2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」とはまったく別の視点で、平安時代末期を描いたのが2012年大河ドラマ「平清盛」だ。その放送時に、NHKウイークリーステラにて人気を博した歴史コラム、「童門冬二のメディア瓦版」を特別に掲載!

つわもの(兵)は東国にかぎる
といったのは、幕末の京都の治安の一端をになった新選組局長近藤勇です。近藤の言葉の裏には長い歴史的事実があります。

・東国の武士は馬を武器にしていること
・合戦で馬上からの騎射が得意であること(これは現在でも鎌倉鶴岡八幡宮などの名物行事〝やぶ〟として残っています)
・戦場で親は子の遺体を乗りこえ、子は親の遺体を乗りこえて敵と戦う勇猛心をもっていること(これに対し平家の武士は、死者の葬礼を手厚くおこなってから戦う、とある東国武士が皮肉っています)

この東国武士の精神の原型は 源頼義や義家などが、古い時代に奥羽地方で実践したものです。前九年の役や後三年の役でその本領を発揮しました。

このころ奥羽地方に住む人々は〝エビス(蝦夷)〟などとよばれ、都の人々にさげすまれていました。中国の〝中華思想〟が日本でも定着していたからです。中華思想というのは、

・自分の国(そして国民)が世界でいちばん文明がすすんでいる
・まわりの国は劣り、野蛮人の国で、エビスの国である。東のエビスを東夷、西を西せいじゅう、南を南蛮、北をほくてきという

この思想が日本にはいり、都(清盛の時代は京都)が〝中華〟と考えられました。奥羽地方は、都の政治・経済、文化の影響がおよばない〝エビス〟の国と断定され〝みちの奥 (〝陸〟は都の影響をうける地域)〟とよばれました。ですから〝みちのく〟というのは、中華である中央(都)からみた地方の蔑称です。

イラスト/太田冬美

この名残はいまでも交通機関の〝上り、下り〟といういいかたに示されています。いまの中華は東京です。

義経が奥羽の平泉で秀衡のせわになっているころは、まだまだこの東北蔑視はさかんでした。都の公家たちからみれば秀衡も、「エビスの頭領・しゅうの子孫」という位置づけなのです。義経は、

・奥羽はエビスの国ではない
・自分の先祖頼義や義家は共存の道をひらいた。地域には源氏の影響が根づよい
・これをもういちど復活させよう。それには兄頼朝に従って平家をほろぼすことだ と決意したのです。

(NHKウイークリーステラ 2012年12月7日号より)

1927(昭和2)年、東京生まれ。東京都庁に勤め、広報室長、企画調整局長、政策室長などを歴任。退職後、作家活動に入り、歴史小説家としてあらゆる時代・人物をテーマに作品を発表する。