聞き手/恩蔵憲一
スリバチに魅せられて学会設立
——皆川さんは今、大手建設会社でお仕事をされているそうですね。
皆川 はい。実は私、ふだんは会社で一級建築士として設計の仕事をしております。出身地は群馬県前橋市です。小さいころに東京へ遊びに来たとき、建築家の丹下健三さんが設計された国立代々木競技場を見て「建築設計の世界ってすごいなあ」と感動したのが、建築家を目指すきっかけになりました。
——それがまたどうして東京スリバチ学会の会長さんに?
皆川 大学卒業後、就職で上京できたのがうれしくて、とにかく東京を歩き回ったんですよ。すると坂が多いのと、二つの坂が向き合ったすり鉢状の地形が多いのに気付きました。そこで、この地形を勝手に「スリバチ」と名付けたのです。武蔵野台地はほぼ平らなんですが、スリバチ状のくぼ地が点在しているんですよ。東京はまさに谷の都なんですね。2003(平成15)年には、東京スリバチ学会を立ち上げて、同じような趣味を持つ人たちともスリバチを訪れるようになりました。
——土地の高低というと、「ブラタモリ」のタモリさんが強い関心を持たれていますよね。
皆川 タモリさんとは、他局の番組に出演したときに初めてお会いしました。タモリさんたちが設立した日本坂道学会に対抗する東京スリバチ学会という謎の団体があるぞ、ということで番組に呼ばれ、対決ムードの中で学会をご紹介しました(笑)。
その後「ブラタモリ」にもお声がけいただき、出演させていただきました。地形ブームの先駆け、火付け役のように取り上げていただいて、本当にありがたいことだなと思います。
地形は都市を読み解くカギ
——スリバチ状の地形はどうやってできるんですか?
皆川 はっきりとしたことは分かりませんが、武蔵野台地には湧き水が出る地点が複数ありますので、その湧き水によって土壌が流されたためにくぼ地ができたのではないかと推測しています。
——武蔵野台地で湧き水が水源になっている川は随分あるんですか?
皆川 ありますよ。例えば神田川の水源ってご存じですか? 都心から意外と近くて、井の頭恩賜公園(武蔵野市・三鷹市)にある井の頭池です。吉祥寺駅から公園に向かって南に行くと、坂を下りていきますよね。あの一帯はスリバチになっていて、谷底にあたる井の頭池は湧き水がたまった池なんです。神田川だけでなく、石神井川や目黒川、このNHK放送センター近く、東京・渋谷を流れる宇田川なども湧き水を水源にしています。
——皆川さんのお話からは、地形のおもしろさだけではなく、歴史の薫りも漂ってきます。
皆川 江戸の町割りは土地の高低差をうまく活用しながらつくられており、東京の街はその町割りを下敷きにして発展しました。
江戸時代、高台には広い敷地を持つ大名屋敷や武家屋敷、谷間は敷地割りの小さな町人の街がありました。それが現代にも引き継がれて、高台には病院や学校など大きな建物が多く、谷底は街になっているんです。このように、土地の高低差に着目すれば江戸の歴史が見えてきますし、それが今につながっていることも理解できます。地形は、都市を読み解く一つのカギになるのです。
新宿区 荒木町
「一級スリバチ」の新宿区荒木町
——お話をうかがううちに、実際にご案内いただきたくなりました。今日は「架空スリバチ散歩」ということで、何か所かご紹介いただけますでしょうか?
皆川 いいですね、ではご案内しましょう。最初は新宿区荒木町です。荒木町は四方向を囲まれたくぼ地で、こういう地形をわれわれは「一級スリバチ」と呼んでいます。
くぼ地の底には「策の池」という小さな池があります。もとは、江戸時代のお殿様である松平摂津守の屋敷内にあった大名庭園の池でした。この池をつくるために、谷の出口にダムを築いて湧き水をせき止めた結果、荒木町は四方向を囲まれた一級スリバチになったのです。この地に今も残るダムの跡は大きくて、高低差が10メートル近くあります。
明治の世になると、その風情に引かれるように料理屋や芝居小屋などが集まり、やがて三業地と呼ばれる芸者を抱えた花街として栄えます。その後、花街は廃れましたが、代わりに個人経営の小さな飲食店がたくさん軒を連ねる街になりました。
——趣がありますね。
皆川 そう、おもしろいんですよ。急な坂道が多く、石畳もある。で、石畳を下りていくと、スリバチの底には大名庭園の池が残されている。行ってみたくなるでしょ?
(後編はこちらから)
記事内写真・断面図版提供/東京スリバチ学会 構成/後藤直子、具志堅浩二
(月刊誌『ラジオ深夜便 』2021年11月号より)
購入・定期購読はこちら
12月号のおすすめ記事👇
▼前しか向かない、だから元気! 池畑慎之介
▼闘う現代美術家 村上隆の世界
▼毎日が終活 菊田あや子
▼深い呼吸で心を穏やかに 本間生夫 ほか