この原稿を書いているのは7月7日。七夕であり東京都知事選挙の投開票日であり私の「深夜便」担当日でもありますが、子どものころは裏の神社の夏祭り、小遣い握って夜店で輝く境内を巡る、年に一度の楽しい一日でした。
さあ大人になっての一番の思い出は、昭和49年の7月7日、NHKの入社試験日でした。7月1日の試験解禁と同時に放送局5社を受験。アナウンサーは音声試験を通らないと筆記や面接などに進めないところが多く、7月1日の関西の民放の試験は「サウナ」店のコマーシャルを読みましたが、これまでアナウンスの経験ゼロの素人です、数時間後の結果発表には当然名前はありませんでした。
次は東京のラジオ局、前日は女性の試験日で、受験したゼミの友人から「とにかく試験場に入ったら大きな声で番号と名前を言う」との秘策(?)を聞き、その通りにしてすんなり合格! しかし翌日の二次試験は「スポーツ架空実況を3分」というもので、私は30秒で絶句、敗退。3社目は体調不良で敗退。いよいよ迎えた4社目のNHK。午前の筆記試験を終えると午後は音声テスト。5階の食堂で昼食を済ませ、隣の505スタジオで待機。
よもや40年後、自分がここで「きらめき歌謡ライブ」を担当するとは誰が想像したでしょう。別スタジオでの原稿読みでは、ガラスの向こうの調整室にTVで見たアナウンサーが。「君は鼻濁音*が出るような出ないような……」と言われながらも何とか通過。このとき、すでに各社の試験で顔を合わせ「また会ったネ」と話す連中も。
同期のアナウンサー、日曜の「深夜便」前後にニュースを読む末田正雄、元「深夜便」アンカー・三宅民夫、報道一筋の川端義明、この3人は昭和44年NHK杯全国高校放送コンテストで上位入賞の実力者、つまり高校時代からの顔見知りでした。研修中、私と同じ“素人”の高橋淳之アンカーから「ねえ徳田、どうして彼らはあんないい声で上手に読めるの?」という疑問ともぼやきともつかないひと言も。あれからちょうど50年が経ちました……。
(とくだ・あきら 第1・3・5日曜担当)
* ガ行の濁音を鼻に抜き、“んが” “んぎ”のように発音するもの。 語頭以外のガ行音や助詞の「が」がそれにあたる。
※この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2024年9月号に掲載されたものです。
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