NHK放送博物館の川村です。今年も8月15日がやってきます。太平洋戦争は日本のラジオ放送にも暗い影を落としました。戦争末期には空襲の標的になることを避けるために電波による放送を中断し、空襲警報が発令されると有線放送に切り替えるなど、受信環境もよくありませんでした。今回はそうした時代に放送されていた番組をふたつご紹介します。
国民の戦意高揚をあおった「勝利の記録」
1941年12月8日の太平洋戦争開始直後から毎週日曜日の朝に放送されたのが「勝利の記録」という番組です。放送内容はタイトルの通り、日本軍の快進撃を伝える一種の報道番組でした。
放送は基本的に1時間番組でその前の週に放送された大本営からの戦果についての発表と戦地の実況録音などで構成されていました。第1回の放送は1941年12月14日午前9時でした。
この日の放送内容の記録は残念ながら残っていませんが、当然ながら12月8日の真珠湾攻撃をはじめとする日本軍の戦果を伝えたものと思われます。
さてこの「勝利の記録」の中で重要な役割を果たしたのが実況録音でした。当時まだ珍しかった可搬型の円盤録音機を前線まで運び込んで、戦場の実音を録音してラジオで伝えていました。「円盤」とはレコード盤のことで、マイクで拾った音声を直接レコード盤に刻むのが円盤録音機です。その当時の様子を伝える写真が1942年当時の日本放送協会が発行していた雑誌「放送」の企画記事の中にあります。最新機材による現場録音は国民の戦意高揚に大きな影響を与えました。
当館のヒストリーコーナーには当時の円盤録音機が展示してあります。この同形機は8月15日の玉音放送の録音にも使われました。
戦時下の娯楽番組
戦時中は「勝利の記録」のように戦争そのものを伝える番組だけでなく、音楽番組やラジオドラマなど戦前と同じく通常の番組も放送されていました。
その中から注目するのは1942年8月15日の番組表です。この年の8月はガダルカナル島の戦いで一木大佐率いる陸軍部隊が全滅するなど、戦況は日々悪化していました。ただ当時の番組表を見ると、午前中は夏休みの子供向けの番組や、夕方以降は音楽・ラジオ劇など娯楽番組が中心の編成になっています。
この中から午後9時のニュースに続いて放送された「放送劇」という番組を見てみると、副題は「怪談宋公館」、原作者は火野葦平となっています。
旧盆の中日とはいえ、戦争のさなかに怪談をラジオ劇で放送していたというのはちょっと驚きです。作者の火野葦平は、「麦と兵隊」をはじめ自らの従軍経験をもとにした「兵隊三部作」などの作者として知られる、戦前から戦後にかけての文壇で活躍した芥川賞作家です。これは彼の作品の中では珍しい「怪奇小説」です。
ストーリーは中国・広東に進駐した日本軍将校たちが特殊任務のため中国の有力実業家の邸宅を接収しその屋敷に駐留していた際に経験した怪奇現象を、駐留していた軍曹の回想の形でノンフィクション的に描いた怪談です。
物語の舞台となっている「宋公館」は広東(広州市)にあった実在の実業家・宋子良の邸宅のことです。宋家は中国の国民政府の中で大きな権威を誇った一族で、特に「宗家三姉妹」は中国の近代史の中で大きな役割を果たしました。実際に当時この場所でこの小説のような「都市伝説」が本当にあったのかどうかはともかく、物語はここでの出来事が実話のように怪談として描かれています。
さてこの物語の詳細はここでは省略しますが、戦争のさなかになぜ「怪談話」という娯楽番組が放送されたのか?
ポイントのひとつは「日本軍は幽霊にもひるまず威厳をもって任務にあたっている」という軍人の武勇伝的な物語。もうひとつは幽霊の中には宋家という当時の権力者によって虐げられた中国の一般庶民がいるという逸話が出てくる点です。
日本が中国を統治することの正当性をストーリーの中にも盛り込んでいるともとれる内容に、この当時、ラジオ劇の怪談話も決して戦争とは無関係なものでなかったことが読み取れます。
なお戦時中の番組については、当館のホームページ「放博だより」の中で詳しくご紹介していますので、興味がある方はご覧ください。
放博だより一覧|NHK 放送博物館
(NHK放送博物館)
https://www.nhk.or.jp/museum/index.html
(アクセス)
https://www.nhk.or.jp/museum/sp/access/index.html
コラム「放送百年秘話」は、月刊誌『ラジオ深夜便』にも連載します。
第5回は、10月号(9月15日発売 定価420円)に掲載。