漫画家でタレントとしても活躍しているえびよしかずさん(74歳)は、2014(平成26)年に認知症の前段階「軽度認知障害」であることが分かりました。2020(令和2)年には、レビー小体型認知症とアルツハイマー型認知症の合併症と診断され、それを公表。

現在でも周囲のサポートを得て、週刊誌の連載を2本抱えるなど仕事を続けています。マネージャーのもりながまささんもご一緒に、お話を伺いました。
聞き手 佐治真規子

自分をきちんと操ることができない

——蛭子さんは一昨年に認知症だと診断され、それを公表しています。今も週刊誌の連載を2本も抱えるなど、お仕事を続けてらっしゃいますね。

蛭子 まだやめずに続いてるんですよ。なるたけやめない方がいいなって思ってたからよかった。

——今日は蛭子さんのサポート役として、所属事務所のマネージャー・森永真志さんにもご同席いただいています。

蛭子 いろんな言葉なんか忘れっぽいのでね。
森永 蛭子さん、僕の名前は忘れないでくださいね。
蛭子 あ、ごめん、忘れてる(笑)。
森永 森永です。
蛭子 あ、そうだ、森永さんっていいます。

——森永さんは長いおつきあいですか。

森永 蛭子さんのマネージャー歴はもう18年になります。蛭子さんのことは全部、頭に入っています。だから蛭子さん、何でも聞いてくださいね。
蛭子 自分で何をしてるか、すぐ忘れるんですよ。思ったように動きづらいっていうか、分かんなくなるときがあるんです。
森永 もともと、今いる場所とか人の名前とか、あまり興味がない人だったんですが、最近たまにこんがらがっちゃうんですよね。
蛭子 俺は病気があるというふうには全然思ってないんですよ。ただ、自分をこう、きちんと操ることができないというか、何て言ったらいいかな、自分の思うとおりに運べない。
森永 ちょっとモヤモヤしてる感じ。
蛭子 うん、そうですね。うまくしゃべるのが苦手なんですよね。だいぶ人の助けを借りないと……。
森永 言葉が少し、出にくくなったっていうのはあるかもしれません。でも人は誰でも一人じゃ生きていけないですからね。みんなでサポートするから大丈夫ですよ。


認知症でも休まずに一生働きたい

——認知症と公表されてからも、お仕事をしてお金を稼ぐことは続けているんですね。

蛭子 はい、はい。お金を稼がないとやる気もなくなるしね、休まずにずっと仕事や勉強をした方がいいんですけど、なかなか。
森永 蛭子さん、結構仕事してますよ。お金稼いでます。もっと仕事したいですか。
蛭子 入れてくれたら助かる。入れてくれないと生きていけなくなっちゃう(笑)。
森永 じゃあ来月からどんどん入れますね。

——「大好きな女房に捨てられないためにも、認知症になっても稼いでいたい」とエッセーに書かれています。

蛭子 そうですね。一生働きたいですね。

——それを支える森永さんの存在は大きいですね。認知症だからと仕事をストップすることは考えなかったのですか。

森永 本人が一生働きたいと言っていて、仕事を依頼してくださる方も認知症だと理解しているわけですから、事務所としては本人の体調を考慮しつつ、できる仕事をしていこうという話になりました。蛭子さんのご家族とも相談しましたね。

——実は森永さんはお父様が認知症だとか。

森永 はい。違うタイプの認知症ですが、仕事で蛭子さんを見て、プライベートで父を見てというのは、いい勉強になりました。蛭子さんは日常会話も普通にできるし、お医者さんにも「仕事は午後1時から5時の間で、ぜひ続けるようにしてください」と言われています。そこがあまり波がない時間帯だそうです。だから朝早くや夜遅くなる仕事は避けています。たぶん、認知症になった人をサポートしてるご家族はたくさんいらっしゃると思います。蛭子さんの例が、少しでもそういう方々の参考になるといいですね。


ギャンブルは興味がなくなった

——今、蛭子さんはどういう一日を送られているんですか。

森永 仕事がなくて天気のいいときは散歩や近くの公園に行きます。歩くのがけっこう好きです。あと、子どもが好きになりましたね。
蛭子 子どもは好きですね。どんな遊びをしているか、気になります。「危ないよ」ってちょっと注意したりもします。昔は面倒くさくて、全然興味なかったんですけど、今は自分が子どもっぽいんじゃないですか。

——競艇とか、ギャンブルが大好きだと伺いましたが、今でもやっていますか。

蛭子 今は全くやってないですね。もう全然、やりたいとも思わなくなった。生活のしかたが変わりましたね。

——前はどの程度の頻度で行っていましたか。

森永 時間があれば、ほぼ毎日でした。収録と収録の合間にも。フットワークが軽くてせっかちで、少しでも時間が空けばパパッと食事したり、すごく行動が早かったですね。
蛭子 あのころは、とにかく自由に、好きなことをしたかったんです。

——ではギャンブルは卒業ですね。

蛭子 卒業したって言うんですかね。あんまり真面目になったら、おもしろくないんですけど。


いちばんやりたいことは、死なないこと

——昨年『認知症になった蛭子さん』と『おぼえていても、いなくても』という2冊のエッセーを出版されました。認知症に関する4コマ漫画もありますね。いつも漫画はどこで描いてるんですか。

