ざん天皇を退位・出家せしめた藤原ふじわらのかねいえの陰謀、「かんの変」から1か月後、一条いちじょう天皇の即位式で怪事が起きました。ドラマではみちながが処理したこの事件については、歴史物語の『大鏡おおかがみ』に記されています。

さきの一条院の御即位の日、大極殿たいごくでん御装束おんしょうぞくすとて人々集まりたるに、たかくらのうちに、髪つきたるもののかしらの、血うちつきたるを見つけたりける。

先の一条天皇の御即位の日、大極殿の設営に人々が集まったところ、高御座の内部で髪を生やし血の付いた生首を発見した。
(『大鏡』「道長(雑々物語)」)

高御座は即位式の主役となる設備(ぎょく) です。新天皇が高御座に入るととばりが下ろされ、天皇は短時間、「三種の神器」のけん(剣と勾玉) とともに中にこもります。

すると神器から霊力が与えられ、新天皇を人間から聖なる存在へと変身させる――高御座は、その演出装置なのです。そこに生首が転がされていたのですから、大事件です。

現代ならば、まず殺人事件が発生したことが問題となるでしょう。しかし平安時代には、第一に「ケガレ」が問題とされました。

「ケガレ」は歴史学の用語で、人や物がけがらわしくなってしまうことを意味します。古くは『古事記こじき』に見え、国生みの神であるイザナギが亡き妻イザナミのいる黄泉よみの国を訪れて戻った後、「じつにけがれた国に行った」となげいて身を清めています。ケガレでもっともむべきは死であり、それは神道しんとうの思想なのです。

天皇は当時、神道をつかさどる存在で、もっとも清らかでなくてはいけませんでした。その存在を創る装置がケガレに見舞われたとなれば、即座に宮中を閉鎖しなくてはなりません。さらに政務を一定期間止めることも、規則で決められていました。

『大鏡』では、生首を発見した担当官は、うろたえてせっしょう・兼家のもとに使者を走らせます。ところが兼家の反応は思いも寄らないものでした。

いと眠たげなるしきにもてなさせ給ひて、ものもおおせられねば、もし聞こし召さぬにやとて、また御気色たまはれど、うち眠らせ給ひて、なほおほんいらへなし。

ひどく眠そうな様子で何も言われないので、もしや聞こえなかったかと使者は再び言い直したが、今度は眠ってしまって、やはり返事がない。
(同上)

使者が困ってその場に突っ立っていると、兼家は唐突に目を覚ましたというていで「もう設営は終わったのか?」。使者ははっとしました。「なるほど、摂政様は何も聞かなかった、だから何もなかったことにしておくつもりなのだ」。

当時の行政の細則を記した書物『えんしき』によれば、人の死によるケガレはもっとも重く、30日間継続するとされていました。生首は、何者かが即位式の延期をたくらんで置いたものに違いありません。この妨害に屈しないために、兼家はあえて聞こえなかったふりをして事件を握りつぶしたというわけです。

『大鏡』は、兼家の措置について「ケガレはあったが、結果として忌まわしいことも起きず、むしろ上首尾だった」と称賛しています。しかし、これは、『大鏡』が史実から100年程を経て成立していることからも分かるように、 一条天皇の時代が25年続いたことや、兼家が摂政として権力を極め、その後も彼の一家が繁栄したことを、作者が知っていたから記せたものです。

『大鏡』が成立した院政期は、天皇や摂関家といった朝廷とは別に、本来は制度の外にあるはずの院(上皇)とその近臣が権力を持った、実力主義の時代でした。細かい規則や前例に縛られず、実行するときには実行する――兼家のそんな豪胆さは、院政期を生きた『大鏡』作者に好ましく映ったのでしょう。兼家は、むしろ時代を先取りした政治家と言えるかもしれません。

しかし、一条天皇の時代には、ケガレは強く忌み嫌われていました。ケガレに触れることを「しょく」と言い、犬など動物の死体に触れたり、人の葬儀に出席したりした場合も、謹慎することが決まっていました。母子が死ぬことも多く、出血も伴うからでしょう、出産もケガレとされていました。

また、ケガレは人から人に伝染すると信じられ、だいで死体が発見された場合などは、執務していた官人はもちろん、その家族もケガレたと見なされました。こうなると日常生活にも支障をきたします。

貴族社会では互いのつきあいも重要で、本来なら葬儀や出産祝いには顔を出しておきたいところです。そんな場合は、家の庭先で立ったまま挨拶あいさつし、室内に上がり込まなければケガレない、など回避する手法も編み出されました。

じつは、日記『堂関白どうかんぱく』による限り、藤原道長はケガレの規則をしっかり守っていたようです。自宅の床下で犬の死体を発見したときには、祭への参加を取りやめました。外でケガレに触れたときには、家族に伝染しないよう自宅に帰らなかったこともあります。ケガレた場所には立て札を設置してもいます。

日本文学研究者の加納重文氏によれば、「どのような事情のときでも、触穢のきんは忠実に守って、批判のげんはかつてらしたことがない」人物だったとか。意外に小心だったのでしょうか。

ちなみに『源氏物語』の中には、登場人物が自ら「ケガレた」といつわるシーンが出てきます。「宇治十帖」に出てくるおんなぎみ浮舟うきふねです。

浮舟は、光源氏の孫・におうみやとの密通の折、母親からのいしやまでらさんけいの誘いを断るため、「昨夜から急にケガレて……」とうそをついています。女性の生理もケガレと見なされていたのです。ケガレも使いようですね。


【参考文献】
加納重文「触穢」(『平安文学の環境 後宮・俗信・地理』和泉書院、2008年)
【引用本文】
『大鏡』(新編日本古典文学全集)

京都先端科学大学人文学部歴史文化学科教授。平安文学研究者。紫式部とその作品、また時代背景を研究している。1960年、石川県金沢市生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科修了。博士(人間・環境学)。2007年、『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり』でサントリー学芸賞受賞。2015年、『平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む』で古代歴史文化賞受賞。著書は受賞作のほか、『紫式部ひとり語り』(2020年)など多数。近著に『道長ものがたり』(2023年)。