卒業制作に没頭する柳井嵩(北村匠海)のもとに届いた電報の内容は「チチキトク スグカヘレ」。やっとの思いで作品を完成させ、急いで御免与町に帰るも、すでに伯父・寛は息を引き取っていた。嵩と千尋(中沢元紀)の成長を見守ってきた寛を演じきった竹野内豊に、寛の最期について、また撮影を振り返ってみての思いを聞いた。


成功するか失敗するかは関係なく、信じて突き進むことに意味がある

──嵩の帰りを待たずに亡くなってしまった寛。最期のシーンは、どんな気持ちで演じられましたか?

やなせたかしさんの育ての父親も、ドラマと同じ時期に亡くなっているので、史実通り……ではあるのですが、やっぱり、もう少し子どもたちの成長を見守りたかったですね。

最後、嵩が家に駆け込んでくるシーンでは、僕は顔に白い布をかぶせられていて皆さんの演技を見ることはできなかったのですが、息遣いや声から伝わってくるものがありました。僕はというと、布団が持ち上がったりすることのないように息を止めてじっとしながら、「みんな、頑張れ……!」と念を送っていました。

──「最後まで描き上げんと、ハンパでもんて(戻って)きたりしよったら殴っちゃる」という最期の言葉については、いかがですか?

いい言葉ですよね。もし僕にも子どもがいたら、そのくらいの気持ちで生きていてほしいという思いがあります。
人生って自分の思い通りにならないことの方が多くて、年を重ねて、ふと自分が今まで辿ってきた道を振り返ったときに、意味のなかったことの方が、実は人生において大切なことが詰まっているんじゃないかと思うんです。

だから、自分が決めたこと、やりたいと思ったことは、とにかく諦めないでほしい。中途半端に投げてしまうのが一番良くない。成功するか失敗するかは関係なく、信じて突き進むことに意味がある──。僕自身そう思っているので、実感を込めて演じることができました。

──寛にとって柳井家というのは、どんな家族だったのでしょうか?

妻・千代子(戸田菜穂)さんとの間に子どもはできませんでした。自分たちの子どもがほしいという気持ちはあったと思いますが、それ以上に嵩、千尋との出会いは2人にとって大きな宝物だったはず。かけがえのない、唯一無二の存在だったのだと思います。


「人生は喜ばせごっこ」を大切にして生きていきたい

──改めて振り返って、寛とはどんな人物だと思いますか? また、それを演じる上で感じたことなどあれば教えてください。

寛は、誰に対しても分け隔てなく広い心を持ち、周囲の全ての人に愛情を持って接する、人格者そのものだと思います。時に、人生のヒントになるような言葉を与えることができる人。これは、はじめて台本を読んだ時から、演じ終わった今まで変わらない印象です。

だからこそ寛の一言一言にどう深みや重みを持たせればいいのかと、撮影が始まる前は考えこんでいました。特に今回物語のはじめの頃は、セリフを言う相手が子役ということもあったので。「このセリフ、子どもにもちゃんと伝わるのか? ちょっと難しいんじゃないか?」などと少し不安に感じていました。

ですが、完全にゆうでした。特にすごいと思ったのは、幼少期の嵩を演じた木村優来くん。いざお芝居をしてみると、僕が投げかけた言葉をちゃんと理解して、感じていることが目の奥にあらわれていた。それだけで「嵩と寛の会話」になる。本来お芝居はそういったその場の空気感でのやりとりがとても面白く、大事だと思いますので、事前に頭でっかちに考えたプランは役に立たないことが多いですね。

──嵩役が北村さんになってからはいかがでしたか? 親子役を演じた感想をお聞かせください。

北村匠海くんは、胸の奥に光と影を持ち合わせたような繊細さが唯一無二の彼自身の魅力に繋がっていて、崇を演じる上でとても大切な要素だと思いました。千尋を演じる中沢元紀くんは、あの年齢では珍しい、昭和を生きる日本男児のような澄んだ目をしていて、対話の際は、跳ね返ってくる視線がとてもストレートで、お芝居には見えないほど純粋なリアクションが印象的でした。

2人ともお芝居が上手うまいだけでなく、僕にとってはかわいくて仕方がなかったです(笑)。年齢的には自分にもこのくらいの息子たちがいてもおかしくないので、2人とも本当の兄弟のようでしたし、親子の擬似体験ができたようで、とても楽しかったです。

──寛のセリフには、実際にやなせたかしが残した言葉を引用した“名言”が多かったですよね。竹野内さんが特に好きな言葉はありますか?

どの言葉も本当に素晴らしいですが、僕がいちばん共感したのは、嵩の合格発表の時に言った「人生は喜ばせごっこ」です。「何のために生まれて、何のために生きるか? それは、人を喜ばせるためだ」と。実践するのは本当に難しいですけど。自分も含め、日本中の人々が一人でも多くそのような意識を高めることが出来れば、きっと素晴らしい未来が約束される気がします。大切にしたい言葉ですね。

今年で、太平洋戦争終戦から80年。ですが、今や戦争は過去ではなく、誰しもが身近に感じ、不安を抱えながら生きている時代ですよね。だからこそ、「人生は喜ばせごっこ」の精神が日本中、世界中に広まっていってほしいなと、強く思います。
「たまるかー!」と一緒に、今年の流行語になってほしいです。

──撮影の合間の過ごし方や、思い出があれば教えてください。

柳井家は、にぎやかな朝田家と違って、みんなでワイワイというよりは落ち着いてそれぞれ過ごしていましたね。ただ、印象に残っているのは、嵩と千尋の母・登美子さんを演じる松嶋菜々子さんとご一緒した日のこと。僕のセリフのイントネーションに、方言指導の先生から指導が入ったんですよ。つまり、土佐ことばですね。これがなかなか難しくて。つい関西弁っぽくなってしまうので何度も直されました。ただ僕自身、寛の言葉はあの土佐ことばで伝えてこそ、伝わるものだと思っていたので頑張りました。

それで、撮影の最初の頃、家族でご飯を囲むシーンを撮影したんですが、その日の課題は「〜ねや」、音で言えば「〜にゃあ」。それを撮影の合間に何度も練習していたのですが、僕がにゃあにゃあ言う姿が松嶋さんのツボにハマってしまったらしく……。こっちは真剣にやっているんですけどね。「〜にゃあ?」「〜にゃあ」「〜にゃあ?」「にゃあ」ですからね。松嶋さんは結局本番中も我慢できずに思い出し笑いをしてしまうほどで。なんだか申し訳なかったです(笑)。

松嶋さんとは何度か共演していますが、変わらず素晴らしい女優さんという一言につきます。やっぱり、ご自身にもお子さんがいらっしゃるので、息子たちと接する姿にリアリティーがありましたね。一方、妻の千代子さんを演じた戸田さんとは久しぶりの共演。すごく落ち着いた、頼りになる存在で、どのシーンにも安定感があって、安心できる奥さんでした。2人とも、またご一緒したいですね、と話しましたけど、次はいつになるのか……。十何年後とかだとおじいさんおばあさんになってしまうので、近い将来またどこかでご一緒できたらいいなと思います。

──残念ながら、寛はここでドラマからは退場。全国の寛ロスの視聴者に向けて、メッセージをいただければと思います。

寛ロス……!(笑)。先の展開が面白いのでロスになる暇もないと思いますが、みなさんの思い出の中に柳井寛という存在を少しでも残していただけるのなら、それだけで光栄です。これからも嵩とのぶちゃんを応援して、ぜひその成長を最後まで見届けてあげてください。