ドラマ初回、まひろの母・ちやは(国仲涼子)を惨殺したことで、視聴者に強烈な印象を残した藤原道兼。衝撃的な登場から2か月が経ち、第10回では父・兼家(段田安則)の密命で、花山天皇(本郷奏多)の退位を成功させた。演じる玉置玲央にその役柄や、作品の見どころなどを聞いた。
ちやは惨殺シーンの撮影は、現場が“ピリピリ”、“殺伐”としていて……
──大河ドラマ出演は今作で3作目ですね。オファーを受けたときのお気持ちは?
1作目の「真田丸」(2016年)、2作目の「麒麟がくる」(2020年)はどちらもゲスト的な出演だったので、今作ではメインストーリーにガッツリ関わらせていただけると知って、素直にうれしかったです。ただ、平安時代はあまり馴染みがないので、うまくできるかなという不安はありましたね。そんな不安もひっくるめて、楽しみたいという気持ちでオファーを受けさせていただきました。
──出演にあたって準備したことや、現場で印象に残っているものは?
習いごとの量は、これまでの大河ドラマに比べても抜群に多かったです。 最初は馬に乗る役ということしか聞いてなかったので、「いいじゃん、馬!」と思っていたんですが、蓋を開けたら、乗馬以外にも弓矢、朗詠と初めてづくし。 平安文化を学べるのはとても楽しいです。
現場に入って驚いたのは、美術やセットが全て新規で作られているということ。江戸時代などと違って平安時代を舞台にしたドラマは少ないので。NHK、本気だな……と思いました(笑)。
例えば、烏帽子は、最新の研究結果に基づいて従来のものより素材を薄くしているそうです。そういうところからも、スタッフが本当に妥協せず、全力で取り組んでいるのが伝わってきて感動しました。
あとはやっぱり衣装ですよね。試しに女性の衣装を着させてもらったんですけど、めちゃくちゃ重くて。一枚だけでこの重量なのに、十二単で重ねて着るってものすごいことだなと思いました。華やかで美しいですけど、女性陣はこれでロケやってたの?って驚きました(笑)。
──道兼のキャラクターをどのように捉えていますか?
台本を読んだときの率直な第一印象は、「視聴者の皆さんに嫌われる役だな」です。 以前、大石静さんが脚本を書かれたドラマに出演させていただいたときも、いけ好かない役だったので(笑)、「次回は好青年の役を!」と伝えていたのですが、今回も視聴者の皆さんに反感を買うような役まわり。 顔合わせのとき、大石さんから「ごめんなさい、今回もひどい役で」って言われました(笑)。
──視聴者の皆さんにとって道兼といえば、やはりちやは惨殺シーンが思い出されます
かなり強烈だったと思います。じつは、このシーンの撮影はなかなか大変だったんですよ。 真夏に、すごく蒸し暑い竹林での撮影だったんですが、 時間が少ない上に、想定より早く日が落ちてしまって。現場全体が少しピリピリしていたんです。
でも、その殺伐とした感じが、怒りの沸点に一瞬で到達するような道兼のキャラクターに説得力を持たせてくれればいいなと思っていました。現場の雰囲気や臨場感は全部、お芝居に影響を与えていくものだと思うので。
そんな“嫌われ者”の彼にも、彼なりの葛藤やコンプレックスがあるということが、ドラマの中できちんと描かれていますよね。だから、この作品の道兼の役割を、今でも探りながら、考えながら挑んでいる感じはあります。
僕がもっと道兼を掴むことができれば、もっと輪郭を浮き立たせられるのに
──父・兼家との関係についてはどう考えていますか?
道兼にとって、父上は“呪い”みたいな存在だと思います。道兼は「父上に認められたい」「社会に認められたい」「何かを成したい」という思いがとても強いキャラクター。だから父上の期待に応えようと、これまで猪突猛進してきた部分があると思います。
父上の存在は、どうしても越えられない壁であり、ある意味憎しみの対象でありながら、活動の原動力であり、道兼にとっての存在理由でもあったんでしょうね。さらに、父上にポジティブな憧れや家族としての愛情も持っているわけで、複雑だよなと思いながら演じています。
俳優さんにはいろんなタイプの方がいらっしゃいますが、 僕はあんまり役が憑依するタイプではないんです。なるべく自分自身のプライベートで感じたことを、自然にお芝居に乗っけられるようにしたいなと思っていて。
だから、兼家役が段田さんだったというのは、僕の中でけっこう大きなことなんです。段田さんとは舞台でも共演させていただいていますし、 尊敬している先輩。あえて言葉を選ばずに言えば、「いつか超えたい、超えなくてはならない壁」ですよね(笑)。そういう、俳優同士の関係性も利用して、僕そのものをすべて道兼にのせて表現しているつもりです。
──道兼は今回、花山天皇退位という大きな陰謀に関わりました。心境はいかがですか?
父上との関係性の話にもつながるのですが、父が名指しで命じてくれたっていうのは、道兼的にもすごく大きいと思います。ただ、父上に頼ってもらえてうれしいのはうれいしいんですが、同時に、父上の本心は「汚れ役は全て道兼にやらせよう」ということじゃないですか。だから演じていて、その道兼のかわいそうな立場は常に意識しています。
僕自身、じつは本作の道兼の役割の答えみたいなものはまだ見つかってないんですよ。 道兼のかわいそうなところ、滑稽で愚かなところ、憎むべきところ……。いろいろな側面を考えていると、こんなにどっちつかずの人物に見えていていいのかなとも思ってしまって。
もっと悪い人物像に振ってもいいんじゃないかとか、もっと哀れでかわいそうに見えてもいいんじゃないかとか……。でも撮影中、スタッフの皆さんや共演している皆さんと話していると、 「道兼切ないですよね!」「すごい道兼の気持ちがわかる!」とみんな言ってくださっていて。でも、自分では全然ピンと来ていないんです(笑)。先ほども言ったように、いまだに探りながらキャラクターを作っているという感じです。
──道兼も、自分自身を探りながら生きているような雰囲気です
そうですね。道兼の人生と僕の芝居に対する取り組みがうまくリンクして、いい表現ができたらいいなと思っています。いずれドラマの中で道兼が亡くなって、物語から退場するまでの間に、自分で解決できる部分と、自分だけでは解決できない部分はもちろんあるでしょう。
共演している皆さんやスタッフの皆さん、 視聴者の方々の想像力にお力添えをいただきながら、その中で道兼という人物が完成するということもあると感じていますが、同時にもう一段階、僕がもっと道兼を掴むことができれば、もっと道兼の輪郭をくっきり浮き立たせることもできるのに、と思いながら日々の収録に臨んでいます。
よくも悪くも自分の中でまだぼんやりしている部分を、チーフ演出の中島由貴さんに相談したいんですけど、今のところなかなか相談できていないんです。中島さん的には、その話はしない方がいいと思っているのか……泳がされているような気が(笑)。
ただ、聞いてしまったらそれ以上の発展性がなくなってしまうという気もするので、これも「自分の手で道兼を掴んでほしい」という温かいメッセージだと捉えて、最後まで探り続けたいと思います。