中村なかむらばいじゃくさん(68歳)は親子三代続く役者一家に生まれ、幼いころから役者になる道を歩んできました。今では、その卓抜した演技力で、テレビや映画など多方面で活躍する一方、中学時代からポップスやロックなどの音楽に夢中になり、ベーシストとしても活動しています。還暦を過ぎてなお、梅雀さんは舞台や音楽に常に挑み続けています。

聞き手/鈴木由美子この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2024年10月号(9/18発売)より抜粋して紹介しています。


DNAの半分は音楽で成り立っている

――役者の修業をしながら、好きなこともされていたんですよね。

梅雀 母がクラシックのピアニストなので、いつもクラシック音楽とピアノの音が耳に入っていて。その影響は絶大でした。まさに僕のDNAは半分以上が音楽で成り立っていて、体の中から自然に音楽が湧いてくるような感じでしたね。

母にピアノも習ったのですが、まるで音楽学校のように教え方が厳しいんです。最初は基礎練習ばかりみっちりやるので、すっかりやる気をなくし、とうとう母もさじを投げました。結局、譜面を読む段階までいかずに年月がたってしまいました。ただ音楽は好きで、小学生の間はクラシックばかり聴いていましたね。

――それがロックに変わっていった。

梅雀 中学校に入ると、休み時間に放送部の先生がビートルズとかビー・ジーズなど、自分が好きなイギリスのヒット曲を流すんです。その影響で、中学生から突然ポップスばかり聴くようになりました。


役者になるために徹底修業

――高校卒業後は、おじい様たちが立ち上げた前進座には行かず、大学で演劇コースに進みました。

梅雀 高校卒業後にすぐ前進座*1に入ることを、祖父が止めたんです。入ったら一年中舞台ばかりで、それまでやってきた日本舞踊や長唄が体から離れていく。修業を積んで、体から抜けなくなるまで上達してから前進座に入るということで、短大卒業後の4年間は徹底した修業生活でした。

そして名取になり師範をとったころに、前進座の創立50周年の記念公演があり、そのタイミングで入団。親子三代が舞台を踏むときに、曽祖父の中村梅雀という名前を継ぎました。


人間味あふれる刑事役

――前進座でも俳優として活躍され、テレビにもたくさん出るようになった。梅雀さんといえば刑事役ですね。

梅雀 一見、正義の味方風。でも実はラスボスだった、みたいなのが最近は多いです。すごい辣腕らつわん刑事からだめだめ刑事まで、さまざまな役をやりました。

――どこか人間味あふれる役が多くて、そこは人柄が出ていますね。

梅雀 私には、そういう役どころが求められるようです。刑事として犯人を捕まえるだけではなく、人情深く寄り添い、説得するとか、そういう芝居を大事にしています。

――同じ刑事ものでも、梅雀さんだとほっとしながら見ています。

梅雀 最近は人間じゃない、怪獣とか猫の役もあって、うれしくてしょうがないです。

*1 1931年5月22日に三代目中村翫右衛門、四代目河原崎長十郎らが創立した、東京都武蔵野市を本拠地とする日本の劇団。

※この記事は2024年7月3日放送「役者一家に生まれて…」を再構成したものです。


味のある刑事役としておなじみの梅雀さん。歌舞伎一家に生まれ、どのように俳優の道を究めてきたのでしょうか。ベーシストとしての活動や今後の夢など、お話の続きは月刊誌『ラジオ深夜便』10月号をご覧ください。

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