どうも、朝ドラ見るるです!

さあ第3週。よねさん〜〜〜‼︎ なんとなくワケありなのかなって思ってたけど、抱えているものが、あまりにデカすぎる‼︎(泣)よねさんが世間に対してとんがっちゃう気持ち、よくわかったよ……。一方で感動したのは、そんなよねさんに向かってトラコ(とも)が言ったこんな言葉。

「たとえ、あなたの本気がまさっているからって、誰かをけなしていいわけじゃないと思うの」
「いくらよねさんが闘ってきて立派でも、闘わない女性たち、闘えない女性たちを愚かなんて言葉で括って終わらせちゃだめ」

トラコ〜〜〜‼︎
こういうことを友達に面と向かって言えるのって、相手のことを信頼している証拠だと思うし、そのうえで「あなたはそのままでいい」って言えるの、本当に素晴らしいよ。

この世にはいろんな人がいて、さまざまな事情があって、得意なことも不得意なこともあって……そんな他人を、そして自分を認めることが、本当の意味での“多様性”なんだなって、見るる的にはすごくしっくりきました!

さて、多様性っていうことでいうと、今週は、華族の涼子様、留学生のこうしゅくちゃん、主婦として家事育児もこなす梅子さん、そして“女をやめた”よねさんと、女子部に通うみんなのさまざまな事情が描かれていましたよね。

でも実際、寅子のモデルのぶちよしさんが通っていた明治大学専門部女子部の学生たちはどんな感じだったんだろう?

……というわけで、今回も明治大学法学部の村上一博教授に話を聞きにいってきました! それじゃ今週もさっそく始めましょう。教えて、村上先生〜!

“存続の危機”は史実だった⁉︎ 女子部法科の実情を調査PART2

見るる 時の流れは早いもので、今週、トラコたちは2年生になりました。でも、どうも学生の数はどんどん減っているみたいです。しかも、入学者数も大幅減……。

トラコたちの学年では60名だったのに、1つ下の学年では42名だって言ってましたもんね。途中脱落者が多かったというのは、前回うかがいましたけど、入学者も減っていったというのは事実なんですか?

村上先生 そうですね。三淵嘉子さんは、明治大学専門部女子部の4期生だったんですが、その時の入学者数は26名でした。4年前の1期生は93名の入学でしたから……。

見るる え? 3分の1以下になっちゃってるじゃないですか! 女性にとっては、法学を学ぶことができる、数少ない貴重な場所じゃなかったんですか?

村上先生 実はですね、この4期生は、女子部の歴史の中でいちばん人数が少なかった年なんですよ。26名のうち、卒業したのは18名。在学中の減少率がさほどではないのが唯一の救いでしょうか(苦笑)。

大きな原因は、弁護士法改正の遅れでしょう。せっかくここに入っても弁護士になれないのでは、若い女性たちにとって魅力は半減ですからね。

見るる うーん、確かに。方向転換してお見合いしようと思っても、年齢は重ねているし大卒じゃ、不利になるばかりだろうし……(は! 思わず当時の価値観でものを言ってしまった!)。

村上先生 ですから、ちょうど三淵さんが学生だった頃、女子部が存続の危機だったというのは本当なんですよ。

見るる なるほど……。それならもしや、女子部の宣伝のために法廷劇を上演したっていうのも事実なんでしょうか?

村上先生 ええ、法廷劇は行っていたようで、写真も残っています。ただ、詳細な記録はないので、残念ながら内容は不明です。おそらくドラマと同じように、学園祭か、新入生歓迎会か、どちらかの出し物ではないかと思われますが。

1931年、明治大学専門部女子部法科の模擬裁判の様子(提供:明治大学史資料センター)。

見るる (写真を見つつ)うわ〜、ホントに女性だけですね。壇上左側の人たちが着てるのが、だんだんタイトルバックの映像でもおなじみになってきた“法服”ですよね? ということは、検事と弁護士でしょう。で、真ん中は裁判官、右側は傍聴席? そして左側手前で縦縞の着物の女性が被告人役かな?

めちゃくちゃ、首をうなだれてますね……演技派! トラコみたい(笑)。……あれ? でも実際の記録が残っていないなら、ドラマの法廷劇で扱っていたあの “毒まんじゅう殺人事件”は、ドラマのオリジナルってことでしょうか?

村上先生 そうでしょうね。まあ当時、毒殺というのは割とポピュラーな殺害方法でしたから……。

見るる ぽ、ポピュラー!? そうなんですか!?

