どうも、朝ドラ見るるです!
さあ、始まりました、明律大学女子部編。えーっと、控えめに言って、めちゃめちゃ面白くないですか!? 見るる的に言うと、まず、法廷パートがすごく面白かった!

クラスメイトのよねさんを追いかけて迷い込んだ(?)東京地方裁判所。そこで、寅子は家庭で夫にしいたげられ、裁判を起こして闘う女性の姿を目にします。
その裁判シーンが、いろいろ新鮮で、法律初心者の見るるの目からはうろこボロボロ状態でした。

そうか、法律って“ただの規則じゃない”んだ。そして裁判に“正解ってない”んだ……!って。

さらに印象的だったのは、判決を聞く女子学生たちの顔、顔、顔。この当時の法律だと、一個の人格者としては認められていない女性たち。でも実際には、皆、こんなにひとりひとり違っていて、生き生きした表情をしてるんだぞ! っていうメッセージが映像から伝わってきて、グッときちゃった。

あ、あと、それぞれ両陣営の弁護士を演じていたシソンヌのお二人……いい味出してましたね♪(←見るるはお笑い好きなので、こういうとこ、見逃しません!)

それにしても……寅子が通い始めた「明律大学」のモデルは「明治大学」らしいけど、寅子のモデルのぶちよしさんが通っていた頃は、いったいどんな雰囲気だったんだろう? 授業の内容は? 今でも当時の校舎は残ってるのかな? う〜ん、気になる!

……というわけで! 前回に引き続き、明治大学法学部の村上一博教授にお話を伺いに行ってきました。それじゃ今週も元気にいってみよ〜!

寅子が通ってたのはこんな学校! 女子部法科の実情を調査

見るる 今週から、いよいよ、ドラマの舞台が明律大学に。ということは、明治大学関係者の皆さんにとっては、ワクワクもひとしおじゃないんですか?

村上先生 そうですね、確かに、このところ私の周りは「虎に翼」の話題でもちきりです。

見るる ですよね、ちょっとうらやましいですもん(笑)。それでさっそくなんですが、寅子が通うことになる、というか、モデルの三淵嘉子さんが実際に通っていた「明治大学専門部女子部法科」について教えてください! まず授業内容はどんなものだったんですか?

村上先生 一般教養に始まり、憲法、民法、刑法、商法、民事訴訟法、刑事訴訟法といった六法など、法律の基礎全般のようですね。そもそも、この女子部法科というのは、女性たちが本科に進学するために必要な前段階として設置されたものです。

というのも、いきなり法律を学ぶといっても、当時の女性たちの場合、高等女学校まで出ていたとしても、それまでは法律なるものに触れる機会すら、なかったわけですから。そこで、この3年間で、まずは、予備知識を身につけてもらおうというところからスタートさせたわけですね。

見るる な、なんて面倒見がいいんだ! でも、基礎とはいえ、やっぱり難しそうです(汗)。ドラマでも、授業中に寝ちゃってる学生がいましたし……。

村上先生 当時、女子部の教壇に立ったのは、普段は東京帝国大学で教えている先生たちが多かったようなので、まあ難しかったでしょうね。法学部の先生って真面目な方が多いんですよ。だから、講義のあいだ、冗談も笑いも少ない。今の法学部もそうかもですが(笑)。

見るる いえいえ、村上先生のお話はわかりやすくて大変面白いです! ちなみに、入学試験も難しかったんですか?

村上先生 いえ、逆にこちらは来るもの拒まずでした。前回もお話ししましたが、初期の頃は、大学側が門戸を開いても法律を学びたいという女子はあまり来ないだろうと考えて、入学試験は小論文と面接だけでした。希望者をふるいにかけることはしなかったようです。

見るる その割に、ドラマの中では先輩の人数はすごく少なかったような……?

村上先生 それについてはデータが残っています。女子部が開設された昭和4年、1期生の法科の入学者数は93名。しかし3年後、実際に卒業したのは55名だったんです。

見るる ワーッ、ずいぶん減りましたね!

