どうも、朝ドラ見るるです! 「ブギウギ」、いよいよ最終回迫る!(泣)

はあ〜、あのシーンもよかった、このシーンもよかったと、見るるも語りたいこといっぱいありますけど……今日は、なんと! ぜいたくにも、「ブギウギ」チーフ演出である福井充広さんとともに、この半年間を振り返ってまいります♪

福井さんは、「ブギウギ」の放送が始まる前、このドラマには3つのテーマがあるとおっしゃっていました。そこで、今回はその3つ、「エンターテインメント」「雑草魂」「母と娘」をキーワードに、ドラマに込めた思いや裏話をうかがっていこうと思います! もちろん、最終回の見どころも……。では、(ちょっと長いですけど)たっぷりと、お楽しみください!


キーワード1「エンターテインメント」
歌手・福来スズ子のステージをどう表現したか?

──さっそくですが、まず1つ目のテーマ「エンターテインメント」。これって、やっぱりスズ子の迫力ある歌唱、ステージを、どう朝ドラで表現していくか、ということですか?

そうですね。昭和を代表する歌手の一人である、あの笠置シヅ子をモデルにしたドラマということで、そのステージシーンは当然避けては通れないなと思っていました。これまでにない挑戦になるけどマストだよね、大変だけどやってみよう!と関係者みんなが高き目標を打ち立ててしまった(笑)。だから、当初からこれは決定事項でした。

そして、そのステージで一人の歌手が歌う歌が、本当に世の中に元気を与える起爆剤に成り得るんだという「エンターテインメントの力」を、コロナ禍を経験した現代のわたしたちにも響く物語として提示したいという思いがありました。

──でも、さすがにここまで毎週のように歌を聞けたりステージが見られたりするとは思っていなかったので、意外でしたし、楽しかったです! スズ子というか、趣里さん自身も、そのたびにどんどん歌がお上手になっていくので、それも見ていてワクワクしました。

私たちスタッフにとってもステージの撮影は本当に大変だったのですが、一番大変だったのは間違いなく趣里さんです! 彼女の頑張りには本当に頭が下がります。私たちスタッフも、趣里さんの頑張りからエネルギーをもらって初志を貫くことができました。

梅丸少女歌劇団時代も含め、趣里さんがドラマの中で歌い踊った20を超える楽曲の裏には、ボイストレーニングがあり、幾度にも及ぶ歌唱練習、レコーディング、振付練習、そして全体を合わせた舞台上でのリハーサル、本番という、文字通り血の(にじ)むような努力がありました。

当然ながら、その裏で芝居のセリフも覚え、主人公として物語を紡いでいかなければならない。歌手を本業としていない女優の趣里さんにとって、この1年半は私たちの想像を絶する日々だったと思います。

お陰様でステージシーンは視聴者の皆さまにご好評をいただいておりますが、すべては趣里さんの「ブギウギ」にかける熱意、女優としての責任感が導いてくれた結果だったと、今改めて思っています。

スズ子のステージを衣装とともに振り返る記事はこちら

──毎週金曜日になれば、スズ子のステージが見られるってわかってるから、それに向けて気持ちが準備されていくんですよね! 完全に手のひらの上でしたもん、私……。

そこは脚本の足立紳さんと櫻井剛さんのうまさですよね。その歌にいたるまでのドラマの展開、スズ子が経験したことが、こうやって歌に結実していくんだということがわかる筋立てをうまく組み立ててくださった。

やっぱり、この歌の背景にはこういうことがあるんだよとわかっていると、ひとつひとつの歌にも感情が乗っかってくるし、歌を並べてみたら、彼女の人生がなんとなく透けて見えてくる。そういうふうになればいいねとは最初から話していました。

──ステージ撮影の裏話も、ちょこっと聞かせてください!

それは……とにかく大変でした(笑)。ステージのシーンは、3日間くらいのロケで2〜3曲分をまとめて収録するんです。NHK大阪ホールで、合計5回に分けて撮影しました。「エンタメの力を見せつける!」なんて大上段に構えて撮影に臨んだのですが、いざ(ふた)を開けてみると戸惑うことだらけで……。

私たちは普段ドラマを制作しているチームですから、ステージ撮影には慣れていない。見慣れない楽譜と向き合い「1小節がここまでだから、このカットはこの歌詞まで…」なんて、ヘッドフォンで曲を聴いて、指でリズムを刻みながらのカット割りは初めての経験でした(笑)。

初回のステージロケを終えた時には、これをあと4回もやるのか〜って、青くなりましたよ(笑)。本当に通常の朝ドラに加えて別番組をもう1本撮っている感じでした。

──ドラマパートとステージパート、別々の撮影チームがいたわけではないんですね?

