駿河屋市右衛門は、吉原の引手茶屋「駿河屋」の主人で、蔦屋重三郎(横浜流星)の育ての親。蔦重の商売に対する姿勢と才覚には一目置きつつも、厳しく接する駿河屋の本心はどこにあるのか? 演じる高橋克実に聞いた。
「忘八」と呼ばれる引手茶屋の親父たちだが、実は教養のあるインテリ
——駿河屋市右衛門をどういう人物だと考えていますか?
吉原の引手茶屋の大ボス、吉原を実質的に取りまとめている人物です。全てのことに口を出し、おまけにすぐに手を出す。息子を引きずり回して階段から突き落とすなんて日常茶飯事。台本を読んでいて「またやってるよ。何回突き落とすんだ?」とさえ思いましたが、挙句の果てには私自身も転げ落ちたりします(笑)。
何かというと誰かを殴っているけれど、重三のような身寄りのない子たちを大人になるまで養ってもいるから、人としては悪い人間じゃないんですよね。
——確かに“熱い”ところがありますね。
これは駿河屋だけじゃなくて、ほかの引手茶屋の親父たちにも言えることですが、単に「荒くれ」だけではないことが、物語が進むと見えてきます。
親父たちの集まりにはいろいろな趣向があって、例えば猫の品評会があったり、お茶の会があったり。お茶を点てるのも、きちんとお点前ができる人たちで教養があるんですね。だから殴る蹴るが日常茶飯事であったとしても、その素顔はかなりのインテリでもあるということを、現場をやりながら勉強させていただいています。
——当時の吉原には、文化的サロンとしての側面もあったようですね。
吉原に通う人は、あらゆるものに精通している“粋人”で、粋が何かを理解していたのだと思います。当時の吉原は、江戸の中では下に見られて差別されてはいたけれど、さまざまな文化の発信地でもあったことがわかります。
ただ、駿河屋を含めて引手茶屋の親父たちは、やっぱり“忘八”なんですよね。女郎たちに対しても「かぼちゃを食ってりゃいい」などと平気で言って、言葉の綾でなく心底そう思っている。だから8つの徳(仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌)を全部忘れて、堂々と「俺たちは忘八だから」と言い放っているんですね。
笑わない駿河屋が、どこでどんな風に笑うかがポイント
——蔦重を階段から落とすシーンは大変そうですね。
最初の撮影から、重三を殴る蹴る引きずりまわすの連続だったのですが、あれは引っ張るほうよりも引っ張られるほうが大変なんです。
でも、(横浜)流星くんはプロ・ボクサーのライセンスまで持っているので、「大丈夫です! 克実さんの好きにやってください」と明るく言ってくれて……。流星くんには圧倒的な力強さとオーラがあって、いつも「大丈夫、大丈夫」という言葉を聞きながらやっています。
この親子関係は、時代物ならでは、と思います。昨今は、ドラマでの殴る描写も、なかなか難しくなっていると思いますが、それを裏拳で鼻血を出させたり、2階から投げ飛ばしたりするので、監督に「これは大丈夫なんですよね?」って確認すると、「時代劇ですから」と……。
また、忘八たちはみんな煙管を持っています。今はドラマの中でタバコを吸うシーンも滅多にないのに、これも「時代劇だから」で成立するんです。今は、来る台本、来る台本、時代劇と現代との“不適切加減”を比較しながら、それも楽しんでいます(笑)。
——駿河屋を演じる際に気を付けていることはありますか?
芝居の中で、駿河屋が笑うところをどの辺に持ってくるか、どう笑うかがポイントだと思っています。ほとんど笑っていません、駿河屋は。ちょっと愛想よい感じになると、監督から「そういうのはまだいらないです」と言われて……。
チーフ演出の大原(拓)さんとは連続テレビ小説「梅ちゃん先生」でご一緒させていただきましたが、確かに、そのときもほとんど笑いませんでした。大原さんは、駿河屋の笑顔を封じることで、育ての親としての“圧倒的自負心”を持たせたいのだと思っています。
駿河屋は重三に対して厳しく接していますが、表に出さないところで実の息子以上にかわいがっています。重三の人当たりの良さや垣間見せる才能を感じ取っているからでしょう。でも、そういう優しさはストレートに出さない方がいいのかな、と思っています。
引手茶屋は男ばかりなので、花魁道中を見たときはテンションが上がりました
——次郎兵衛(中村蒼)は実の息子ですけど、蔦重との向き合い方と差をつけていますか?
血が繋がっていようが繋がっていまいが、商売に関しては「こうやれ、ああやれ」ではなく、「見て盗め」という師弟関係みたいなところがありますね。それに、(中村)蒼くんが「いい感じのバカ息子」を演じてくれているので、ちゃんと見て学べよ、と……(笑)。
——横浜流星さん、中村蒼さんに対する印象は?