村上先生 しかも、その後、本科に進んだ(明治大学法学部に入学した)のは、たったの15名! せっかく作ったのに、学校としてもがっくりですよね。

見るる ところで、女子部の校舎はどこにあったんですか? 寅子たちは、本校舎からちょっと離れた森? の中みたいな校舎で勉強してましたけど……。

村上先生 女子部の校舎があったのは、今、明治大学がある場所から5分ほど歩いたところ。今ではビルが立ち並ぶ駿河台ですが、当時は緑豊かだったようです。だから、そんなに山奥ってわけじゃないんですよ(笑)。

なんでも、明治の卒業生で実業家の佐藤慶太郎さん(1868〜1940)という方が、約2000万円の援助をしてくれたので、もともと明治大学が飛地的に持っていたその土地に、2階建ての木造校舎を作ったという記録が残っています。

見るる ええ、明大の卒業生ってすごい人がいるんですね! でも、せっかくそれで女性たちが法律を学び始めたのに、弁護士になるための試験を女性が受けられるようになったのは、まだ先なんですよね? ドラマでも、法改正の延期でけっこうめてましたけど……。

村上先生 そうなんです。結局、弁護士法の改正は遅れ、昭和8年に成立。施行は11年からだったので、女子部1期生はストレートに進学して卒業しても、2年ほど受験を待たなくてはならなかった。やめていく学生が多かったのは、これも理由のひとつだったでしょうね。

明治大学専門部女子部の開校当時の校舎の写真。木造校舎の資料はこれ1枚しか残っていない(提供:明治大学史資料センター)。
千代田区神田猿楽町のあたりにあったという。今年3月撮影。

女子部法科設立の立役者①己の父とは真逆の道を進んだ “日本家族法の父”

村上先生 ところで見るるさん、我が明治大学にも、ドラマの穂高先生と同じように、女性教育に熱心な教員がいたのをご存じですか?

見るる え、あ、そんな、スミマセン、シルヨシモアリマセン……。

村上先生 まあまあ、落ち着いて。せっかくなので、この話も聞いていってください。その名も、づみしげとお(1883〜1951)。東京帝国大学と明治大学、2つの大学で教員を兼任していた方です。“日本家族法の父”とも呼ばれる、大正期の家族法学者の中ではピカイチ自由主義的な方なんですよ。

穂積重遠は、のちに最高裁判事も務めている。写真は1934年ごろのもの(提供:明治大学史資料センター)。

見るる もしかして、前回の講義で出てきた「法改正の審議会に入っていた法学部の中心的な先生」って……!

村上先生 そう、それがこの穂積先生なのです。彼は法改正に伴って、私立大学の中で女子に法律を教えられるところを探していたのでしょう。そこで白羽の矢を立てたのが明治大学。

というのも、当時の明治大学法学部というのは突出して優秀で、弁護士の輩出率もトップクラスでした。ここならピッタリだと思ったんでしょうね。ところで、この穂積先生の面白いところは、その家系にあるんですよ。

見るる 家系? 誰か、有名な人が親戚にいるんですか?

村上先生 実は、彼の母方の祖父が、あの渋沢栄一なんです。

見るる !! ということは、小林薫さんは、「青天をけ」で渋沢栄一の父親役をやって、今度は、渋沢栄一の孫がモデルの役を……。

村上先生 あ、そうなんですか。いえ、それはさておき……問題は、穂積先生のお父さんです。東京帝大法学部・初代法学部長の穂積のぶしげ(1855〜1926)ですが、この方はなんと、明治民法、つまり保守的な家制度を作った中心人物なんですよ。

見るる え? 女性教育を推し進めた人のお父さまが、あの家制度を!? それはかなり意外です……!

村上先生 そうなんです。明治民法の「家」制度を作った父親のもとに生まれ、父親と同じ法学の道に進んだのに、やっていることは真逆なんです。面白いでしょう。

見るる たしかにそれは面白いです。想像すると、こっちもドラマになりそうな……。

村上先生 穂積先生は、若い頃にドイツに留学し、さらにパリやロンドンを経由してアメリカでも学んでおられます。そのときの経験が女性教育に関心を持つきっかけになっているようですね。

女子部法科設立の立役者②女性たちのヒーロー “大正の大岡越前”

村上先生 そしてですね、明治大学に女子部が生まれるにあたり、もう一人、大事な役割を果たした人物がいるんです。それが当時の明治大学学長・よこひで(1862〜1938)です。