ないですね、全部同じスタッフでした。舞台演出には、荻田浩一さんというステージのプロに入っていただき、構成やセット、衣装などの大枠をお任せしましたが、それを映像としてどう切り取るかは、撮影、照明、音声、音響効果、美術などなど、すべてドラマを制作しているスタッフで作り上げました。

でも、ステージをステージとして見せるというよりは、福来スズ子という主人公の人生の一部としてのステージだと考えていたので、普段のお芝居を撮っているときと、それほど意識を変えたわけではありません。もちろん、物理的には、ドラマ撮影では使用しないような超大型クレーンを入れるなど、いつもと違ってはいましたけど。

──ちなみに、福井さんが、特に印象深かったステージは、どれですか?

ひとつひとつ、どれも思い入れがありますが、第10週の合同コンサートでの「大空の弟」は特別なものでしたね。放送後にも話題になりましたけど、あれは趣里さんの“生歌”で撮ったんですよ。通常は、歌は事前収録しておいて、その音を現場で流しながら、趣里さんは歌っているようにお芝居をして撮影に臨むわけです。

でも、「大空の弟」については、ああいう静かな歌だし、いけるんじゃないかと。それに、あのシーンは、歌のうまさや声の美しさがどうこうという以上に、スズ子の感情をどう表現するのかが大事でした。楽曲を構成するひとつのパートとしての歌声ではなく、セリフとしての歌声が必要だろうと、担当演出は思ったんだと思います。結果、すごくいいものが撮れた。あれは事前収録しているものでは成立しなかった高みに至ったシーンだったと思います。

もう1つは、第25週の「オールスター男女歌合戦」のステージです。若い水城アユミが「ラッパと娘」を、歳を重ねた福来スズ子が「ヘイヘイブギー」を歌う。アユミは、かつてのスズ子のように、踊りに踊って歌って叫んで、という元気いっぱいのパフォーマンスをみせる。じゃあ、スズ子は? 舞台演出の荻田さんとも、「ここは動と静で見せたいね」と話していました。

でも、茨田りつ子のように直立不動で歌うのではスズ子らしくないし、曲調もポップなものだし。それでいて、筋書きとしては、“ベテラン歌手であるスズ子が、堂々たるパフォーマンスで若いアユミを圧倒、新旧対決に完全勝利”しなくてはいけない。

このステージをどんなものにするか、趣里さんも交えてけっこう話し合いましたね。何しろ、これは、福来スズ子が引退を決意するきっかけになるステージなんですから。もう思い残すことはないっていうくらい、燃え尽きないといけない。『あしたのジョー』のジョーのように、真っ白に燃え尽きないといけないわけです。

結果は放送をご覧の通り圧巻のステージになり、私も撮影しながらモニター前で鳥肌が立ちっぱなしでした! 実は、あのパフォーマンスは、ほぼ趣里さんのぶっつけ本番です! 本番直前まで色々と話し、趣里さんが「やってみます!」と生まれたステージなんです。

観客を巻き込むアクションと笑顔、大御所感漂う落ち着きと仕草、それらすべてが福来スズ子の集大成となる、圧倒的なステージ! 1年間福来スズ子として生きてきた趣里さんが、福来スズ子と同化した瞬間だっと思います。それを実感したステージでしたね。


キーワード2「雑草魂」
人間・福来スズ子の強さと弱さをどう表現したか?

──次に「雑草魂」。これってつまり、踏まれてもめげない強さみたいなことですか?

そうですね。道端に咲いてるタンポポみたいな、踏まれても踏まれても立ち上がっていくイメージです。だって、スズ子の人生って、けっこう悲惨でしょう?

──そ、そういえば……。実はスズ子って、結構大変な身の上ですよね。次々と大切な人を失っていって……(しんみり)。

そう。みんな、彼女の前からいなくなってしまいましたから……。

──思い出してみれば、お母さんのツヤさん、弟の六郎、最愛の人だった愛助さん、お父ちゃん。そうだ、愛助さんのお母さんも亡くなりましたよね。うう、なんてことなの、スズ子……(泣)。

でも、そんな境遇でもしょげることなく前に進んでいくのが、スズ子の強さですよね。しかも、彼女の場合、決して最初からあの華やかなステージが用意されていたわけじゃない。庶民的な銭湯の娘として育てられて、そこからスターにのし上がっていくんですからね。それを道端のタンポポが、踏まれながらも大輪を咲かせていくところに重ね合わせていたんです。

