NHK放送博物館学芸員の川村です。
今回は「宇宙中継」が始まった時代のお話です。「日米宇宙中継」実験が初めて行われるまでの通信技術の歴史と放送の関わりをたどってみます。
最近では「宇宙中継」という言葉は姿を消して「衛星中継」と呼ばれています。テレビの画面上にも文字スーパーで表示されていた時期もありました。今ではインターネットで世界を結べるようになったので、こうした通信衛星を使った中継のことを特別なものとして取り扱うことは少なくなりました。
実は、放送が始まるよりもさらに遡ること50年以上も前の1871年から、世界をつなぐ通信網が実用化されていました。それが海底ケーブルを使った電信回線です。当初はモールス信号だけだった通信網はその後、音声通信が可能となり、現在ではインターネットなどの高度な情報も海底ケーブルによる通信がすべての情報量の99%を占めています。
その一方で高画質の映像を地球上の遠くの場所へ送る手段は、今でも通信衛星を使ったいわゆる「衛星中継」が使われています。
日本で初めて衛星を使った放送が行われたのは今から約60年前のことです。1963年11月23日、アメリカ航空宇宙局(NASA)が主導して日米の衛星通信実験が行われることになりました。アメリカが打ち上げた通信衛星「リレー1号」を使ったこの初の衛星中継実験では、日米衛星中継の成功に寄せたケネディ大統領からのビデオメッセージが送られてくる予定でした。
ところがアメリカから届いた映像の冒頭には内容を変更する手書きのメッセージが映し出されました。実はこの放送が始まる2時間前、テキサス州ダラスでケネディ大統領が銃弾に撃たれて亡くなったという衝撃のニュースが飛び込んできていました。
ケネディ大統領暗殺の一報は日本時間11月23日午前3時43分(アメリカ中部時間の22日)にAP通信社によって東京のNHKに送られてきました。騒然となった東京のスタジオでは、急遽、放送開始時間を10分繰り上げ、午前5時の特設ニュースで事件の一報を伝えました。そして午前5時10分、NASAから「宇宙中継の実験は予定どおり実施、ただしケネディ大統領のメッセージは中止」との連絡が入りました。
アメリカからの電波が届いたのは午前5時28分、NASAのテストパターンの画像がモニターに現れたのに続いて「アメリカ合衆国からの特別のプログラムを送ります」という手書きのボードが映し出されました。さらに打ち上げ局のあるカリフォルニア州のモハーヴェ砂漠の映像が送られてきました。
草木の一本一本までが鮮やかに映し出されており、国内での中継映像と全く変わらない品質の映像だったということです。この1回目の実験では、アメリカのアナウンサーが「この瞬間においてわれわれ両国は視覚的に、かつ同時に結びつけられたのであります」と歴史的な中継実験の成功を伝えました。
これが日米初の衛星中継の実験映像でした。この1回目の実験に続いて午前9時から2回目の実験が行われます。ここで毎日放送(MBS)ニューヨーク駐在の前田治郎特派員がケネディ大統領暗殺のニュースをニューヨークから伝えました。
実は、この中継では当初アメリカのNBCが伝えるニュースの映像が送られてきていましたが、 MBSが提携していたアメリカABCインターナショナルの社長の提案で、前田特派員がこのニュースを伝える大役を任されることになりました。
ABCは、この重大ニュースを日米初の衛星中継によって伝えるために、ライバル局であるNBCと交渉の上、この放送を実現させたということです。番組の冒頭で前田特派員は「この輝かしい試みに、悲しいニュースをお伝えしなければならないことを誠に残念に思います」と、悲痛な思いでこの事件を報じました。
通信衛星を使って全世界をネットワークでつなぐ構想は、ケネディ大統領の「アポロ計画」の中の重要な目的の一つでした。残念ながら、ケネディ大統領は日米初の衛星中継を見ることはできませんでしたが、この実験の成功を受け、翌年の東京オリンピックでは日本から世界に向けて衛星による中継が実現しました。衝撃のニュースから始まった衛星中継はその後、世界を近づける役割を果たすことになります。
※参考文献:『20世紀放送史』(日本放送協会)、『NHK年鑑 1964年版』