横田秀雄は1924年から約10年間、明治大学学長・総長を歴任した(提供:明治大学史資料センター)。

見るる そりゃあ、上がOKを出さないと始まらないですもんね! 持つべきものは物分かりがいい上司です。

村上先生 いやいや、それだけじゃなく、ご本人が進んだ考えの方だったんですよ。もともとは大審院(明治時代の最上級の裁判所)で院長だった方なんですが、進歩的な判決をいくつも出したことで有名なんです。例えば、「男性にも貞操義務がある」という判決も……。

見るる うん? ちょっと待ってください、そういえば、ドラマでも「姦通かんつうざいも女だけ。夫は家の外で何人女を囲おうがおとがめなし」ってセリフがありましたけど……。まさか、当時はそんな法律だったわけじゃないですよね?

村上先生 ところが、そうなんです。当時、男性は離婚請求もされずに浮気し放題。一方女性は浮気をしたら一発で離婚……でしたが、横田さんは、昭和2年に先ほどのようなセンセーショナルな判決を下したんです。それでついた異名が、“大正の大岡越前”でした。

見るる め、名裁き! 公正で人情味ある判決、まことにあっれなんですけど!

村上先生 横田さんは大審院長を辞めたあと明治大学学長になるのですが、当時のうたい文句は、「良妻賢母論はもはや時代遅れ」「新しい女性を目指すのだ」というものでした。戦争の影も忍び寄りつつある昭和4年。これから“産めよ増やせよ”の時代に突入していく中、先進的な考え方です。

1929(昭和4)年、明治大学専門部女子部の第1期入学式の様子(提供:明治大学史資料センター)。

見るる ドラマの中の学長はちらっとしか出てきませんでしたけど、確かに、入学式ではいいこと言ってました。「君たちは法曹界の、いや、婦人の社会進出という明るい未来そのものだ!」って。新しい女性の味方、見るるは見逃しませんでしたよ(キラン)。

村上先生 何はともあれ、この2人のキーマンのおかげで、明治大学に女子部法科が誕生したということを、今日はぜひ覚えて帰ってください。

見るる バッチリ覚えました! 村上先生、わかりやすいお話、ありがとうございました〜!


さ〜て、次週の「虎に翼」は?

第3週「女は三界に家なし?」4月15日(月)〜19日(金)

意味:女は幼少のときは親に、嫁に行ってからは夫に、老いては子どもに従うものだから、広い世界のどこにも身を落ち着ける場所がない。(小学館『デジタル大辞泉』より)

「三界」とは、仏教用語で欲界・色界・無色界──つまり、全世界のことだそう。いつでもどこでも女は誰かに従わなきゃいけない人生ってコト⁉︎ 嫌すぎるよ〜

……でもたしかに、今週の放送を見たら、当時の女性の生きにくさがちょっとずつわかってきたかも。

猪爪家は仲よしでかなり平和ですけど、上野のカフェで働いてるよねさん、華族ならではのしがらみがありそうな涼子さん、家庭に居場所がなさそうな梅子さん、故郷を離れて日本に来た香淑さん……みんな、それぞれ大変な事情を抱えていそう。

というか次回予告、なんかみんないろいろ爆発してませんでした? なんか穂高先生までどなってたし……それに、花江の意味深なセリフ。「寅ちゃんにお嫁に来た人の気持ちなんてわからないわよ」って何〜⁉︎ あんなに幸せいっぱいだったじゃん! どうしちゃったの!

わ〜ん、早くも次回が気になる! 正座して待ちましょう。

というわけで、今週の「トラつば」復習はここまで。
来週の先生方の講義も、お楽しみに〜!!

村上一博(むらかみ・かずひろ)
明治大学法学部教授、明治大学史資料センター所長、明治大学図書館長。1956年京都府生まれ。日本近代法史、日本法制史、ジェンダーを専攻分野とする。著書に、『明治離婚裁判史論』『日本近代家族法史論』(ともに法律文化社)など多数。「虎に翼」では法律考証担当として制作に参加している。

取材・文/朝ドラ見るる イラスト/青井亜衣

"朝ドラ"を見るのが日課の覆面ライター、朝ドラ見る子の妹にして、ただいまライター修行中! 20代、いわゆるZ世代。若干(かなり!)オタク気質なところあり。
両親(60&70代・シニア夫婦)と姉(30代・本職ライター)と一緒に、朝ドラを見た感想を話し合うのが好き。