このテーマについては、スタッフともいろいろ話をしました。全体を通しての読後感というのかな。ドラマを見終わったあとの印象を、その方向性にもっていきたいね、というふうに。

──ふむふむ。ということは、最終回を見てのお楽しみ……ということですね? ちなみに、見るる的に解釈すると、スズ子って有名歌手になってからも、ずっと庶民的というか、ずっと生活感が漂っているところが好きでした! 逆にりつ子さんは、登場したときから最後までずっと「ザ・スター!」っていう感じでしたけど(それはそれで好きです!)。スズ子は、ついこのあいだまで、普通の服着て、普通の家に住んでましたもんね。

そのあたりは、衣装部をはじめ美術スタッフと相談して、意識的にそうしていました。りつ子とのコントラストをつける意味もあったけど、華美になりすぎないように。

普通の庶民ではないにしても、生活が見える人、普通の人間としての部分も丁寧に描きたいというのは、脚本の足立さんの意向でもあって。まあ、それで、いちばんわかりやすいところでいうと、スズ子の子育てですかね。

──子育てですか? でもスズ子、愛子ちゃんのために大誕生日パーティーを開いちゃったりして、“セレブ感”まるだしでしたよ? あれは庶民的とは言えない気が……。

いやいや、あれはね、そういう子育てに対して不器用なところを、あえて描いたんだとご理解いただければと思います。

これは、3つ目のテーマにも関係することですが、子育てには正解がないから、案外、誰もが同じようなことで悩んだり、つまずいたりすると思うんです。ましてスズ子は戦後間もない頃のシングルマザーであり、立場も芸能の世界に生きる大スター。いち母親としては一人娘を育てていく中で、さまざまな葛藤があったはずです。そんな母親・スズ子の、我が子を想うが故の“子育て悪戦苦闘編”のエピソードと捉えていただければと思います。


キーワード3「母と娘」
娘として、母親としての福来スズ子をどう表現したか?

──ふむふむ。じゃあ、そのまま3つ目のテーマにいっちゃいましょう。「母と娘」。これは、まず、スズ子が「はな湯」夫婦の本当の“娘”ではなかったこと、産みの“母”と育ての“母”、2人の母がいること。そして本人もまたシングルマザーとして“娘”を産み育てた、そういったところですよね?

まあ、そうです。スズ子にとって、大好きだったお父ちゃん、お母ちゃんが、自分の本当の親ではなかったという事実は、やっぱり、内面に鬱屈(うっくつ)した思いを生んだでしょうからね。そんな彼女が、自分の子どもにどう接していくのか。どんな母親になっていくのか。それを丁寧に描いていこうと。これも、本作を作るにあたって、最初から太い幹として意識していたことです。

ただ、結果的には母と娘に限らず、“親子”さらに“家族”という、もっと大きなテーマに変わっていったように思います。例えば、スズ子とお父ちゃんの関係も大切に描きましたし、愛助と村山トミさん親子もいましたからね。そして最終週に至って、スズ子は血のつながっていない“家族”を創り上げようとしていきますから。

──うーん……。“娘”としてのスズ子が、内心複雑な気持ちを抱いて育って来たというのはわかるんですけど、“母”としてのスズ子は、さっきも言ったみたいに、ずっと、ちょっと危なっかしいっていうか。ワンマンショーの練習の時も、タナケンとの映画撮影の時も、「この子の世話は自分でみたいんです!」と言って、子守を人に任せようとしなかったですよね? でも、あれ、まわりに迷惑かけまくってたじゃないですか。そうかと思ったら、アメリカに行くってなったときには、あんな小さい子を4か月も日本に置き去りにしちゃって。見るる、え〜! なんなの、スズ子〜! って、思ってました。

確かにね、お金はあるんだし、早くベビーシッター頼めば、と思う人もいたかもしれませんね(笑)。でもそれこそが、スズ子特有の“業”なんだと思います。育ての親であるツヤさんも亡くなる間際、「スズ子を(生みの親の)キヌさんには会わせないで」って言いましたが、子どもを想う母性の(すご)みとでもいいましょうか……。

他人から見たら、そんなの人気歌手のわがままでしかないんだけど、スズ子にしてみたら、それでも押し通す理由があるわけです。母親である自分自身がしっかり育て、自分のような思いはこの子に絶対にさせたくないっていう思いがね。

