テレビを愛してやまない、吉田潮さんの不定期コラム「吉田潮の偏愛テレビ評」の中で、月に1~2回程度、大河ドラマ「光る君へ」について熱く語っていただきます。その第9回。

ひそひそ、ひたひた、ドロドロ……の擬態語渦巻く女房ライフがかい見えた9月の「光る君へ」。帝もお気に召した『源氏物語』を執筆するテイで、中宮に仕える女房達が暮らす藤壺に部屋をあてがわれたまひろ(吉高由里子)。だが、ちっとも書けないッ!

それもそのはず、部屋と言っても後宮は薄い布で区切られただけで、女房たちのいびきも寝言も秘め事も筒抜け(かんで見せてくれてありがとう)。夜は眠れないわ、朝はひっきりなしに通る人々のせわしないきぬれの音で執筆どころじゃねえわで気が散りっぱなし。書き始めたら一点集中のまひろもさすがにたまらず、左大臣・ふじわらの道長みちなが(柄本佑)に「里に帰って執筆したい」とじか談判。

ところが道長は「ならば別の寝所を用意する」というが、んもう、道長ってばわかってない! まひろが執筆できないのは場所の問題だけではない。ただでさえ新参者で後宮の隠語すらわからないのに、他の女房がせわしなく働くかたわらで執筆という左大臣の特別待遇。女房たちが快く思わないはずがない。この居心地の悪さ!

だいINして8日後に里帰りを強行したまひろだが、弟・惟規のぶのり(高杉真宙)からは中宮・あき(見上愛)が誤解されたまま噂されている旨を聞く。そういえば、傍にいる女房たちも中宮の好みや心情を理解していないと気づいていたまひろは、孤独な中宮のためにも物語を書こうと藤壺に戻る。

もちろん、打つ手なしの道長の役に立ちたい、思慕の念もゼロではない。ただ、それよりもなによりも中宮に寄り添いたいと強く思うようになり、中宮もそんなまひろに心を開いていく。『源氏物語』を機に、時が止まっていた朝廷が動き出す……という展開である。


「すべてをネタにする!」貪欲な書き手の矜持

面白いなと思うのは、ドラマの中での『源氏物語』が私小説やエッセイの趣すら醸し出してきたという点だ。

まひろは見聞きしたすべてをネタの元にする。登場人物のモデルは自分だと勘違いしたり、亡き父親を思い出したりと、朝廷や後宮の人々が夢中になるような筆致、共感も反論も含めて、とにかく人と「光る君」の話をしたくなる面白さ。帝(いちじょう天皇/塩野瑛久)でさえも「自分の事かと腹も立ったが、次第に物語がしみてきた」と感想をもらすほどの傑作。

ちょっぴり下世話だが芯を食った心情描写、しくじったり傷ついたり恥じたりと生々しい男と女の物語が貴族たちの心をつかみ、物語が道長の栄華隆盛とともに走り出す構図に仕立てたことに感心している。

惟規が男子禁制の斎院に忍び込んだ話も当然ネタにするが、ほんのり道長との淡い恋心の思い出を想起させるような描写もいれこんでいく。

個人的に好きなのは、不義の子のやりとりね。道長が「この不義の話はどういう心づもりで書いたのだ?」と尋ねたとき、「我が身に起きたことはすべて物語のタネにございますれば」と答えるまひろ。「おそろしいことを申すのだな。お前は不義の子を産んだのか?」と道長(あれ? マジでわかってなかったの?)。

まひろは「ひとたび物語になってしまえば、我が身に起きたことなぞ霧の彼方。まことのことかどうかもわからなくなってしまうのでございます」としれっと流すわけよ。

フィクションを盾に、やんごとなき人々の業をあぶり出していくまひろはブレていない。通底するのは「男も女も貴族も庶民も、人間裸になれば皆同じ」であろう。また、ラブレターの代筆バイトで鍛えたこともあって、「ありのまま書くことの効用」を知っている。忖度そんたくして綺麗事だけ書いても、人の心には響かないのだ。

劇中、『蜻蛉かげろう日記』の著者で藤原みちつなのはは(財前直見)に学んだ「書くことの浄化」は、まひろの書き手としてのきょうの源にもなった。傷ついた藤原さだ(高畑充希)を支えたいと願うききょう(ファーストサマーウイカ)にも、愛する親王が相次いで亡くなり喪失感どっぷりのあかね(和泉いずみ式部/泉里香)にも、書くことを勧めたまひろ。史実はさておき「女は書くことで救われる」という裏テーマが貫かれていく。


御岳詣のご利益……ではなくまひろの誠意のおかげ

漢籍の知識に人間観察力と洞察力、才を武器に中宮を(道長を)フォロー&サポートしていくまひろ。幼い頃から入内じゅだいを余儀なくされ、人間関係も社会生活も経験の少ない中宮は、要するに世間知らず。帝への思いを募らせすぎて、こじらせているようだ。まひろの言葉をスポンジのようにぐんぐん吸収していく姿がいとおしい。ただ、あまりに中宮がまひろに頼りきる姿には別の心配事も生まれちゃうね。

