2019(平成31)年、世界で初めて全盲でありながら、ヨットで無寄港の太平洋横断に成功した岩本光弘さん(57歳)。幼少期は弱視でしたが、16歳のときに視力を失い絶望感にさいなまれます。そこから生きる希望を見つけ、太平洋横断に成功するまでには多くの苦難を乗り越えてきました。見えないことを理由に、挑戦することを諦めたくない、と語る岩本さんにお話を伺いました。
聞き手/黒氏康博この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2024年10月号(9/18発売)より抜粋して紹介しています。
――生きているのがつらいと思われたこともあったとか。
岩本 生活のすべてを誰かにお願いしなければならない、これでは誰かの迷惑にしかならない。いっそ死んでしまえば、誰かに迷惑をかけることはないと思ったんです。それで海に飛び込もうとした。
ところが、橋の欄干に両手と右足をかけていざ飛び込もうとすると、力が入らない。いつもはきれいな海がひどく荒れて、ゴーゴーと音がしている。何度やっても力が入らず、そのうち疲れて近くの公園のベンチで寝てしまった。
すると夢に、自分をかわいがってくれていた亡くなったおじが出てきて「見えなくなったことには意味がある。見えないお前がいろんなことに挑戦することで、見える人にも勇気と希望を与えることができるんだ」と言うんです。
目が覚めたときは、“目の見えない自分が誰かの役に立つ?”と意味が分からなかった。でも、とにかく「死んじゃいけないんだ、生き続けよう」と。それだけを思って、家に帰りました。
――2013年、太平洋横断に挑戦されますね。
岩本 ヨットは風さえあればどこへでも行ける、ならば世界一大きな太平洋を渡ってみたいと思うようになりました。自分のやりたいことを大切にしたい。見えないことをやらない理由にはしたくなかった。
でも自分一人では無理だから、誰と一緒に挑戦しようかと考えたときに、ニュースキャスターの辛坊治郎さんもヨットで太平洋を渡りたいと言っていると耳にして、お願いしました。
――福島の小名浜港から出発して、5日目までは順調だったんですよね。
岩本 はい。2、3日は順調で、4、5日目から台風崩れの低気圧に遭いました。そして6日目の朝7時過ぎ、突然、ドーン、ドーンと船底から突き上げられるような大きな音がして、船が横倒しになった。すぐに鯨だと思いました。船に穴が開いて水が入ってくるんじゃないかと。
案の定、床板の下から水の音がし始めた。「辛坊さん、浸水です」と辛坊さんを起こして救命いかだに乗り移り、海上自衛隊に救助されるまで、11時間漂流しました。
救助され、厚木基地に着いたのは夜の10時半。救難飛行艇のタラップを下りていくと、真っ暗な中、全盲の私にも見えるんじゃないかというぐらいのフラッシュがたかれた。いろんなメディアにたたかれ、SNSでもバッシングを受けました。いちばんきつかったのは「見えない人間にとって安全なのは家にいることだ。一生家から出るな」という言葉。
※この記事は2024年6月18日放送「見えないからこそ、生きられる」を再構成したものです。
「見えないからこそかなえられる夢」岩本光弘さんのお話の続きは月刊誌『ラジオ深夜便』10月号をご覧ください。
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