東京は、土地をスプーンでくりぬいたようなすり鉢状のくぼ地の多い都市です。そんな「スリバチ」に魅せられた東京スリバチ学会会長のみながわのりひささん(58歳)は、建設会社で一級建築士として働くかたわら、休日には都内のスリバチを数多く探訪。NHKの街歩き番組「ブラタモリ」にも出演しました。皆川さんに「架空スリバチ散歩」でご案内いただきながら、スリバチの魅力をうかがいました。
(前編はこちら

聞き手/恩蔵憲一

もともとはため池の「外堀通り」

——続いてご紹介いただくのは?

皆川 私が勤めている会社のある赤坂近辺をご紹介します。赤坂はその名のとおり坂の街で、町内には薬研やげん坂という地名の場所があります。地形が薬をすりつぶす薬研に似ていることがその名の由来で、実際に歩いてみると、確かに薬研のように下り坂と上り坂が向き合っています。
赤坂の繁華街は谷底にあたる場所にあり、その近くを都道405号、通称「外堀通り」が通っています。江戸時代から明治時代初期にかけて、ここには大きなため池があったのです。庶民の飲み水を確保するため、今の虎ノ門交差点付近にダムを築いてつくられました。ため池は江戸城の外堀の一部でもあったので、道路の通称に外堀の名が引き継がれているというわけです。いわゆる多目的ダムが江戸時代にもあったということなんですね。


港区 赤坂

▲ダイナミックに下降してまた上る坂道が対面する「薬研坂」。スリバチ学会はこの「薬研坂」から始まった。
▲太刀洗(たちあらい)川由来の谷の傾斜にある、風情あふれる「丹後坂」。坂の東北に米倉丹後守の屋敷があったとされる。
今は暗渠(あんきょ)(注)となっている太刀洗川近辺(二級スリバチ)の断面図。奥に薬研坂がある。この川がつくった谷間は繁華街・赤坂の隠れ里になっている。
(注) 道路・鉄道などの地下に埋設したり、水面が見えないようにふたがしてあったりする水路。

——徳川家康が江戸に入ったころ、飲み水には相当苦労したのでしょうね。

皆川 そうなんですよ。江戸みたいな海の近くの街は飲み水の確保に苦労します。井戸を掘っても出るのは塩水ですから。幸い、武蔵野台地には川がいくつも流れていましたので、その川をせき止めてダム湖をつくるのが江戸初期の街づくりに欠かせない事業でした。お花見の名所として有名な千鳥ヶ淵も、江戸時代初期につくられたダム湖なんですよ。


道玄坂の「道玄」は盗賊の名

——あともう一か所お願いします。

皆川 では、私たちが今いる渋谷を。渋谷も本当に坂の街で、かつスリバチ状になっている場所です。三差路が多くて道に迷いやすいんですが、迷ったらとにかく坂を下りれば渋谷駅にたどりつけます。

——駅が谷底にあるんですね。

皆川 そのとおりです。渋谷川と宇田川という二つの川が合流する場所で、いちばん低くなっているところに渋谷駅があるんです。

——そういうことを知らないで渋谷のスクランブル交差点を歩いてました。

皆川 スクランブル交差点の人の流れを見ると、いつも「谷間って人を呼び寄せるオーラがあるんじゃないか」と思いますね(笑)。
その渋谷駅の周りには、渋谷川や宇田川に流れ込む小さな川がたくさんありました。渋谷には山や丘が付く地名が多いことに気が付きませんか?鉢山町、桜丘町、円山町、神山町などがそうですね。小さな川が台地を分断して、山と谷間をつくったのです。谷間のうち、しんせんという地名の場所ではまさに泉が湧き出ていました。かつては温泉場もあり、これが円山町の繁栄につながりました。


渋谷区 渋谷(宇田川町)

▲川が流れていた低地と高い丘を結んでいた道が、今は華やかなショップが並ぶ「スペイン坂」となっている。
▲渋谷の街の一角にある坂の三差路。スリバチ地形がつくり出す独特の道筋が渋谷の魅力の一つ。
宇田川がつくった緩やかな谷間(三級スリバチ)の断面図。川を下り、渋谷川と合流した辺りが渋谷駅となる。NHK放送センターはこの谷の高い丘に位置する(宇田川は現在は暗渠)。

