NHK放送博物館の川村です。日本の放送100年の歴史を今に伝える「放送遺産」をめぐるお話、第3回のテーマは「アンテナ」です。

アンテナは放送を発信・受信するためにはなくてはならないものです。最近はインターネットを介したデジタルテレビやラジオなどアンテナを必要としない新しい形の放送も登場していますが、それでも携帯電話をはじめ無線通信の分野ではアンテナは今も昔もその根幹を支える重要な設備であり施設です。

とはいうものの、一般の人にとってアンテナは普段あまり関心を寄せるようなものではないように思います。そこで今回は放送を支えてきた偉大なる脇役、アンテナは「こんなに凄いんだぞ!」というお話です。

さて、アンテナといってもその種類は多岐にわたります。まず放送局から電波を飛ばすためのもの。これがなければテレビもラジオも成り立ちません。大きな電力を必要とするため、当然ながら大きさも相当なサイズになります。

そもそもアンテナ本体は高い場所に設置されていることが多いので一般の人の目に触れる機会はほぼありません。

団地の屋上にずらりと並んだテレビの受信アンテナ(1960年代)

一方、家庭などで受信のために使われるアンテナもあります。比較的一般の人にもなじみのあるものですが、ネットラジオの普及をはじめ、最近では都市部でもテレビのCATV受信が多くなっており、受信アンテナを目にする機会は少なくなっています。

前置きが長くなりましたが、では今から約100年前に建てられた最初のラジオアンテナをご紹介します。下の画像に写っているのは、愛宕山にあった東京放送局です。敷地内の2つの塔に張られた電線(空中線)が発信するためのアンテナです。2つの塔の高さは45メートルもありました。

東京放送局に建てられたラジオアンテナ

塔の設計者は戦後東京タワーをはじめ2代目通天閣など全国のタワーを設計し「塔博士」と呼ばれた若き日の内藤ちゅう博士です。内藤博士は構造力学の専門家で、タワー以外にも早稲田大学の大隈講堂や現東京メトロの上野駅など多くの建造物の構造設計を手掛けています。

残念ながら愛宕山のタワーは現存していませんが、その跡地に立つ当館のエントランス脇には、テレビ時代の4本の大きな送信アンテナの一部が展示されています。そのうちの1つがこちら。

一番手前にある、ひときわ目を引くオレンジ色の物体……鉄柱のように見えますが、こちらは「スーパーターンスタイルアンテナ」といい、長らく東京タワーの最上部に設置されていたアナログテレビ放送用のアンテナです。

6段構造のうちの1段目が展示されています。このアンテナは1959年1月に東京教育テレビジョンが始まった際に設置されたもので、2011年のアナログ放送終了と同時に役割を終えてこの場所に降りてきました。

つまり50年以上の長きにわたり、関東一帯にテレビの電波を届け続けたアンテナなのです。現役時代にはとても一般の人が間近で見ることができるシロモノではなかったので、その点では大変希少な展示品ともいえます。

さて、このアンテナが設置されていた東京タワーは1958年の完成ですが、同じくテレビの送信アンテナを設置した電波塔、「名古屋テレビ塔」(現「中部電力MIRAI TOWER」)はそれよりも4年も早く、1954年に完成しています。つまり今年は完成から70年目の節目の年となります。

こちらはNHKと中部日本放送がテレビ放送を開始するにあたって、日本初の集約型電波塔として2つの放送局が協力して建設したものです。設計はもちろん「塔博士」、内藤多仲博士です。戦後のまだ建設用の重機も少なかった時代、建設に必要な鉄骨は人の手で塔の上部へ運んでいたといいます。

開業当時の名古屋テレビ塔観光パンフレット

それから名古屋テレビ塔は長らく中京地区のテレビ放送の基幹送信所として2011年まで電波を送り続けていました。名古屋テレビ塔は設計当初から、それまでの一般的な電波塔とは大きく異なっていました。

ただのアンテナを備えた送信施設としてだけでなく、観光施設としての機能が盛り込まれていたのです。名古屋市の中心にそびえたつ高さ180メートルのタワーは、テレビ時代の訪れを象徴する風景であると同時に、名古屋の一大観光資源でもありました。

「名古屋のエッフェル塔」と呼ばれたこのタワーには、地上から約30メートルのフロアに売店やレストランを備えた観光施設を設け、地上90メートルの地点には展望デッキが設置され、360度の展望が楽しめました。現在もタワー周辺には、近くに高層ビルが少ないおかげで名古屋市を一望することができます。

名古屋テレビ塔は地上デジタル放送への完全移行によって、電波塔としての役割は瀬戸市に建設された高さ245メートルの「瀬戸デジタルタワー」に譲り、使命を終えました。

完成から8年後の名古屋テレビ塔(1962年)。

実は名古屋テレビ塔は法規的には道路上に立っていることになっています。公園のようになっているタワーの足元周辺は、名古屋を代表する「100メートル道路」の1つ、久屋大通の一部、中央分離帯なのです。

このため一般の建造物と異なり、いろいろな法律上の制約があり、2011年に電波塔としての役割を終えた段階で本来ならば解体して元の道路の一部にしなければいけないことになっていました。

また、運営会社も電波塔でなくなることで放送局からの収入もなくなり観光施設だけで経営していくには厳しい状況にありました。

しかし市民の間からも名古屋の象徴であるテレビ塔を壊さないでほしいという声の高まりもあり、最終的にタワーの運営会社の出資者でもある名古屋市がテレビ塔の保存に動き出すことになります。そしてテレビ塔の存続に向けて地元の企業も積極的に支援に乗り出します。

「中部電力MIRAI TOWER」としてリニューアルした名古屋テレビ塔。 向かって左側にエレベータ棟が増設された以外、外観はほぼ当時のまま。

そして2019年に大規模リニューアル工事が行われ、「名古屋テレビ塔」は新しい名古屋のシンボル「中部電力MIRAI TOWER」として2020年9月にリニューアルオープンしました。

塔の2階から5階にはホテルや地元で人気のシェフによるレストランなど、観光スポットとしても魅力のある集客力を高めた施設を誘致し、テレビ塔は大きく姿を変えました。

またリニューアル工事は単に内装を変えただけではありません。建物自体の耐震性を高めるため、タワーの土台である4本の足元に免振装置を設置しました。この工事ではなんと塔を持ち上げてその足元に免振装置を設置するという驚きの工法が使われました。

こうした関係者と地元の熱い支援で名古屋のテレビ塔は新しい名古屋の顔として再スタートを切っています。そして2022年12月、名古屋テレビ塔はタワー建造物として史上初の国の重要文化財に指定されました。

放送遺産としても初の重要文化財という事になります。アンテナの仲間だった電波塔は名古屋の中心でこれからも愛されていくことでしょう。