柳生博さんは24歳で俳優デビューし、ドラマや司会者として活躍され、40代のときに家族で八ヶ岳の麓に移住。その後、荒れた森を再生し、その風景を楽しめるパブリックスペース「八ヶ岳倶楽部」をオープンしました。2019年11月に行われた「ラジオ深夜便のつどい」の講演会で、自然に囲まれた暮らしについてうかがいました。
聞き手 髙橋美鈴(NHK甲府放送局・当時)
家族で「沈黙の森」を再生
——先ほど八ヶ岳から会場にいらっしゃいました。
柳生 僕の森は北側に八ヶ岳連峰があり、赤岳をちょっと下りたところ、標高1360メートル地点にあります。東の方に富士山が見えて、西の方に南アルプスが見えます。
——その森で行う雑木林の手入れ作業のことを「野良仕事」と呼んでおられますね。
柳生 昨日も高い木に登って枝打ちをしました。ロープで体をしっかり固定して、木と一緒に揺れるから、少々風が強くても全然危なくない。でも息子や孫、スタッフは「もう下りてください!」と何度も言って、よっぽど年寄りだと思ってんだね(笑)。
——この雑木林、元は人工林だったと聞きました。
柳生 約40年前ですね。長男の真吾が4年生、次男が幼稚園のとき。
間伐も枝打ちもされていないので光が入らず、中にはクマザサしか生えていませんでした。光が入らないから花を咲かせるほかの植物は育たず、花に寄ってくる虫も、虫を餌にする鳥も来ない。まさに「沈黙の森」でしたね。
大人の胸の高さくらいまであったクマザサも、1年に何度も切るうちに背丈が低くなる。すると光が入るようになって、スミレやマイヅルソウとかの植物も生えるようになる。虫や鳥もやってくる。実もついてくるといろんな生き物が集まってくる。だから沈黙の森は、今はにぎやかでうるせーよっていうくらい、い
ろんな生き物がいます(笑)。
冬は鳥の季節です。ロシアからオオマシコという赤い鳥が渡ってきます。白い雪の中、空から赤いオオマシコがふわっと降りてくる姿を見ると、うれしくなって赤ワインが欲しくなってくる(笑)。
4月になると、ムズムズと地面が動き出して、カタクリの芽がシューッと出てくる。あの興奮ってないですね。
——それが八ヶ岳での暮らしならではということなんでしょうか。
柳生 僕は孫が7人いましてね。朝寝てるとね、小さな孫が「じいじ、カサコソしよう」と僕のパジャマを引っ張るんです。森には、年中落ち葉が30センチくらい積もってて、踏むとカサコソと音を立てる。そこへ孫がガサーッと飛び込むんです。すごいね、子どもは。
(中編へ続く)
1937(昭和12)年、茨城県生まれ。東京商船大学中退後、劇団俳優座の養成所に入所。俳優業のかたわら、1989(平成元)年、「八ヶ岳俱楽部」をオープン。2022年4月、85歳で永眠。
♦八ヶ岳俱楽部ホームページ
http://www.yatsugatake-club.com/
写真提供/八ヶ岳倶楽部 構成/金谷恵子 文/具志堅浩二
(月刊誌『ラジオ深夜便 』2020年3月号より)
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