コンビを組んで45年、夫婦漫才の第一人者として上方のお笑いをけん引してきた宮川大助・花子さん(75歳・70歳)。花子さんの腰椎にがんが見つかったのは2018(平成30)年でした。放射線治療で一時は回復へ向かいますが、翌年多発性骨髄腫と診断。介護を担い、支えてきたのは夫の大助さんです。舞台復帰を果たすまでの困難の日々と、これからについて語っていただきました。
聞き手/比留木剛史
この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2024年11月号(10/18発売)より抜粋して紹介しています。
死の淵から、奇跡的に回復
――花子さんのご病気で4年間のブランク。昨年、漫才の舞台に復活されました。
花子 ありがたいことです。やっぱり私たちは漫才師だと再認識しましたね。こんな幸せなことないですわ。ねえ、あなた。
大助 うん。だけど抗がん剤投与の後遺症があって、今でも体調がいつどこで変わるか分からないんです。これまで2回救急車で運ばれています。完治はしないので、化学療法でまあまあ頑張ってくれているんですよ。
嫁は宝物。介護で教わる優しさや慈悲
――今は自宅療養で、大助さんが24時間介護されているそうですね。
大助 もう4、5年、嫁はんの介護ベッドの横のソファーベッドで寝てます。僕は今、嫁はんからとんでもない宝物をもろうてる最中なんです。嫁はんの体が弱くなることで、優しさとか慈悲や徳を、僕に教えてくれてるわけです。嫁はんの便も両手で受けてますからね。排泄は毎日の健康のバロメーター。人間が生きている証しです。それを嫁はんから教わってるわけですよ。
花子 他人が聞いたらおかしい会話です。「出てる? 出てる?」「出てるで。もうちょっと頑張って。よし少し力入れ」「うん、いけてる?」「いけてる、いけてる」言うて。
大助 「今日も出ーてる元気な便が~、健康のあーかしだー」って歌ってな(笑)。
花子 私ら、おかしいな(笑)。
――ご自宅で介護するのは、なかなか難しいこともあるのでは。
大助 介護の9割は僕がやってますが、残りの1割は娘も手伝います。花子のお姉さんも2、3日に1回、お総菜を作って持ってきてくれる。もちろんリハビリの先生、介護士さんなどプロの方にもお世話になってます。
――介護を続けていく中で花子さんへの気持ちに変化はありましたか。
大助 大助・花子という漫才師としての人生を45年送ってきましたが、嫁はんが倒れて初めて、本名の松下孝美と美智代になりましたね。
――以前のインタビューでは、帰宅しても大助・花子のままだとおっしゃってましたが。
大助 そういう感覚がだいぶ消えました。昔、寝ても覚めても漫才のことで頭がいっぱいだったころ、先輩のいくよ・くるよ姉さんに説教されたことがありましてね。「大坊、花ちゃんはあんたにとって何や分かるか? 宝物や」って。ほんで「子どもも宝物や。こんなええ宝物2つ持っとって、漫才が宝物とは違うぞ。勘違いするな」って怒られたことがあった。
それが今、骨身にしみてます。嫁はんに無理をさせ続けてストレスでがんになって。だから今、僕が面倒を見てるなんて言うのは、おこがましいくらいです。大切な宝物。嫁はんがいなくなった世界には、1日たりともようおらんでしょうね。
※この記事は2024年8月3日放送「生かされている感謝を夫婦漫才で伝えたい」を再構成したものです。
「嫁はん漫才師、僕は介護士⁉」たびたびの危機の中でのお二人ならではのエピソード、大阪での舞台復帰、そしてこれから目指す漫才とは......。宮川大助さん、花子さんのお話の続きは月刊誌『ラジオ深夜便』11月号をご覧ください。
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