NHK放送博物館の川村です。
年が変わり、2025年はラジオ放送開始から100年を迎えます。
日本のラジオ放送は1925年3月22日から始まりました。100年前、放送開始当初はどんなラジオ番組が人気だったのでしょうか。今回は、当時の人気番組調査から放送の歴史を探ります。
ラジオ聴取加入者の約6万人に大調査
1925年の段階では、放送局は東京、大阪、名古屋の3局しかありませんでした。それぞれの地域でのライバル局はなく、もちろん視聴率調査はない時代です。それでも、どのような番組が好評なのかについては、当時からきちんと調査されていました。
調査方法は、当時のラジオ聴取加入者の約6万人に対して往復はがきを送り、返信してもらうという形で行われました。そのうち32,955通の返信が寄せられ、その結果は内閣統計局(現在の総務省統計局)に集計を依頼して実施したという記録が残っています。調査結果は1926年1月号の雑誌『ラヂオの日本』に掲載されています。
当時の人気番組ランキングは……
当館の展示パネルにも結果が紹介されています。ではそのランキングを見ていきましょう。
まず第1位は、支持率4.4%で「ラジオ劇」でした。日本初の放送局がおかれた愛宕山での本放送開始から1週間後の1925年7月19日に、日本で最初の「ラジオ劇」は放送されました。演目は明治大正期に活躍した作家・中内蝶二原作の「大尉の娘」でした(プーシキンの小説とは別です)。新派の舞台劇をラジオ用に再構成したもので、情景の説明に解説役をおくなど演出に工夫を凝らしていました。
もちろんこの時代の放送はすべて生放送。俳優は放送時間に合わせて、スタジオで演じていました。マイクも一本だけなので、自分のセリフのときにはマイクの前まで移動して演じていたようです。「大尉の娘」の出演者には、井上正夫、初代・水谷八重子といった当時の人気俳優が名を連ねていました。
ところで人気番組のランキングの中に、「ラジオ劇」以外で第5位に入っている「放送舞台劇」があります。どちらも同じもののように思えますが、当時の資料を調べてみると「ラジオ劇」は舞台劇をもとにはしているものの、効果音や情景の解説などもあり、音声だけでも楽しめる演出にしたものを指しているようです。
一方、「放送舞台劇」は歌舞伎など、実際の舞台演劇をほぼそのままの演出で放送していたようです。「放送舞台劇」の代表的な番組に、本放送が始まった7月12日に放送の「桐一葉」があります。
「桐一葉」では、歌舞伎役者の中村歌右衛門さんをはじめとした当時の人気歌舞伎役者が出演。豊臣家の没落を描く演目を放送しました。
なお、この放送も番組表には「ラジオ劇」と記録されていますが、当時の日本放送協会が発行した『ラヂオ年鑑1931年版』には「放送演劇」の分類として「ラジオ劇」「放送舞台劇」「放送映画劇」「脚本朗読」「ラジオ風景」の5種に大別されると記されていることから、当時は別の番組分類として認識されていたことがわかります。
「市況情報」はビジネス成功の情報源
さてランキングに戻ると、第2位は「落語」となっていますが、統計上は「ラジオ劇」も「落語」も同数になっていました。「落語」は第3位の「講談」と並んで、ほぼ毎日放送されていたので、聴取者にとってはなじみのある番組だったのでしょう。放送時間としてはこの後のランキングに出てくる邦楽の各種番組と同じボリュームで放送されていました。
ランキングには、「義太夫」「長唄」「薩摩琵琶」「浪花節」「新内(新内節)」と、今ならすべて「邦楽」とひとつにまとめられる演目が並んでいます。当時はそれぞれが別の番組分類として分けられていました。どうもクラシックなどの洋楽はあまり人気がなかったようです。おそらく、ラジオが始まるまで、一般の人たちにはクラシックを聞く機会が少なかったからかもしれません。
今回、100年前の人気番組調査を見てきました。実際にはランキングには入っていませんが、日中のかなりの時間で放送していた「市況情報」は貴重な経済情報として多くの聴取者がいたようです。
いち早く市況を知り、ビジネスを成功させるための情報源として、大きな役割を担っていました。ラジオ放送が娯楽から生活情報・経済情報と、放送開始からさまざまな場面で利用されていたことが調査からわかります。