石川県・能登地方に伝わる麻の織物「能登じょう」。やまざきさちさん(88歳)・ゆたかさん(64歳)親子は、創業から130年余り続く能登上布の唯一の織元です。地域が育んだ伝統の織物を次世代に受け継ごうと、能登半島地震での被災を乗り越え歩み続けています。

聞き手/バーランド和代この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2024年8月号(7/18発売)より抜粋して紹介しています。


――昭和の初期、石川県は麻織物の生産量が全国1位だったそうですね。

 はい。最盛期は120軒以上の織元がありました。やがてごうせん(合成繊維)織物の普及や洋装化に押され、1982(昭和57)年ごろには一軒だけになりました。

――周囲の織元が次々と畳まれて、ご苦労もあったのでは。

幸子 二代目である義父は、「最後の一軒になっても守る」という考えでした。三代目の主人も「こんなよいものは残さないと罪だ」と新たな技術を取り入れつつ、反物を現代の日本人の体型に合う幅にしたり柄を工夫しました。でも当時の支払いは手形で現金が入ってきません。機織りだけではやっていけず、ねん業(細い生糸をより合わせること)も始めてどうにか続けてこられました。

伝統の文化を次世代に

――そして息子の隆さんが四代目を継がれたんですね。

幸子 年を取ったら「もうやめんならん」と思っていましたので、ありがたいことです。

――今年1月の能登半島地震で被害を受けられたとか。

 工房や機械の一部が壊れ、職人さんも被災しましたが、取引先や知人、お客様から温かい応援や物資などが届き、本当に元気をいただきました。

――今後の目標は?

 最近は県外からの若い織り子も増え、技術継承できることがありがたいです。伝統は守りつつ、能登の自然を絣で表現するなど、新たなことにも挑戦したいですね。

※この記事は2024年4月19日放送「能登の美しさを手織りで発信したい」を再構成したものです。


能登上布織元である山崎幸子さん・隆さんのインタビューの続きは月刊誌『ラジオ深夜便』8月号をご覧ください。能登上布の魅力や、最後の一軒になった工房への思いなど​を語っています。

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