漫画出典/『おぼえていても、いなくても』(毎日新聞出版)

蛭子 自宅でパッと描いて、すぐに郵便局に持っていきます。
森永 締め切りは遅れたことないんですよね。
蛭子 一応きちんとしてるんですよ。
森永 蛭子さんは時計を5分早く進めてるんです。覚えてますか。
蛭子 うん、覚えてる。待ち合わせにも遅れないから。

——それは見習いたいですね。漫画のアイデアはどういうふうに湧いてくるのですか。

蛭子 例えば公園の真ん中に座って、人の流れをずっと見てるときとか。子どもたちの動きはおもしろいのが結構あります。

——すごく楽しそうですね。

蛭子 うん。俺にとってそんなに悪い病気じゃないですね、認知症は。でも昔からすぐ笑う癖があって、子どものころは授業中に注意されてました。「蛭子、笑うな!」って(笑)。笑ってはいけないときに笑いたくなるので、それを我慢するのがすごく苦しいです。
森永 むしろ「笑っていいですよ」って言われた方が笑わないですよね。

——これからやりたいことはありますか。

蛭子 いちばんやりたいことは、死なないことです。
森永 蛭子さんは、人生の目的が「死なないこと」ですもんね。


ぼけたらどんどん笑ってほしい

——俳優の太川陽介さんと出演されたテレビ番組「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」(テレビ東京系)が人気でしたね。

蛭子 景色がきれいなところに行くし、楽しかったです。
森永 でも、今振り返ると、県境をまたいで10キロ歩いたり、峠を越えたりすることもあって、当時67、8歳の蛭子さんにはハードな仕事でしたよね。

——あのロケのときには食事をきちんととることを大事にされてたそうですね。

蛭子 3食ちゃんと食べたね。
森永 いつも「3食ちゃんととるのが大事」て言ってますもんね。

——食事のお好みはあるんですか。

蛭子 子どもが食べるようなものが好きですね。カレーライス、ハンバーグ、シチューとか。おやが漁師だったのに、魚は苦手なんですよ。親父、最近会ってないけど、どうしてるかな。
森永 もうだいぶ前に亡くなられていますよ。
蛭子 亡くなった? 本当? 知らなかった。

——ここは……、笑ってもいいのでしょうか。

森永 はい、全然問題ありません。
蛭子 いや、ひどいですね、俺も(笑)。

——そういえばエッセーの中で「オレ自身は変わっていないけど、認知症になってからは、あまり笑ってくれなくなった気がします。ちょっと寂しいですね」と書かれています。

蛭子 そうですね。笑ってもらえるのは大好きです。
森永 どんどん笑ってもらいたいですよね。蛭子さんは唯一無二の存在。競合するタレントさん、いませんからね。

——「これからも〝ぼけてるオレ〞を笑ってください」とも書かれています。

蛭子 テレビでは笑ってもらってお金をいただいているからね。
森永 蛭子さんは、以前からぼけたことを言って突っ込まれる立場でしたから、認知症になっても、おもしろいことを言ったら突っ込んでほしいんですね。ただ世の中としては、突っ込むことに対して難しくなっていますよね。少しきつい言葉を言う人がいれば、「認知症の蛭子さんにそんなに強く言ってどうするんだ」という声も出てきます。
蛭子 難しいね。
森永 それに認知症の症状も、100人いれば100通りで、「こうしてほしい」というのも人によって違うでしょうし、何か言って突っ込まれるのが嫌な人もいると思いますし。

——蛭子さんの場合は、「笑ってほしい」という考えだということですよね。またそれも変化してくるかもしれませんし。

蛭子 今のところ、変わることはないですね。
森永 今もどんどん突っ込まれたいですよね。


好きなことをして、うんと楽しく生きたい

——現在はデイサービスを利用されているようですね。

森永 週に2、3日は行っています。ショートステイも利用しています。迎えに行くと、スタッフの方とすごく仲が良くて、楽しそうにしています。

——人気者なのではないですか。

蛭子 いやー、なかなか笑わせることができなくて。やっぱりちょっと笑ってもらいたい。
森永 そこでも笑わせたいんですね(笑)。プロ意識ですね。

——最後に、認知症になっても楽しく暮らす極意をお願いします。

蛭子 食べることと、子どもたちの遊ぶ姿を見るのが好きなので、好きなことはずっとやっていきたい。認知症になっても、うんと楽しく生きたいです。

——蛭子さん、森永さん、きょうはありがとうございました。

森永 ありがとうございました。
蛭子 森永さんありがとう、本当に。

インタビューを終えて 佐治真規子
いつもテレビのバラエティー番組で拝見していたので、初めましてなのに、以前からの知り合いのような気持ちでおりました。蛭子さんを理解して支える森永さん。お二人の姿に心がほんわか温かくなりました。早くもまた会いたいです! 蛭子さんが『サンデー毎日』に描いてくださった似顔絵、家宝にします。

 ※この記事は、2022年6月14・21日放送「ラジオ深夜便」の「認知症になっても、オレはオレ」を再構成したものです。
構成/小林麻子(トリア)

(月刊誌『ラジオ深夜便』2022年10月号より)

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