昨年のWBCで監督として日本代表を優勝に導いた栗山英樹さん(62歳)は、プロ野球界きっての読書家として知られ、五木寛之さん(91歳)の本の愛読者でもあります。各界を代表するお二人が、野球や人生、そしてそれぞれの原点について語り合います。

この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2024年5月号(4/18発売)より抜粋して紹介しています。


五木 --例えば野球も、私は対話だと思うんです。相手のチームとの対話でもあり、選手同士の対話でもあり、観客とプレーヤーの対話でもある。特に監督は選手との対話だけでなく、観客との無言の対話というものが試合の中にある気がしますね。

栗山 試合ではもちろん勝つために采配を振りますが、迷ったときに、ふと「見ているファンは何を期待しているのだろう」と思うことはあります。プロ野球なので、ファンに喜んでもらわなければいけない瞬間もあり、観客の意図をくんで采配を振ることもあります。反対に、「ファンの皆さんはこう望むかもしれないけれど、僕は勝つためにこうします」と、自分を貫くこともある。確かにそこには対話がありますね。

五木 しかも球場にいる観客だけじゃなくて、テレビで見ている全プロ野球ファンとの対話もあるでしょ。最近それが分かってきて、野球のおもしろさはプレーだけではない、社会における野球の存在そのものが、対話というコミュニケーションになっていると思うようになりました。そのコミュニケーター、陣頭に立って指揮するのが監督だから、栗山さんの仕事はある意味、宗教的な感じさえする。誰かにメッセージを発して、相手からの反応を自分の中でまたそしゃくする。栗山さんは現代の代表的な対話者だなと思いますよ。


五木 WBCの最終戦も、テレビを見ている全国民の期待が見えないエネルギーになって、一斉に球場に注いでいるような感じがしました。日本人の感情のボルテージが一挙に高まったようなね。

栗山 決勝戦の、しかも日本が1点リードして迎えた、9回表ツーアウトの場面。当時エンゼルスのチームメートで、日米を代表する選手でもある大谷翔平とトラウトが直接対決しました。これはちょっと出来過ぎな物語でしたね。

五木 本当に。小説だったらベタな構成だと言われそうな一瞬でした。戦後、一億数千万の日本人が一斉に心を合わせるような機会は何度かありましたが、あの試合はその一つに入る大きなイベントでしたね。そこに栗山さんが監督として携わっていたことも、努力や計算だけでは説明できない、不思議な巡り合わせでした。

栗山 僕は自分が部品の一つのように感じることがあるんですね。確かにあの試合は、コロナ禍もあって意気消沈している日本を、「元気出そうぜ」と励ますことができた。そういうふうに皆さんに喜んでもらうために、何者かが僕をそこに置いた、誰かの力で僕はそこにいたような、そんな感覚があるんです。

五木 “無私”という感覚ですね。それをドラマチックに体験することは、なかなか難しい。計算してできることではないから、やはり栗山さんは、そういう役を与えられる星の下にいたんだよね。個人の力だけではないと思うな。

栗山 「自力」と「他力」という考え方がありますが、僕は監督をやりながら、明らかに僕の力によるものではない何かが起こっている、という体験がよくあるんです。これが他力なんでしょうか。

※この記事は2024年1月9・10日放送「新春対談 自力と他力」を再構成したものです。


五木寛之×栗山英樹 スペシャル対談の続きは月刊誌『ラジオ深夜便』5月号をご覧ください。2人の原点や大谷翔平選手についても語っています。

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