朝ドラ見るるです。
今週の放送で出てきた、河原で日本国憲法に涙するトラコ(寅子)の姿──そう、第9週にして、第1回冒頭のシーンが回収されました。
4月の時点(コラム第1回「『憲法第14条』はドラマのツボ!?」)では、あれが愛する夫・優三さんの死に向き合ったトラコ再起のシーンだなんて思いもしなかった……。意を決した表情で司法省へと乗り込んでいった理由も、今ならよくわかります。
トラコのモデルである三淵嘉子さんは、「私の人間としての本当の出発は、敗戦に始まります」とおっしゃったそうで、だから「本当の出発」を象徴して、こういうドラマ構成なんだなあ、と噛みしめてます。
優三さん以外にも、「俺にはわかる」の兄・直道さん、ちょっと頼りない父・直言さんまで、大切な家族が相次いで亡くなる過酷な展開で、トラコの気持ちを思うと胸が苦しい……。
三淵さん(旧姓・武藤さん)の実際のご家族は、どうだったんだろう? 清永聡解説委員に聞いてみました。
トラコのモデル・三淵嘉子さんは5人きょうだい、4人の弟がいる長女だった
見るる 清永さん、三淵嘉子さんのご家族について、特にお父様のことは、以前に詳しく教えていただきました(コラム第5回「直言さんが逮捕された“共亜事件”って創作? 事実? どっちどっち?」)。今回は、そのほかの家族の皆さんについても教えてほしいんです。
清永さん そうですね、ただ、実際の嘉子さんのご実家・武藤家とドラマの猪爪家は、まったく一緒というわけではないんですよ。もちろん、参考にはされていますが。こちらの写真をご覧ください。
清永さん 麻布笄町(現在の港区西麻布四丁目)にあった武藤家で撮られた家族写真です。右端に立っているのが嘉子さんですね。そして上段がご両親、武藤貞雄さんとノブさん。ちなみに貞雄さんは子どもの時に武藤家へ養子に入っています。お二人とも香川県丸亀市のご出身でした。
見るる あとは、みんな男の人ですね。ドラマより数が多いような……。
清永さん そうですね。下段、右から3番目のスーツを着た男性。この方が、嘉子さんの最初の夫である和田芳夫さんです。
見るる 元書生だったという……真面目で優しそうな雰囲気の方ですね。
清永さん 実際にとても優しい人だったそうです。嘉子さんと芳夫さんが結婚したのが1941(昭和16)年11月。しばらく2人は池袋で暮らしていたそうです。お子さんが生まれたのが1943(昭和18)年1月。その2年後の1945年(昭和20)1月に、芳夫さんは召集されます。
清永さん ところが、もともと身体が弱かった芳夫さんは戦地の中国で発病。終戦後も入院していて、すぐには帰国できませんでした。帰国船に乗れたのが1946(昭和21)年のこと。その間、武藤家では芳夫さんの行方はわかっていませんでした。
見るる ということは、そのあとは、無事に戻ってこられた……?
清永さん 船内で病状が悪化して、帰国後すぐ長崎の陸軍病院で亡くなりました。危篤の電報を受けた嘉子さんが長崎に駆けつけた時には亡くなった後だったとか。
嘉子さんの弟さんは、「とても仲がいい夫婦だった」とおっしゃっていましたよ。ドラマのように「社会的地位」という目的ではなく、むしろ嘉子さんの方が芳夫さんを好きだったのだそうです。
嘉子さんたちは、子どもが生まれてからは武藤家で一緒に住むようになり、ご両親もとても初孫をかわいがって、笑顔が絶えなかったと。
見るる 芳夫さん、家族写真の真ん中にいるってことは、きっと武藤家になじんでいたんですね。ところで、他の4人はどなたでしょうか?
清永さん 嘉子さんの弟さんたちです。左から順に三男・晟造さん、次男・輝彦さん、長男・一郎さん。そして芳夫さんを飛ばして嘉子さんの隣にいるのが、四男・泰夫さん。
見るる 嘉子さん、弟4人の5人きょうだいだったんですね!
清永さん 私が実際に会ってお話を聞くことができたのは、四男の泰夫さんです。当時は90歳近かったのですが、たいへんお元気で、「きょうだいの中で一番優秀なのが姉でした」と話していました。
末っ子の泰夫さんといちばん上の嘉子さんとでは、10歳ほど歳が離れていることもあり、泰夫さんにとって嘉子さんは、もう一人の「お母さん」のような存在だったそうです。
見るる 確かにこの写真でも、伝わってきます。泰夫さん、ちゃっかり嘉子さんと芳夫さんの間に入ってますもんね。きっと嘉子さんが大好きだったんだなあ。ちょっと、トラコと直明の関係に似てるかも。
清永さん 直明の年齢設定は、泰夫さんに近くなっています。泰夫さんのイメージを中心に、嘉子さんのきょうだいの「弟」的な要素を集めて生まれたのが、ドラマの直明というキャラクターだと思います。
そして、泰夫さんが言うには、「武藤家のきょうだいのまとめ役は、長男である一郎兄さんだった」と。ドラマでは、トラコの“弟”ではなく“兄”として、猪爪家の長男・直道が描かれています。
見るる ドラマだと、直道さんは出征して帰らずでしたが、一郎さんは……?
