畑中千里さんは家族で裁縫チーム「G3sewing」を結成し、がま口バッグをはじめ、さまざまな布製品を製作・販売しています。製作を担当するのは、82歳でミシンと出会ったというG3こと、父親の齋藤勝さん。
病気でふさいでいた勝さんが好きなことを見つけ、再び笑顔になるまでの家族の軌跡をたどります。
聞き手/関根香里
この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2024年3月号(2/16発売)より抜粋して紹介しています。
──勝さんが初めてミシンに触れたのは4年前、82歳のとき。きっかけは何だったのでしょう。
畑中 父は60代後半からさまざまな病気で苦しんでいました。大腸を半分切除するなど大きな手術もして、うつ病みたいになって家出したこともあります。何もやる気が起きず、1日中パジャマで寝ているような生活でした。
昔はテレビやラジオを組み立てる職人で、家電の修理も仕事にしていた父。起き上がるきっかけになればと壊れたミシンを持っていったら、思惑どおり布団からはい出してきました。
アームカバーをしてちゃちゃっと直してくれて。試し縫いを教えたら、上糸と下糸が組み合わさって縫い上がる様子がすごく楽しかったようで、何かを縫いたいと言うようになりました。そこで、持っていた聖書カバーを渡したら突然分解し始めたんです。
──やはり職人さん気質!
畑中 はい。生地を用意して4枚お願いしたら18枚も作ってしまい(笑)、しかたなく教会のショップに置いてもらうことになりました。
売れたのは身内が買ってくれた1枚だけですが、「売れたよ」って売り上げの一部を父に渡したらすごく喜んで。病気でも稼げるというのが、自分を認めてもらえたようでうれしかったんだと思います。
息子からはSNSで広めようと提案されました。病気ばかりしていたじいさんが82歳でミシンを始めて、ここまで作れるようになった。それを世の中に知ってもらうだけでもいいんじゃないかと言ってくれて。
しばらくは作品だけをアップしていたんですが、ある日、できたばかりのつばき柄のかばんを持った父の写真を載せたんです(下の写真参照)。ランニングシャツに軍手という作業姿だったんですが、それがバズって。
──どのくらいのアクセスがあったんでしょう。
畑中 その日だけで“いいね”が14万件。スマホがブルブル鳴りっぱなしで、予想外の出来事に震え上がりました。
※この記事は2023年11月20日放送「ミシンが導いた生きる幸せ」を再構成したものです。
「好きなことで人生は輝く ミシンで見つけた笑顔」畑中千里さんのお話の続きは月刊誌『ラジオ深夜便』3月号をご覧ください。
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