渡部わたなべ陽一よういちさん(51歳)は、戦場カメラマンとして130の国や地域を訪れ、取材を行ってきました。戦地で強く感じたのは、常に子どもたちが犠牲になっているという事実。渡部さんに、戦場取材歴30年以上の体験と、仕事にかける思いを伺いました。
聞き手/坂口憲一郎

この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2024年6月号(5/17発売)より抜粋して紹介しています。


ジャングルで出会った子どもや少年兵

――渡部さんは世界各地に行かれますが、誰にでもあいさつの声をかけるそうですね。

渡部 あいさつは、カメラマンとしての“初めの一歩”ですね。あいさつから全てが始まり、あいさつで1日が終わる。この繰り返しが基本にあります。フランスでもイラクでもアフガニスタンでも、あいさつ。そこを入り口にお邪魔させていただき、敬意を持って地域の文化や歴史に触れていきます。あいさつはどの国でもシンプルなので、その国の言葉で覚えることが大事ですね。

――そもそも、なぜ戦場カメラマンになったのでしょうか。

渡部 31年前、20歳のころにバックパッカーとして、アフリカのザイール(現・コンゴ民主共和国)のジャングルに暮らす狩猟民族ムブティ族の方々に会いに行ったことがあります。そこで紛争の犠牲になっている多くの子どもたちがいることを知り、その状況を世界に伝えたいと思ったのです。

2010年、アフガニスタン。カメラを向けると、自然に笑顔がこぼれる(撮影/渡部陽一)。

夢は学校カメラマン

――渡部さんの写真は戦場だけでなく、子どもたちの笑顔や豊かな表情を捉えたものも多いですね。

渡部 戦場に飛び込んでいちばん驚いたのは、どんなに戦闘が激しい最前線にも、そこで普通に暮らす家族がいることです。子どもが父母に感じる温かい気持ち、父母が子どもを守る柔らかい気持ち。イラクでもウクライナでもガザでもアフガニスタンでも、ひとつ屋根の下に家族の日常がありました。

そうした戦場に暮らす子どもの表情や暮らしを残していくことも僕の仕事の大切な柱です。友人との遊び、サッカー、自家発電で起こした電力で見る日本のアニメ。戦時下であれど、子どもには子どもの生活があることを、多くの人に知ってほしいと思います。

――これからやりたいことは何でしょうか。

渡部 僕には夢があります。世界中から争いがなくなり戦場カメラマンという仕事がいらなくなったときに、“学校カメラマン”になることです。これまで取材をしてきた紛争地域を再び訪れ、戦いが終わったあとの学校で、子どもたちが授業を受けたり遊んでいる風景、そしてその表情を撮りたいですね。 

※この記事は2024年2月15日放送「笑顔で挨拶 戦場取材30年」を再構成したものです。

戦場カメラマン・渡部陽一さんのお話の続きは月刊誌『ラジオ深夜便』6月号をご覧ください。戦地取材の実状や、現地で知った子どもたちの「学びたい」という思いなどについてお話しています。

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