2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」とはまったく別の視点で、平安時代末期を描いたのが2012年大河ドラマ「平清盛」だ。その放送時に、NHKウイークリーステラにて人気を博した歴史コラム、「童門冬二のメディア瓦版」を特別に掲載!

清盛について昔から疑問に思っていることがあります。それは『平家物語』に書かれている“かむろ(禿)の利用”です。“かむろ”というのは子どもの髪形で、いわゆる“おカッパ頭”、または、その髪形をした子どもを指します。

『平家物語』には、「清盛は“かむろ”を300人そろえて、京の町を走りまわらせ、平家の悪口をいう者を密告させた(意訳)」とあります。“ホントかな?”とずっと疑っています。

それは、
・清盛の性格からいって“そんなセコいことをするだろうか”という疑問
・子どもがききこんだ悪口の信ぴょう性(子どもゆえに、ウソをつく可能性もある)への疑問
・誰が見てもすぐわかる姿(髪形のほかに赤いユニホームを着ていた)をしているので、見た人間は警戒してピタッと悪口をやめるはず
などと考えるからです。

ただ先学(先輩の研究者)によれば、「​遣​使がかむろを情報収集に使っていた」という考察があります。清盛は1161(応保元)年1月23日から、1162(応保2)年9月23日までの期間、検非遣使の別当(長官)を務めています。

かれのことですから、いままでやってきたことを、「そんなことはやめろ」とはいわずに放置していたのではないでしょうか。

ぼくは清盛は子ども好きだったと思っています。そんな清盛が、子どもをスパイに使うなどということをするはずがありません。情報収集は堂々とオトナを使っていたと思います。

ただ公家の中でも裕福でない人々の間では、オトナ同士で位や官職の高い低いで争いが起こり、それが子どもの世界にまでおよんでいた事実はたくさんあるようです。

イラスト/太田冬美

子どもの世界ではその争いが“イジメ”になってあらわれました。イジメられた子は、親にそれをいいつけます。すると今度は、その親がイジメた子の親をおとしめるため、「平家の悪口をいってます」と密告していたようなのです。

ドラマでもこれに似たような、お公家さんのジメジメした行動(足のひっぱりあい)を、イヤというほど見せられました。武士から太政大臣にのしあがった清盛が、悪口をいわれるのは当然です。

(NHKウイークリーステラ 2012年9月28日号より)

1927(昭和2)年、東京生まれ。東京都庁に勤め、広報室長、企画調整局長、政策室長などを歴任。退職後、作家活動に入り、歴史小説家としてあらゆる時代・人物をテーマに作品を発表する。