2022年4月16日に俳優の柳生博さんが逝去されました。在りし日の柳生さんをしのんで、月刊誌『ラジオ深夜便』2020年3月号に掲載され好評をいただいた記事を、3回にわたって紹介します。
柳生博さんは24歳で俳優デビューし、ドラマや司会者として活躍され、40代のときに家族で八ヶ岳の麓に移住。その後、荒れた森を再生し、その風景を楽しめるパブリックスペース「八ヶ岳倶楽部」をオープンしました。2019年11月に行われた「ラジオ深夜便のつどい」の講演会で、自然に囲まれた暮らしについてうかがいました。
聞き手 髙橋美鈴(NHK甲府放送局・当時)

家族で「沈黙の森」を再生

——先ほど八ヶ岳から会場にいらっしゃいました。

柳生 僕の森は北側に八ヶ岳連峰があり、赤岳をちょっと下りたところ、標高1360メートル地点にあります。東の方に富士山が見えて、西の方に南アルプスが見えます。

——その森で行う雑木林の手入れ作業のことを「野良仕事」と呼んでおられますね。

柳生 昨日も高い木に登って枝打ちをしました。ロープで体をしっかり固定して、木と一緒に揺れるから、少々風が強くても全然危なくない。でも息子や孫、スタッフは「もう下りてください!」と何度も言って、よっぽど年寄りだと思ってんだね(笑)。

枝打ちのため、見上げるほどの木にはしごで上る。

——この雑木林、元は人工林だったと聞きました。

柳生 約40年前ですね。長男の真吾が4年生、次男が幼稚園のとき。

間伐も枝打ちもされていないので光が入らず、中にはクマザサしか生えていませんでした。光が入らないから花を咲かせるほかの植物は育たず、花に寄ってくる虫も、虫を餌にする鳥も来ない。まさに「沈黙の森」でしたね。

大人の胸の高さくらいまであったクマザサも、1年に何度も切るうちに背丈が低くなる。すると光が入るようになって、スミレやマイヅルソウとかの植物も生えるようになる。虫や鳥もやってくる。実もついてくるといろんな生き物が集まってくる。だから沈黙の森は、今はにぎやかでうるせーよっていうくらい、い
ろんな生き物がいます(笑)。

カタクリは雑木林に春の訪れを告げる(写真左)/雪の中、花を咲かせるフクジュソウ
金平糖(こんぺいとう)のようなカルミア・サラ(写真左)/1枚1枚見ると愛らしい形のアオハダの葉
子育てに奮闘中のジョウビタキのお母さん(写真左)/警戒心が少ないリスは、まさに森の仲間
白から徐々に色を変えていくヤマアジサイ(写真左)/ジャムにするとおいしいフサスグリの実

冬は鳥の季節です。ロシアからオオマシコという赤い鳥が渡ってきます。白い雪の中、空から赤いオオマシコがふわっと降りてくる姿を見ると、うれしくなって赤ワインが欲しくなってくる(笑)。

4月になると、ムズムズと地面が動き出して、カタクリの芽がシューッと出てくる。あの興奮ってないですね。

——それが八ヶ岳での暮らしならではということなんでしょうか。

柳生 僕は孫が7人いましてね。朝寝てるとね、小さな孫が「じいじ、カサコソしよう」と僕のパジャマを引っ張るんです。森には、年中落ち葉が30センチくらい積もってて、踏むとカサコソと音を立てる。そこへ孫がガサーッと飛び込むんです。すごいね、子どもは。
(中編へ続く)

柳生 博 (やぎゅう・ひろし)

1937(昭和12)年、茨城県生まれ。東京商船大学中退後、劇団俳優座の養成所に入所。俳優業のかたわら、1989(平成元)年、「八ヶ岳俱楽部」をオープン。2022年4月、85歳で永眠。

写真提供/八ヶ岳倶楽部 構成/金谷恵子 文/具志堅浩二
(月刊誌『ラジオ深夜便 』2020年3月号より)

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