村上先生 そうなんです(苦笑)。だから、この時代にありそうな事件ということで、発想されたのだと思いますよ。

個性豊かな女子部学生たちのリアル!

1934年ごろの明治大学専門部女子部の学生たち(提供:明治大学史資料センター)

見るる (写真を見つつ)わー、なんかステキですね! 後ろに見える、塔のある建物はなんですか?

村上先生 お茶の水にあるニコライ堂ですよ。明治大学の近くにあるので、ドラマの中にもちょくちょく登場していますよね。

見るる あ、いつもトラコたちが渡っている橋の向こうに見えている建物ですよね! なんか、こうして見ると昔の人って感じがしないです。服装もモダンだし……。

ところで、当時の明治大学の女子部には、どんな女性たちが通っていたんですか? ドラマのように、いろいろな事情を抱えた人たちがいたんでしょうか?

村上先生 それは、残念ながら私にもわからないんですよ。個人情報の関係で、学籍簿は公開されていませんから。ただ、閲覧可能な記録によると、初年度の入学者105名(法科と商科あわせて)のうち、30歳以上の学生が30人以上もいたようです。

彼女たちがどういう経歴の持ち主なのか、結婚していたのかしていないのか、そこまではわかりませんが……。

見るる じゃあ、少なくとも、梅子さんみたいな人がいたかもしれないってことですね! というか、そもそも30歳オーバーで大学に入ろうとするとか、そのモチベーションがすごい〜!

村上先生 それほど、当時の法律に不満を持っていた女性が多かったのかもしれませんね。
ちなみに、明治大学専門部女子部には、三淵さん以前にも、優秀な方がたくさんいらっしゃいました。たとえば、たていしよしさん(1910〜1983)。

彼女は女子部法科の1期生ですが、本科に進み、大学卒業後は、女性ではじめて東京帝国大学(現在の東京大学)大学院に進学。法学博士の学位を取得されました。その後は、明大の短期大学や法学部できょうべんをとられた、明治大学の女性学部教員の第一号です。

見るる 東大の院に行って、その後は母校で大学教授に……!? わ〜かっこいいですね!

村上先生 さらに、立石さんと同級生のたかくぼしずさん(1906〜1995)。彼女は中央大学で商法の先生だったお父様(高窪喜八郎氏)を持つ、大変英語が達者な方でした。

法律がわかって英語もできたので、戦後は極東裁判の通訳をされたほどです。彼女も明大の女子部・短期大学で英語の教員として働いておられました。
ほかにも、錚々そうそうたる女性たちをたくさん輩出しているんですよ。

見るる すごいじゃないですか、女子部の卒業生!! トラコはともかく、ほかのみんなは、この先、どんな道を進むのかな〜? 同級生の数が減ってしまったり、存続が危ぶまれたり……まだまだ大変なことが続きそうだけど、どんな進路に進んだとしても、みんな、今の頑張りが、報われてほしいですね!


次週!

第4週「かがみ女にり男?」4月22日(月)〜26日(金)

意味:《女は少しうつむき加減にしている姿が良く、男は少し胸を張った反り加減の姿が良いということ》(辞典オンライン『ことわざ辞典ONLINE』より)

な、なんでだ〜! 女にだって胸を張らせろ〜!(ブーイング)
女子部を卒業した寅子たちは、本科へ進級。ついに女子だけの教室を抜け、男子と机を並べて勉強することになるんですね。学校の廊下や法廷劇でからかってきたような、嫌〜な感じの男子ばかりじゃないといいけど……。

寅子、また何か言われても引っかかないように気をつけてね!(そ、そういえば優三さんって、あのケガ大丈夫だったのかな……?笑)
ああ、波乱の予感!

というわけで、今週の「トラつば」復習はここまで。
来週の先生方の講義も、お楽しみに〜!!

村上一博(むらかみ・かずひろ)
明治大学法学部教授、明治大学史資料センター所長、明治大学図書館長。1956年京都府生まれ。日本近代法史、日本法制史、ジェンダーを専攻分野とする。著書に、『明治離婚裁判史論』『日本近代家族法史論』(ともに法律文化社)など多数。「虎に翼」では法律考証担当として制作に参加している。

取材・文/朝ドラ見るる イラスト/青井亜衣

"朝ドラ"を見るのが日課の覆面ライター、朝ドラ見る子の妹にして、ただいまライター修行中! 20代、いわゆるZ世代。若干(かなり!)オタク気質なところあり。
両親(60&70代・シニア夫婦)と姉(30代・本職ライター)と一緒に、朝ドラを見た感想を話し合うのが好き。