「平清盛」第34回のなかで、病気になった清盛は高熱におかされ夢を見ます。“もののけ(妖怪)”のような存在であった故白河法皇と、法皇に愛された白拍子・舞子の腹に宿った清盛自身の“出生のひみつ”の夢です。
生前の法皇から、
「そちにも、もののけの血が流れておるからじゃ!」
と、さんざんオドカされた清盛の脳の一角には、このことが消えないトラウマとしてきざみこまれていたのでしょう。
夢については、このころ(平安後期)の社会で重い意味をもっていました。単に個人の“心の動き”として否定するのではなく、社会現象や政治の動きと結びつけた問題にしたのです。実際に病気になった清盛が見たとされる夢は、歴史家によれば、
・清盛は賀茂大明神から宝の山をもらうが、もらっていいのかどうか大いに迷う
・すると春日大明神の使いがやってきて、宝の山は所有するのではなく、預かるという形にしたらどうかと助言する。清盛はこの助言に従う
というものです。これには深い政治的意味があります。天皇親政や上皇の院政は、皇室が直接政治をおこなう、ということで、藤原氏が専管してきた摂関政治を否定するものです。
当時、後白河上皇は一日も早く院政(天皇を後見する政治)をはじめたい、と考えていました。しかし清盛はユニークな上皇の性格を考えて、必ずしも歓迎していませんでした。このころは天皇も皇太子も幼なくて、どうしても院政が必要です。
そうなると後白河院政の独走をセーブする抑制装置が必要です。そこで清盛は摂関システムを利用しておぎなおうと考えたのです。それも藤原氏の専管に復するのではなく、平家が割りこみ、しかも主導権をにぎろうと策しました。
春日神社は藤原氏の氏神です。その使者が「賀茂大明神からもらった宝の山は預かれ」ということばにも意味があります。賀茂神社は王城(京都)鎮護のお宮です。
ですからこの夢は、
・いまの政局運営は清盛の思いどおりにしてもよい
・そのために藤原一族も清盛の指示に従って、協力を惜しまない(ようにさせろ)
ということになるのです。清盛はこの夢を大いに活(悪)用したと思います。
(NHKウイークリーステラ 2012年9月7日号より)
1927(昭和2)年、東京生まれ。東京都庁に勤め、広報室長、企画調整局長、政策室長などを歴任。退職後、作家活動に入り、歴史小説家としてあらゆる時代・人物をテーマに作品を発表する。