ふじわらの道長みちながの兄・道隆みちたかとその妻・たかしなの貴子は、ドラマの初回から仲睦なかむつまじくてほほましいですね。二人の夫婦仲の良さは、和歌や歴史物語でも伝えられています。次の和歌は、結婚前に貴子が道隆に贈ったもので、「ぐらひゃくにん一首いっしゅ」にも入ってよく知られています。

忘れじの 行く末までは かたければ 今日を限りの 命ともがな

「君を忘れないよ」と、あなたは言って下さる。でもその未来は頼りにならないわ。だから今、愛し合っている今日を限りに命が終わってしまえばいい。

(『しんきん和歌わかしゅう』恋三 どう三司さんしのはは
※儀同三司は准大臣の意で、貴子の長男・藤原伊周これちかの異称

『新古今和歌集』によれば、道隆と貴子が交際を始めたころの和歌です。道隆は貴子に睦言むつごとで「君を忘れはしない」と誓ってくれました。でも貴子には、二人の恋にその言葉通りの未来があるとは思えなかったのです。

彼は、すでにぎょう(閣僚)だった藤原兼家かねいえの長男という貴公子。一方の貴子はりょう(地方行政官)階級出身で、円融えんゆう天皇につかえるだい女房(女官)、つまりキャリアウーマンでした。

当時、貴公子の結婚は政略結婚が一般的で、家柄の良い姫君への婿入りが理想とされたので、女房との恋はかりそめに終わることがほとんどでした。だから貴子は、「今だけでいい」とせつに燃える思いをんだのです。ところが道隆の貴子への思いは本気で、彼は貴子をちゃくさい(正妻)としたのでした。

えい物語』によれば、貴子は父・高階成忠なりただの教育方針にしたがってキャリアウーマンになったということです。成忠は学者で、世間から煙たがられる偏屈へんくつものだったとか。貴子が年ごろになったとき、彼は「男の心など頼りにならん」と案じました。

ただ、宮仕をせさせんと思ひなりて、
先帝の御時に、
おほやけ宮仕に出し立てたりければ、
女なれど、真字まななどいとよく書きければ、
ないになさせ給ひて、こうのないとぞいひける。


成忠は「ともかく宮仕えをさせよう」と決心して、
円融天皇の御代みよに、
娘をだいの女官として勤めさせた。
すると娘は女ながら漢字漢文をすらすら書くので、
ないしのつかさに配属されて「高内侍」と呼ばれたのだった。      

(『栄花物語』巻三)

まひろ(紫式部)が漢学者である藤原為時ためときを父に持ち、家で自然に漢文を習得したことは『紫式部日記』にしるされ、ドラマ第1回のシーンにもありました。しかし当時、結婚し主婦として人生をおくる女性には、漢文の知識は無用でした。為時は娘に主婦以外の将来があるとは思わなかったので、「お前が男であったらなあ」となげいたのです。

一方、貴子の父の考えは逆でした。朝廷の文書は漢文で記されているので、女官になれば漢文のようかせるというわけです。彼の狙いは当たり、漢文にけた貴子は能力を買われて、内侍司に配属されました。

内侍司とは、天皇のそばに控えて取り次ぎなどに当たる女官たちの部署で、いわば企業トップ付きの秘書室です。内裏の女官全体を束ねるエリート職でもあり、貴子はそのナンバー3に抜擢ばってきされた“バリキャリ”だったのです。

そのときに出会ったのが道隆です。貴子は恋の喜びを感じつつも、父・成忠の教えもあって結ばれない恋だと決め込んだのでしょう。実際、道隆は恋多き男で、遊び相手には事欠きませんでした。しかし、その彼が貴子を選んだのです。そこには恋心だけではない理由があったと考えられています。

兼家の跡を継ぐ道隆にとっては、父のように娘を天皇家に嫁がせ、皇子みこを産ませることが最重要ミッションでした。どうすれば、天皇にちょうあいされる魅力的な娘ができるだろう? 自分は美男子で性格も明朗、娘もそれなりに美しく気立ても良くなるはず。では足りないものは?と考えたとき、「知性」が彼の頭に浮かんだというわけです。

貴子なら、高い知性を備えた娘を産み育ててくれるのではないか。道隆はそれを期待して貴子を正妻に選んだのだと、研究者たちは考えています。

貴子は思いも寄らなかった玉の輿こしに乗りました。その成功体験を励みに、夫の期待に応えて、長男の伊周、長女の定子をはじめ子どもたちに学問を教え込みました。そのため道隆の子たちは、男女を問わず幼い時から学問に秀でていたと『栄花物語』は伝えています。

なお、貴子が定子に与えたのは漢文の知識だけではありませんでした。引っ込み思案は駄目、積極的に前に出て自分の力を示すこと。そんな最先端のエリート女官の価値観を教え込んだのです。定子はおのずと、女官と姫君という2つの対極的な魅力を併せ持つことになりました。

こうして、明るく親しみやすく、頭の回転が速く、おくせずリーダーシップを発揮する新しいタイプのきさき・定子が誕生したのです。これらの個性はまさに輝かしい魅力として彼女を彩り、道隆のもく通り、いちじょう天皇の心を射止めたのでした。


参考文献:藤本宗利『感性のきらめき 清少納言』(新典社 日本の作家11、2000年)

引用本文:『新古今和歌集』(岩波書店 日本古典文学大系)、『栄花物語』(小学館 新編日本古典文学全集)

京都先端科学大学人文学部歴史文化学科教授。平安文学研究者。紫式部とその作品、また時代背景を研究している。1960年、石川県金沢市生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科修了。博士(人間・環境学)。2007年、『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり』でサントリー学芸賞受賞。2015年、『平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む』で古代歴史文化賞受賞。著書は受賞作のほか、『紫式部ひとり語り』(2020年)など多数。近著に『道長ものがたり』(2023年)。