俳優・柳生博さんが語る「懐かしい風景を未来へ伝える」(中編)の画像
コアジサイを見つめる柳生さんとスタッフ。
2022年4月16日に俳優の柳生博さんが逝去されました。在りし日の柳生さんをしのんで、月刊誌『ラジオ深夜便』2020年3月号に掲載され好評をいただいた記事を、3回にわたって紹介します。
柳生博さんは24歳で俳優デビューし、ドラマや司会者として活躍され、40代のときに家族で八ヶ岳の麓に移住。その後、荒れた森を再生し、その風景を楽しめるパブリックスペース「八ヶ岳倶楽部」をオープンしました。2019年11月に行われた「ラジオ深夜便のつどい」の講演会で、自然に囲まれた暮らしについてうかがいました。
聞き手 髙橋美鈴(NHK甲府放送局・当時)
(前編はこちらから)

長男のいじめを機に移住

——移住のきっかけは?

柳生 40歳ぐらいで人気が出て、忙しくて家になかなか帰れないわけ。久しぶりに帰宅したら、学校から帰ってきた真吾が頭から血を流しててね。僕のテレビをネタに、上級生からいじめられていたんだよ。このままだと、僕の家族が「とけていっちゃう」と悩みました。

そのとき思い出したのは、小さいころのじいちゃんの言葉。僕が悩んでいると「ぐじぐじするときは野良仕事をやれ」と野良仕事をさせた。すると、心がうそみたいにすーっと、体重が軽くなっていくようなね。だから家族をとかさないために、野良仕事をしようと思ったんだ。

なんで八ヶ岳かというと、柳生家には13歳になったら一人旅に出なさいという言い伝えがあって、地図を見るのが好きで等高線がぐねぐねしているのに興味を持って、八ヶ岳に来たんだ。当時も八ヶ岳の森はすばらしかった。タヌキやキツネや鳥とかがいて、自分も彼らとは同じだな、仲間だなと思った。

戦後すぐで、大学を出たけど仕事がない人が山で暮らしてて、駅で僕が寝てたら若い人に声をかけられてね。風呂や食事を用意してくれて、僕もじいちゃんに教わった農業のいろんなことを教えて。そこで大きなことを学んだよね。

柳生真吾さんのアルバム

2015年に亡くなった長男・真吾さんは園芸家として活躍、多くの八ヶ岳の風景を言葉とともに残しました。その一部をご紹介します。

柳生さんは真吾さんと一緒に作ってきた森の風景があり、そこに新たな命が生まれるのを見ると心の折り合いがついて、悲しくないとおっしゃいます。

「一見、まだまだ冬景色……でもね。シラカバの芽に変化がっ! 春はすぐそこ」
「コブシの花のアップ! こんなにキレイだとは僕も知りませんでした」
「梅雨の楽しみ! 見とれてしまう」
「タマゴタケは夏に生えるキノコです。まるでおとぎ話に出てきそう」
「春の花ヤマブキ。僕はつぼみが好きでして……。キャンドルみたいでいいですよね!」
「オオマシコ様!」

(後編へ続く)

柳生 博 (やぎゅう・ひろし)

1937(昭和12)年、茨城県生まれ。東京商船大学中退後、劇団俳優座の養成所に入所。俳優業のかたわら、1989(平成元)年、「八ヶ岳俱楽部」をオープン。2022年4月、85歳で永眠。

写真提供/八ヶ岳倶楽部 構成/金谷恵子 文/具志堅浩二
(月刊誌『ラジオ深夜便』2020年3月号より)

▼月刊誌『ラジオ深夜便』の購入・定期購読についてはこちらから▼
https://radio.nhk-sc.or.jp/