——渋谷の宮益坂と道玄坂は向き合っていますが、それぞれの由来を教えてください。

皆川 宮益坂は坂の途中に宮益たけ神社があり、神社のある坂ということでその名が付けられました。別名を富士見坂といいます。
反対側の道玄坂ですが、「道玄」って実は盗賊の名前といわれています。かつては盗賊の出るくらい物騒な坂だった。江戸時代、渋谷川よりも西は辺境の地だったのですね。同じ渋谷でも、東の宮益坂と西の道玄坂とでは、全然趣が違ったんでしょうね。


谷を巡り、新しい発見を

——皆川さんにとって、東京スリバチ学会とはどういう存在なんでしょうか。

皆川 建物の設計って、その場所にはどういう建物がふさわしいかを考えるところから始まるんですよ。学会での活動を通じて、歴史や地形の条件を踏まえつつその場所が将来どう利用されるべきなのか、といった広い視点で建築設計を捉えられるようになりました。
そういう都市計画にもつながるような視点を持つことによって、競合他社と大きな差別化を図れています。そういう意味で、東京スリバチ学会の活動はちゃんと仕事の役に立っていると思います。

——逆に、仕事での経験を学会の活動に生かしている面はあるのでしょうか。

皆川 建築設計の提案では、伝えたいことをいかにシンプルな言葉で表現するかがポイントです。学会でも同じように、スリバチの魅力を理解してもらうために簡単かつ短い言葉で表現するよう心がけています。私はこれを「スリバチポエム」と呼んでいます。
例えば、「スリバチの空は広い」。坂を上ったり、振り返ってスリバチを見下ろすと空が広く感じられます。スリバチには小さな建物が多いので、高台に上ると本当にパッと視界が開けるんですよ。その感覚を表現しました。
それから、「脇道にそれてみたら、そこはスリバチだった」。川端康成先生の小説『雪国』の冒頭に似ていますが(笑)。表通りから一本裏に入っただけでスリバチに出会える可能性がある、という意味です。人生も表通りだけを進むのはもったいない、ふと裏道に入ってみれば、自分にとっての宝物が見つかるかもしれない、という意味も込めています。

——他の地域でもスリバチ学会を立ち上げる動きがあるそうですね。

皆川 はい、ご当地スリバチ学会が秋田や宮城、千葉、埼玉、群馬、栃木、神奈川、名古屋、鹿児島など全国各地で立ち上がっています。海外でもパリ、フィレンツェ、ローマでそれぞれ活動しています。

——自分でもスリバチ活動をしてみたい、と思われたリスナーのために、スリバチポエムでメッセージをいただけませんでしょうか。

皆川 では、「書を捨て谷へ出よう」という言葉を贈ります。これも寺山修司さんの評論集のタイトルに似ていますが(笑)、机上で終わらせず、小さな世界に閉じこもらず、殻を破ってより大きな世界に出れば、スリバチをはじめいろんな新しい発見があります。ぜひ、谷を巡る冒険へお出かけください。

インタビューを終えて 恩蔵憲一
東京に生まれ育ちながら、なぜ東京はこんなに坂が多いのだろうと、子ども心に不思議でした。皆川さんのお話をうかがって、東京は世界有数の谷の都、スリバチ状の地形から江戸時代の大名や庶民の歴史が垣間見られることを知り、ワクワクしました。今度は是非、架空散歩ではなく、「書を捨て」実際のスリバチ散歩に出かけたい!

※この記事は、2021年7月22日放送「ラジオ深夜便」の「谷の都・東京再発見のススメ」を再構成したものです。

* 参考文献/『増補改訂凹凸を楽しむ 東京「スリバチ」地形散歩』(宝島社)、『東京スリバチの達人分水嶺東京北部編』『同南部編』(昭文社)いずれも皆川典久著。
記事内写真・断面図版提供/東京スリバチ学会 構成/後藤直子、具志堅浩二

(月刊誌『ラジオ深夜便 』2021年11月号より)

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