流星くんは、主役として、みんなを引っ張る力がものすごくあります。遅い時間になればなるほど元気になって、周りがくたびれかけてきたときも颯爽と現れて、顔がキラキラ輝いています。主役のテンションが高いと、周りも巻き込まれて高揚してきますよね。
蒼くんも同じです。僕らが若いころを振り返ってみても、今の若い俳優さんは素晴らしいですね。一緒に芝居をしていて、とても気持ちがいい。それにしても、蒼くんみたいな二枚目が僕の実の息子なんて、皆さん、納得できますかね(笑)。
——役作りの話などをされることもありますか?
特にありませんが、現場でのやりとりが面白いですね。
例えば、第3回の冒頭で、重三が勝手に「吉原細見」の改をやったことを怒って、駿河屋が重三をボコボコにするシーンがありました。そこで、本番のとき壁に掛けられていた柄杓が落ちてきて、戻すわけにもいかないので、とっさに柄杓でバーンって殴ったら、OKになりました。
現場では、こういう突発的なことがあっても、うまく良いほうに転がっていくことがあって、事前に段取りを細かく話すより、その対応で生まれるものが面白いんですよね。
——撮影中、特に印象に残ったシーンは?
花魁道中です。駿河屋は引手茶屋だから男が多くて、艶やかなシーンがありません。初めて花魁道中を見たときは、テンションが上がりました(笑)。前に進むだけでも大変な動きなのに転ばないんですから、本当に見事でした。皆さん、相当稽古を積んだんだろうな、とわかりました。
それに、見物客やら店の人間、茶屋の2階にも人がいて、その大人数をどう配置して、どう動かすか、大変な撮影現場でした。合戦シーンだと敵味方それぞれどう動くか、ある種のルールがあるのですが、花魁道中の見物客にそんなルールはないので、スタッフも口々に「合戦シーンを撮るより難しい」と言っていました。
平穏な江戸時代中期を、どこに焦点を当てて描くのか、出演者としても楽しみ
——大河ドラマは「龍馬伝」(2010年)以来ですね。
その前にもう1作、若いころに「花の乱」に出演しました。小林幸子さんが演じる遊女屋の女将に食ってかかる、百姓一揆のリーダー役で。
記録にも残らないような小さな役ですけど、出演が決まったときはうれしくて、親にも「大河に出るよ!」と連絡して張り切って現場に行ったら、一揆だから覆面をしているんです。途中で取ろうとしたんですけど、監督さんが「覆面をとったら一揆のリーダーだとバレるじゃないか!」と、取らせてもらえませんでした(笑)。
——「龍馬伝」と比べて撮影の進め方などで変わったところはありますか?
「龍馬伝」自体がぶっ飛んだ作品だったと思いますし、王道の大河ドラマの撮影を知らないので比べようがないんですが、「べらぼう」もセットの背景が巨大なLEDの映像という、かなり斬新な現場です。
——江戸中期の文化を描くことについて、どう思われますか?
戦のない平穏な時期ですからね。江戸の庶民文化が花開く様を長期間にわたって描くために、どこを核にもってくるのかが楽しみです。
「こういう人が絵を描きました」「こんな本が出ました」「田沼意次や平賀源内はこういう人でした」だけなら、歴史の授業で習いますからね。それを、人の生き様であったり、欲や業であったり、時代の大きな流れであったり、どこを焦点に描かれていくのかに、出演者としても、とても興味がわいています。
——物語全体の印象についてはいかがでしょう?
僕が小学生のころに、平賀源内を主人公にした「天下御免」というドラマがNHKで放送されていました。金曜8時の放送で、早坂暁さんの脚本で、山口崇さんが主演で、林隆三さんや秋野太作さん、中野良子さんが出演されていて、それがまた、ぶっ飛んだ時代劇だったんです。
田沼時代の話なのに、登場人物が現代の銀座の街を歩いていたり、当時の都知事がゲスト出演して公害問題を語ったり。それこそ王道時代劇をぶっ壊していく感じの作品で、こども心に「なんだ、これは!」とワクワクしながら見ていました。そのときに味わった興奮を、この「べらぼう」の台本を読んでいても感じています。
蔦屋重三郎が江戸幕府をひっくり返したという特別な話ではないんですよね。言ってみれば、本を出版しただけなわけですが、そんな蔦重に焦点を当てて大河ドラマを作るというのは、「天下御免」と同じようにチャレンジングで、新しい時代劇であると同時に、斬新な大河ドラマになるのではないかと、ワクワクしています。
一方で、時代考証は徹底的にしていて、花魁道中の並び順にしても、史実に忠実にやろうとこだわっています。そのうえで、壊すべきところはぶっ壊す。そんな気合いを持って現場スタッフはやっていますし、出演者もその意気込みに応えようと全力で向き合っています。ぜひ楽しんでご覧いただけたらうれしいです。