戦後に出会った洋画の世界に引き込まれ、字幕翻訳者となった戸田奈津子とだなつこさん(88歳)。『地獄の黙示録』註1をはじめ、これまで1500本以上の洋画の字幕翻訳を担当し、来日したハリウッドスターら映画関係者の通訳も務めてきました。今も現役で活躍中の戸田さんに、これまでの道のりをお聞きしました。

註1 ベトナム戦争下のジャングルを舞台に戦争の狂気を描いた作品。第32回カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールを受賞。

聞き手/川﨑理加

この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2024年11月号(10/18発売)より抜粋して紹介しています。


巨匠の鶴の一声で字幕翻訳者に

――なぜ映画字幕翻訳者の道を選ばれたのでしょうか。

戸田 学生時代、私の生活は映画中心で、それにつられるように英語の勉強をしていました。大学生のときに、「自分の好きな映画と英語の両方を生かせる仕事はないかな」と考えて、頭に浮かんだのが映画の字幕翻訳者だったんです。映画が見られて英語も使える。これぞ私の進むべき道だと思いました。それから先は大変でしたけどね。

――それはどういうことですか?

戸田 当時も今も変わりませんが、映画の字幕翻訳は特殊な業界でね。翻訳者は10人もいれば十分。それで日本で公開されるすべての洋画に字幕がつけられるわけですよ。そんな状況で、大学でちょっと英語を勉強したくらいの子を入れてくれるわけがないでしょ? だから大学を卒業してから字幕翻訳者になるまで、約20年も待つことになりました。

周囲からは「ほかの仕事を考えたら?」とも言われましたが、「この仕事こそ私の天職」と直感していたので諦めずに頑張り、幸いにも初志貫徹することができたんです。

――字幕翻訳者として本格的にデビューされたのが、1980年日本公開の『地獄の黙示録』。どういういきさつでこの仕事を担当することになったんですか。

戸田 私が30歳を過ぎたころから、洋画の関係者が宣伝のために来日するようになりました。そのころは、映画の知識があって英語を話せる人が少なかったせいか、あるとき映画会社の人から「記者会見で通訳してほしい」と頼まれまして。

経験もないし、望む仕事ではないので戸惑いましたが、「断ると字幕の仕事、もらえなくなるかな」と思っちゃってね。それで、来日した映画関係者の通訳の仕事を始めました。

いろんな方の通訳をしましたが、その中の一人がフランシス・フォード・コッポラ監督だったんです。『地獄の黙示録』の撮影中にコッポラ監督の通訳を務め、非常にご信頼いただきました。

そして、私が字幕翻訳の仕事を志望していることを知っていた監督が、映画完成後に「彼女に字幕を」と推薦してくださったの。コッポラ監督は『ゴッドファーザー』でオスカーをお取りになっていた巨匠。その鶴の一声でお仕事をいただけたんです。


理想は“透明な字幕”

戸田 字幕を作るのにいちばん重要なのは感情に訴えること。人間には感情があり、しかもお芝居なんですから、心に訴えるせりふを作らなければいけません。泣けたとか笑えたとか、感情が反応するのがよい映画なんです。理想的なのは、映画を見たあとに観客の頭に字幕を読んだ記憶が残らないこと。出演者のせりふを直接理解できたと錯覚するような字幕、それがいちばんいいと思っています。

※この記事は2024年7月23日放送「貫き続ける“翻訳”への信念」を再構成したものです。


戸田奈津子さんのお話の続きは月刊誌『ラジオ深夜便』11月号をご覧ください。

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