伝える、「無線電話(ラジオ放送)」の研究が始まります。ただ無線電話は無線通信と違い、連続波を発信するためには特別な仕組みが必要でした。このため世界中で無線電話の研究が盛んに行われるようになりました。

ところで、この「放送」ということばはどうやって生まれたのでしょうか? その由来はまだラジオが始まる8年前の1917年にさかのぼります。当時、南洋航路を航行していた船舶の通信士が、発信者不明の無線通信を受信した際に「送りっぱなしの送信」だったため「放送を受信」と通信記録に記述したことが始まりといわれています。

その後、1922年に無線電話(ラジオ放送)関連の法整備を進める中で、英語のBroadcastの日本語訳として「送り放つ」という意味でこの「放送」が採用されました。ちなみにこの時、日本語訳として候補に挙がっていたのは「公布」「拡布」「拡散」「弘宣」などがあったそうです。個人的には「拡散」はなんだか無責任な感じ、「弘宣」は人名みたいで、とても現在の放送のイメージとは程遠い感じがします。


世界中で熱を帯びるラジオの研究

世界で最初にラジオ放送の実用化に成功したのはアメリカでした。そのうち1920年、アメリカの商務省が最初に放送局の開設免許を交付したのが、アメリカの大手電機メーカー、ウェスチングハウスがペンシルベニア州ピッツバーグ市に設立した放送局でした。

コールサイン「KDKA」を受けたこの放送局が世界最初のラジオ放送局といわれています。ただ当時の放送免許は登録制に近いものだったため、ほかにも同時期に全米各地で免許の交付が行われていた可能性がありますが、いずれにしてもKDKAの開局は全米をはじめ世界中のラジオ熱を高めたことは間違いありません。

世界最初の放送局といわれるアメリカKDKA局

最初のKDKAの放送は、1920年の大統領選挙の結果報告でした。開局当初は毎日夕方から夜9時ごろまで主にレコードによる音楽番組を放送していましたが、聴取者からの要望でスタジオでの楽団の演奏も放送するようになりました。そのほか、ボクシングの試合の中継や、穀物相場の速報など現在のラジオ放送に近い番組が次々と登場しました。

さて、日本国内でも1922年ごろから官民あげて放送の実用化に向けた研究が進みました。その中でも衆立無線研究所を主宰した研究者のとま米地べちみつぐは、ラジオを多くの人に知ってもらうために、自作の無線通信機をもって全国の小中学校を回り、講演と実験を行いました。

衆立無線研究所の看板と研究所の実験で使用されたマイク(NHK放送博物館展示品)

また、新聞社も全国で「ラジオ実験」をイベントとして開催するなど、国内ではラジオへの期待が高まっていきました。当館のヒストリーゾーン展示の冒頭にも、各地で行われたラジオ実験の様子が写真で紹介されています。

スピーカーから聞こえる不思議な音に興味津々の人々。

これは松山で行われたラジオの受信公開実験の様子です。大きなラッパ状のスピーカーで、東京の送信所から送られてきた音声が聞けるようになっていました。
また、すでにラジオ放送が始まっていたアメリカの放送を日本で受信しようという試みも行われました。

日本でラジオ放送が始まる前年、1924年(大正13年)1月に、逓信省の電気試験場平磯(現・茨城県ひたちなか市)出張所で行われたラジオ放送受信実験では、カリフォルニア州オークランドのKGO局の放送の受信に成功し、その音声を電話線で東京の各新聞社に送りました。この実験の成功は新聞紙面を大きく飾り、ラジオへの関心は一段と高まりました。

参考資料:「20世紀放送史」「放送五十年史」「日本放送35年史」
いずれも日本放送協会編