この間、幾度となく日本列島は災害に見舞われましたが、避難を呼びかけても避難せず被災する人たちが多くいます。また、避難しようとしたときはすでに遅く、避難しきれず亡くなる方もいます。私たちはいつ、どのように「避難」を決断すればいいのでしょうか?
そんな「災害避難」について考えるイベントがことし3月11日、気仙沼市の「追悼と防災のつどい」の催しの一つとして、開かれました。気仙沼市は東日本大震災で大きな被害を受けた町のひとつです。震災を体験した人たちとともに考えるこの防災イベントを通して、避難の3つのポイントが見えてきました。
●「災害避難 3つのポイント」
今回の防災イベントを監修した東北大学 佐藤翔輔 准教授(災害科学国際研究所)はこう話します。
「東日本大震災前に気仙沼のある地域では震災前に浸水想定の地図があり、事前に高地移転もされていました。にもかかわらず、想定を超えるところにも浸水が起こりました。想定以上のことが起こりうるんです。2016年11月に発生した福島沖地震も同じように、津波注意報が出て、それがわずかな時間で津波警報に切り替わった。気象庁でも事前にシミュレーション計算していないものは出せない、もしくは違うものが出てくることがあるとわかりました」
災害の伝承・継承を科学的に研究する立場で、東日本大震災が起きてからの11年間を振り返った佐藤准教授。
「46億年前に誕生した地球の、わずか200年程度の記録だけで全てを予測することはできない」
1つ目のポイントは「自然災害は一つとして同じものはない」
これまで大丈夫だったから、今度も大丈夫だろう…自身の過去の経験を踏まえた思い込みや固定化。この思い込みで多くの人が逃げ遅れるといいます。これを踏まえて、佐藤准教授は「できれば津波注意報以上で避難」と呼びかけました。
「いろいろな状況、場面での時間の感覚と段取りというのを身につけていただくことが大事だと思っています。時間の感覚っていうのは、実際に行ってみたらこのぐらいかかるんだと体感してもらうこと。段取りは、準備や行動で何分かかるかのステップですね。それを身につけるために、津波注意報をきっかけにして、それを練習の機会として使っていただきたい」
2つ目のポイント「練習だと思って避難する」
空振りでもかまわない、一度、避難してみよう、ということ。状況は毎回変わります。まだ夜中に逃げたことがなければ、やってみる。車を使わず徒歩で避難してみる。練習の繰り返しがきっと「いのち」を救います。参加した気仙沼の方々からも、それぞれの避難の実体験が語られました。
東日本大震災の1年前、チリ地震の時のこと。
当時、消防団員を務めていた男性は、宮城県に津波警報(大津波)が発表され、沿岸で船の様子などを見に来た人たちへの避難を呼びかけたといいます。
「初めはマニュアルに近い言葉でその場から離れるように促していたが、こちらをせせら笑うような行動を取り、逃げようとしてくれない。『私らは遊びでやってんじゃない! すぐその場を去れ!』と声を荒げたらようやく避難してくれた。同じように東日本大震災のときも、生意気なくらいの命令調で人々を避難させた。その方々からは1か月後、『あなたに言われたから逃げられて。今こうして、ここにいられる』と」。
ご自身の呼びかけが間違いではなかったと確信したと、噛みしめるように話してくれました。
3つ目のポイント「周囲へ呼び掛け しかも強い口調で」
東日本大震災では、いち早く避難を決めた人が周りに呼びかけ、一緒に逃げた地区では全員が助かったという報告があります。強く声を出して、「みんなで逃げる」。助かった人たちの教訓です。
刻々と変わる状況、時間の中であなたはどう考え、行動しますか。
家族に、友人や地域の人に、どう呼びかけますか。
あなたの命、大切な人の命を守れますか。