と、つい後宮ばかり注目しちゃうけれど、内裏の政局のほうはきなくさい。僧侶たちの暴動と反乱、ぎょうの家で相次ぐ不審火、そして相変わらず道長にうらみ満タンで「趣味・じゅ」から「ライフワーク・呪詛」となっている藤原伊周これちか(三浦翔平)など、懸案は山積み。

道長は思い立って、危険なたけもうでを敢行(烏帽子えぼしが脱げるほどの結構険しいロッククライミングで驚いた!)。このとき水面下で伊周が企んだ道長暗殺計画も、伊周の弟・隆家たかいえ(竜星涼)が颯爽さっそうと現れて未然に防ぐなど、男たちの間にはダイナミックな動きがあった……あるにはあったんだけど……結果的には、まひろのお陰で帝と中宮の仲が深まり、懐妊&出産に至る。グッジョブまひろ! 


道長とまひろの足をすくうのは……

これで権力の基盤が盤石となった道長。伊周の位を上げるよう帝に提案し、怒りや恨みの火消しを願うが、上に立つ者の“ゆとり”が逆に火に油を注ぐんじゃないかとも思っちゃう。

そんな道長とまひろに暗い影が忍び寄る。何かとまひろを目の敵にしてくる左衛さえもんない(菅野莉央)が2時間ドラマばりに勘繰り・のぞき見・盗み聞き! 道長とまひろの関係を疑い、人格者であるあかぞめもん(鳳稀かなめ)にチクるわけよ! ハイ、きました、とも(黒木華)との確執が! そりゃ気づくわな、即興でまひろが詠んだ寿ことほぎの歌に、道長がさらっと返歌したら。

長年、夫の心が別の女にあるとにらんできた倫子はすでに気づいている様子。夫と長年内通していた女がまひろで、帝や内裏の人だけでなく、娘の心をも掴んでいるという屈辱。ほほみの奥に潜む修羅、倫子の心情描写には注目だ。

そうそう、『源氏物語』の評判を知ったききょう(清少納言)もなにやら鼻息を荒くしている様子。人々のよからぬ念がまひろに向かっていきそうな気配。しかも、道長はまひろに中宮の出産の記録を書くよう依頼する。いよいよ『紫式部日記』の開幕である。まひろの鋭い観察眼が発揮されると同時に、あらぬしっや怨念がとんでくるだろうなぁ。避けきれるか、まひろ⁉


権力を笠に着ると鈍る

帝にも中宮にも道長にも認められ、順風満帆の女房&作家生活と言いたいところだが、失態もちゃんと描くところがいい。

実家に戻ったまひろは酒を飲んで、内裏の豪奢ごうしゃれんな裏話をしゃべりちらかす。父・為時ためとき(岸谷五朗)や惟規がたしなめるも止まらない。いと(信川清順)や乙丸おとまる(矢部太郎)、きぬ(蔵下穂波)は押し黙る。なぜなら娘のかた(梨里花)の心がまひろから猛スピードで離れていくのがわかったからだ(視聴者もわかったよ)。気づいていないのはまひろだけ……。

結果、娘から「いったい何しに帰ってきたのですか?」と責められる。久々に帰ってきても娘と向き合わず、自慢話三昧ざんまいで夜は再び執筆へ。中宮の心には寄り添うのに、娘には寄り添わない。挙句に「母上が嫡妻でなかったから私はこんな貧しい暮らしをしなきゃいけない」となじられるまひろ。

娘や家族に責められて、ぐうの音も出ない激痛の場面と思いきや、まひろが案外ドライに受け止めているのが興味深かった。久々に帰った実家を「みすぼらしく思えた」ともひとりごちていたし。

「権力を笠に着ると、人は鈍る」のか? いや、この感覚もおごりも無神経も生臭い人間の所業、すべては執筆のネタになると信じている。

ライター・コラムニスト・イラストレーター
1972年生まれ。千葉県船橋市出身。法政大学法学部政治学科卒業。健康誌や女性誌の編集を経て、2001年よりフリーランスライターに。週刊新潮、東京新聞、プレジデントオンライン、kufuraなどで主にテレビコラムを連載・寄稿。NHKの「ドキュメント72時間」の番組紹介イラストコラム「読む72時間」(旧TwitterのX)や、「聴く72時間」(Spotify)を担当。著書に『くさらないイケメン図鑑』、『産まないことは「逃げ」ですか?』『親の介護をしないとダメですか?』、『ふがいないきょうだいに困ってる』など。テレビは1台、ハードディスク2台(全録)、BSも含めて毎クールのドラマを偏執的に視聴している。