2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」とはまったく別の視点で、平安時代末期を描いたのが2012年大河ドラマ「平清盛」だ。その放送時に、NHKウイークリーステラにて人気を博した歴史コラム、「童門冬二のメディア瓦版」を特別に掲載!

頼朝が伊豆国(静岡県)に流されたのは1160(永暦元)年のことで、14歳のときでした。

伊豆の大島には、叔父さんの為朝が流人の先輩として暮らしていました。しかしうわさによれば、為朝は持ち前の武勇の力をふるって伊豆の島々を征服し、地域の豪族たちをおそれさせていました。そんなときに頼朝が流されてきたのです。

為朝の父為義は、保元の乱で敗れ死罪になりました。頼朝の父義朝も為義の子です。

平治の乱後、落ちのびる途中で横死しました。いずれも清盛とその一門の力が原因です。そこで伊豆から関東地方に散在する源氏系の武士たちは、
「為朝殿と頼朝殿を結びつけて源氏復活の中心になってもらおう」
という活動をおこします。

しかしこの活動は、為朝が平家側の討伐軍に討たれてしまったので、立ち消えになりました。そういえば、為朝が黒潮にのって琉球国(沖縄県)に脱出した、という伝説は以前ご紹介しましたね。

また、この活動に頼朝がそれほど乗り気だったとは思えません。
なぜなら青年期に達した頼朝は、〝MMK(「モテテ モテテ コマル」の頭文字)〟の真っ最中だったからです。

イラスト/太田冬美

京で生まれ育った頼朝は、もともと人を憎んだり敵とする気もちはそれほど強くなかった、と思います。のちの弟・義経への憎悪は、またちがったものです。

青年頼朝の恋の相手は、まず伊東すけちかの娘八重にはじまり、やがて韮山の地侍よしはし太郎入道の娘カメとねんごろになり、さらに北条時政の娘政子にアタックされます。

伊東祐親も北条時政も、このころ東国の武士に課された〝大番役〟として、京都で番犬の役割を務めていました。任期は3年です。

父親からみれば娘たちの行動は親の不在を利用したもので、頼朝はドロボー猫のように思えたことでしょう。

八重はみごもり千鶴丸という赤ん坊を産みます。さいわい彼女には祐清というやさしい兄がいて、この兄は妹と頼朝の愛にかなりの理解を示しました。

その後の頼朝の生きざまをみていると、大きなおせわですが、 ぼくは八重との恋愛時代が、頼朝にとってもっとも幸福な時代ではなかったか、という気がします。

(NHKウイークリーステラ 2012年8月10日号より)

1927(昭和2)年、東京生まれ。東京都庁に勤め、広報室長、企画調整局長、政策室長などを歴任。退職後、作家活動に入り、歴史小説家としてあらゆる時代・人物をテーマに作品を発表する。