清永さん 一郎さんは芳夫さんが召集される半年前の、1944(昭和19)年6月に戦死されています。沖縄に近い鹿児島県徳之島の近海で、乗っていた輸送船「富山丸」が魚雷によって撃沈……。29歳でした。沖縄の平和祈念公園にある「平和の礎」にも“東京都”の中に「武藤一郎」という同じ名前が記されています。
見るる そうですか……嘉子さんもトラコと同じように、ご家族を2人も戦争で亡くされてしまったんですね。まさかお父様も?
清永さん はい、嘉子さんのお父様、武藤貞雄さんは、1947(昭和22)年10月、肝硬変で亡くなっています。実は、その年の1月にお母様のノブさんも脳溢血で。
見るる そんな畳みかけるみたいに亡くなるなんて……せっかく戦争が終わって、平和な世が訪れる時なのに……。
清永さん 嘉子さんも、この頃については「相次ぐ肉親の死に、しばらくの間私は人の身に起こる不幸というものに不感症になっていました。これ以上自分から取れるものがあるなら取ってみろというふて腐れた態度で、大地にあぐらをかいているような気持ちでした」と記しています。
見るる ドラマのトラコも虚無を感じさせる表情をしていました……。でも、そんな絶望の中で、新しい日本国憲法に出会ったんですね。
清永さん 嘉子さんは、父、母、夫、頼りになるいちばん上の弟を同時期に亡くし、3人の弟と残された子どもを養うため働く必要がありました。そのため1947年3月、嘉子さんは霞ヶ関の司法省人事課に乗り込み、「裁判官採用願」を提出したのです。
戦争に引き裂かれ……そして70年後に“再会”した武藤一郎・嘉根夫妻
見るる 実際の武藤家のことがよくわかりました。ドラマも現実もどちらもつらくて、立ち直るのに時間がかかりそうです……。
清永さん はい、史実もとてもつらい時期だったことがわかります。ただ、もう少し、お話をさせてください。嘉子さんの弟のひとり、一郎さんの妻にあたる方のエピソードです。
見るる えっと、一郎さんは、4人の弟たちの中では一番上で、ドラマではトラコのお兄ちゃんの直道さんだから……その妻ということは、花江ちゃんにあたる方ですね。
清永さん そうです。お名前は、嘉根さん。一郎さんは、戦前に結婚されていて、出征したときには、嘉根さんのお腹にはお子さんがいました。その後、娘さんが生まれ、戦時中には、嘉子さん親子とともに、母子で福島県に疎開していたそうです。
けれど、その暮らしは楽ではなかったようで、一度、様子を見に行った四男・泰夫さんは、彼らの厳しい生活の様子がショックで、胸が詰まるようだったとおっしゃっていました。
清永さん 戦後、嘉根さんは学校の先生として働きながら一人で子どもを育てていました。ちなみに、嘉根さんと嘉子さんは同級生ではなかったようですが、同年代ということもあり、仲がよかったようです。
いちばんつらい時の苦労を分かち合ってもいますしね。ですから、お互いに独立してからも支え合っていました。嘉子さんはたびたび彼女を訪ねて、いろいろな相談をしていたそうです。
見るる なるほど、ドラマと同じように、実際も2人は仲がよかったんですね。シングルマザーの子育ては、令和の今以上に大変だっただろうから、そういう相手がいてくれると心強かったでしょうね。
清永さん 嘉根さんは2020(令和2)年、99歳で亡くなられ、一郎さんが眠っているお墓に入りました。実に75年ぶりに、2人はまた、一緒になることができたわけです。
見るる そうなんですね。直道さんと花江ちゃんも、空の向こうで再会できるといいな。
次週!
第10週「女の知恵は鼻の先?」6月3日(月)〜6月8日(土)
意味:《女は目先のことにとらわれ、遠い先のことを見通す思慮に欠けているというたとえ。》(辞典オンライン『ことわざ辞典ONLINE』より)
あ、沢村一樹さんだ! と思ったら、なんだか癖のあるキャラの予感? それに、懐かしい顔がいると思ったら、明律大学の同期・小橋じゃないか! 学ランの印象だったのが、ビシッとスーツを着てる……これから、トラコとどういう関係に?
戦争が終わって、ドラマにも明るいきざし。翼を取り戻したトラコの活躍に期待したい!
というわけで、今週の「トラつば」復習はここまで。
来週の先生方の講義も、お楽しみに。
NHK解説委員。1970年生まれ。社会部記者として司法クラブで最高裁判所などを担当。司法クラブキャップ、社会部副部長などを経て現職。著書に、『家庭裁判所物語』『三淵嘉子と家庭裁判所』(ともに日本評論社)など。「虎に翼」では取材担当として制作に参加。
※清永解説委員が出演する「みみより!解説」では、定期的に「虎に翼」にまつわる解説を放送します。番組公式サイトでも記事が読めます。
2024年5月21日放送の『みみより!解説「虎に翼」解説(3)女性弁護士と戦争』はこちらから(NHK公式サイトに移ります)。
取材・文/朝ドラ見るる イラスト/青井亜衣
"朝ドラ"を見るのが日課の覆面ライター、朝ドラ見る子の妹にして、ただいまライター修行中! 20代、いわゆるZ世代。若干(かなり!)オタク気質なところあり。
両親(60&70代・シニア夫婦)と姉(30代・本職ライター)と一緒に、朝ドラを見た感想を話し合うのが好き。