NHK放送博物館の川村です。

夏から秋にかけては台風シーズンといわれています。日本ではたびたびこの時期に大きな気象災害に見舞われてきました。また、1923年9月1日には関東大震災が発生。今でも9月1日は防災の日として各地で防災訓練が行われ、災害に備える心構えを新たにする日となっています。

日本のラジオ放送は関東大震災をきっかけに、いち早く正確な情報を多くの人たちと共有することを目的の一つとしてスタートしました。その意味で、災害と放送は切っても切れない関係にあります。

災害に限らず大きな事件・事故などの緊急報道では、ラジオ・テレビがその機能を最大限発揮しています。今回はその歴史をご紹介します。

以前もこのコラムでご紹介しましたが、日本のラジオが初めて大規模災害を報じたのは室戸台風です(※参考関東大震災から戦後まで、当時の災害を放送はどう映し出したのか——。 | ステラnet (steranet.jp))。その後も戦時中も含めて放送は多くの気象災害を伝えてきました。

戦時中は戦略的理由から、天気予報が放送から姿を消していましたが、終戦とともに復活、国民は戦争の終わりを実感したといいます。放送は検閲を受けることなく自由にニュースを伝える時代に入っていきます。

そしてまだ終戦の混乱期だった1954年に大きな事故が起こります。9月26日の夜に発生した青函連絡船とうまる遭難事故です。

七重浜に打ち上げられた洞爺丸の救命ボート(NHKテレビニュースから)。

死者行方不明1,155人、同じくこの台風によって沈没した他の4隻の連絡船を合わせると1,400人以上の犠牲者を出した重大な海難事故でした。日本でテレビ放送が始まったのはこの事故が起こる1年前の1953年。NHKでも映像ニュースの自主制作が始まっていました。洞爺丸の事故取材でもフィルムカメラによる現地取材が行われ、また航空機による“空撮”も行われました。

画面中央の黒い物体が、航空機から撮影された転覆した洞爺丸の船腹(NHKテレビニュースから) 。

当時はまだヘリコプターよる取材は行われていませんでした。このとき空撮に使用したのは東京から取材要員の輸送を兼ねてチャーターした飛行機、いわゆる固定翼機です。27日に現場上空で撮影されたフィルムは、函館空港からとんぼ返りした飛行機によって東京に輸送され、翌28日の正午のニュースで放映されました。その後も続々と送られてくる映像を使い、逐一現地の惨状を伝えました。


この事故の翌年1955年には、瀬戸内海でまた大きな海難事故が起きました。国鉄こう連絡船「紫雲丸」の沈没遭難事故です。濃霧の瀬戸内海で「第3宇高丸」と「紫雲丸」、2隻の国鉄連絡船が衝突、紫雲丸が転覆沈没し、乗船していた小中学校の修学旅行生を含む168人が亡くなるという大惨事でした。

航空機から撮影された「紫雲丸」沈没現場。中央の大きな船が追突した「第3宇高丸」。

この事故取材でも航空機が活躍しました。またこのとき、地元の高松局への応援として、東京・大阪からも取材陣が現地入りしました。発生直後から大規模な全国応援体制をとった取材の始まりでもありました。


テレビニュースが現在のように映像を中心に伝えるようになった1960年代、新潟地震が発生しました。1964年6月18日のことです。

新潟地震は、地方の放送局でテレビ放送が始まってから初めて直面した、都市型の地震災害でした。発生直後から現場の被災状況をラジオで生放送したほか、生活情報を流すなど、現在の災害報道につながる緊急報道の原型ともいえる放送が行われました。

その放送の記録である録音と、ニュース原稿などの資料は当館で保存されています。これらは、日本で初めて放送によって行われた大規模な災害報道の記録で、大変貴重な資料となっています。昨年開催した企画展では、その一部を展示しました。

石油タンク火災を取材中のカメラマン。
被災地からリポートするアナウンサー。
昨年開催した「知る備える守る 放送と自然災害の1世紀」で展示した新潟地震報道関連の資料。

放送はその後も大きな災害や事件事故をいち早く伝えるため、様々な技術開発を進めてきました。

1995年に発生した阪神淡路大震災では、今では当たり前となった地震発生時の映像を記録する「スキップバックレコーダー」が初めて使用されました。震度7の揺れを記録した映像は世界中に配信され、衝撃的な映像とともにNHKの技術が高く評価されました。

阪神淡路大震災で倒壊した阪神高速(NHKテレビニュースのハイビジョン映像から)。
芦屋市の住宅街、倒壊した家屋(NHKテレビニュースのハイビジョン映像から)。

阪神淡路大震災では地震報道で初めてハイビジョンカメラによるニュース取材も行われました。当時はまだ、ハイビジョン撮影が可能なヘリコプターはなかったことから、きゅうきょ簡易型の防振装置を取り付けて空撮を行いました。


その後の緊急報道で、ヘリコプターは欠かせないものとなっていきます。NHKでは1950年代からチャーター機による航空取材を行ってきましたが、1986年からはNHKの空撮を専門とする航空会社「オールニッポンヘリコプター(ANH)」を設立し、今に至っています。

NHK専用の機材を全国配備することで、安全性の高い効率的な空撮が行えるようになりました。現在NHKでは全国10か所に常駐基地を置き、ANHが保有する15機のヘリコプターが、ニュースから番組まで24時間体制であらゆる空撮に対応しています。

全日空羽田沖墜落事故を取材するNHKのチャーターヘリ(1966年2月)。
初めてハイビジョンカメラを搭載した中型ヘリコプター、エアバスインダストリーAS365ドーファン。現在も主力中型機として活躍中。

今ではスマートフォンなどが普及し、緊急報道につながる決定的瞬間の映像は、プロだけではなく、一般の人たちによって撮影されることが普通になりました。映像を送る手段も、マイクロ波という免許がなければ扱えない特別な電波を使っていましたが、今では携帯電話回線を利用したIP伝送という技術が一般的に利用されるようになりました。

だれでも特ダネ映像が速報できる時代になりました。一方で、フェイク動画など、事実と違う情報も目にするようになりました。そんな中、放送は今も、正しい情報をより多くの人たちにいち早く伝える役割を担い続けています。