一方で、愛子を置いてアメリカに行ってしまうエピソードは、今度はエンターテイナーとしての“業”ですよね。自分のブギが、本場アメリカでどこまで通用するのか、どうしても知りたかった。あれも、わがままと言えば、ものすごいわがままですよね。結果、愛子は周りの友達とは上手くつき合えない子供になっていき、そこでスズ子は立ち止まり考えることになるわけです。

だから、スズ子ってものすごく業が深い人なんですよ。そして、そのことがスズ子をスズ子たらしめている、とても重要な魅力なんだと思っています。

──じゃあ、そんなスズ子が、愛子ちゃん連れでキヌさんに再会して、「あれはマミーの、マミーや」って紹介できたことって、本当に、大きかったんですね。うん、あのシーンは、内心、「ツヤさんごめん」って思いながらも号泣しちゃいました……。


最終週、ここは見逃すな!
ポイントその1「最後のステージは、生で撮り切りました!」

──さて、泣いても笑っても、今週、最終回を迎える「ブギウギ」ですが、ここだけは見逃し禁止!というシーンがあれば、教えてください!

まずは、福来スズ子の最後のステージ、でしょうね。生でやりましたから。

──え! 生? さっき、生のステージは大変だって言ってませんでしたっけ?

その大変なことを、最後もう一度やろうということになったんです。さっき話した「大空の弟」の時は、スズ子の歌声は生だったけど、バンド演奏の音は事前収録したものを流したんですね。でも、最後のステージでは、バンド演奏も歌声も、全部生。その場でバンドが楽器を演奏した音に合わせて、趣里さんに歌って踊っていただきました!

そしてその最終ステージの楽曲で指揮棒を振るのは、音楽担当の服部隆之さん! とても贅沢(ぜいたく)なコラボレーションです。1年半かけて、私たちが創り上げてきた「ブギウギ」のステージシーン、そして多くの困難を乗り越えてきた福来スズ子、いや女優、趣里さんの集大成をご覧いただきたいと思います!

ものすごく見応えがあります。ぜひ、お楽しみに!


最終週、ここは見逃すな!
ポイントその2「趣里さんと草彅さんの名演技!」

そして、もう1つは、スズ子と羽鳥善一、この2人の人間ドラマです。エンターテインメントの力で強く結び付けられて来た2人、そんな彼らの関係性が、このドラマの最終的な着地点です。

スズ子と羽鳥善一を、趣里さんと草彅剛さんが演じていただけたということは、「ブギウギ」の世界が成立した最大の要因だと思っています。もちろん、台本の良さもありますが、本当に、最終週の2人の芝居の素晴らしさは言葉では表現できません。あれは見逃し禁止ですね。

──第25週でも、水城アユミに「ラッパと娘」を歌わせるかどうかで2人が話をするシーンで、羽鳥先生がスッと真顔になるじゃないですか。あれ、鳥肌が立ちました! あんな顔、これまでみたことない、こんな声、聞いたことない! って。確かにドキドキしました。 

どこか底知れぬ奥行きがあるんですよね、趣里さんと草彅さんの芝居には。最後も、何か大きな事件が起きるとか、そういう展開ではないんですけど、台本に書かれている以上のシーンが生まれました。2人がこれまで芝居を積み重ねてきた結果の、思ってもみなかったような相互作用というか、化学反応というのかな。

それを見せつけられたこっちは感動して、「草彅さん、いまの、すごくよかったです! 最高でした!」なんて興奮して声をかけるんだけど、草彅さん本人はケロッとしてるんです。「そうなの? ごめん、僕、何も考えずにやってるから。でも監督がOKっていうならよかった。ははは、じゃあね〜」なんて、軽やかに帰っていかれる(笑)。

草彅さんは、もともと、事前にいろいろ考えて用意してくるのではなくて、現場に来て、その空気の中でお芝居をするタイプなんだとおっしゃっていました。だから、何が生まれるのかは本人にもわからないと言うんですよ。

そして、趣里さんもそういうタイプなんですね。戦中戦後と長きに渡り育み、熟成させてきた一人の歌手とその師匠の、言葉では言い表せない信頼と絆! ぜひ最後まで見届けていただきたいですね。

──よーくわかりました! やっぱり教えてもらってよかった~♪
この半年をたっぷり振り返れたし、だからこそ、最後の1秒まで楽しみです! 福井さん、今日はありがとうございました。

"朝ドラ"を見るのが日課の覆面ライター、朝ドラ見る子の妹にして、ただいまライター修行中! 20代、いわゆるZ世代。若干(かなり!)オタク気質なところあり。
両親(60&70代・シニア夫婦)と姉(30代・本職ライター)と一緒に、朝ドラを見た感想を話し合うのが好き。