女優の小山明子さん(88歳)は、1955(昭和30)年にデビューし、映画・テレビ・舞台で活躍しました。1960年に映画監督の故・大島渚さんと結婚。
61歳のとき夫の介護疲れなどでうつ病に、その後経済面の不安から2度目のうつ病を患いました。小山さんは、2度の“うつ”をどう乗り越えたのでしょうか。
聞き手/嶋村由紀夫
この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2024年3月号(2/16発売)より抜粋して紹介しています。
介護疲れから、うつ病に
──1996(平成8)年の冬、大島さんが出先で突然、脳出血で倒れて。小山さんは女優業よりも介護に専念された。そのときに、最初のうつ病になられたそうですね。
小山 そうでしたね。うつ病だと分かったのは大島が倒れてすぐ、私は61歳でした。あのときは舞台やテレビのお仕事もできず、「もう大島は映画が撮れないんじゃないか」という不安と、「私に看病できるわけがない」という絶望感で、頭がいっぱいでした。食事ものどを通らず、体重がどんどん落ちてしまったんです。
──完治には4年かかったそうですね。
小山 はい。大島が倒れてからは、仕事を全てキャンセルしていました。今までキャンセルなんてしたことがなかったので、「私は女優失格だわ」と自己嫌悪に陥って、さらにうつ病がひどくなるという悪循環で……。
もしかしたら心を許して相談できる誰かがいれば、違ったのかもしれません。だけど、あのときはそんな人が誰もいなかったのでつらかったですね。
そんな中、「何かやらなければいけない」と思って、水泳教室に入ったんです。思いがけず、それがうつ病から抜け出すきっかけになりました。
コロナ禍で2度目のうつに
──小山さんが再びうつ病になったのは、2年前の86歳のときで、ちょうどコロナ禍だったそうですね。
小山 大島を見送ったあと、私自身も乳がんや肺がんなど大病をたくさんしました。それらも克服して、「これからは楽しいことがいっぱいできる」と思っていたやさきに、今度はお金のことでつまずいてしまったんです。
すでに決まっていた講演会やトークショーがコロナで全てキャンセルになって、「私には仕事がない。子どもたちに迷惑だから、生きていてもしかたない」とまで思い詰めてしまって……。
※この記事は2023年10月5日放送「夫を亡くして10年。2度の“うつ”を経験」を再構成したものです。
「2度の“うつ”を乗り越えて」小山明子さんのお話の続きは月刊誌『ラジオ深夜便』3月号をご覧ください。
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