■今回の英語字幕制作と私
NHK財団の国際制作部でプロデューサーとして英語版制作を担当しています。今回、私はNHKがドラマ化した『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』の英語字幕版を制作しました。これは、国際コンクール*への出展に向けたものです。
*国際コンクールは、テレビドラマ、番組など優れたテレビ番組を表彰するコンテストです。
物語では、草彅剛さん演じる荒井尚人が、ろう者の両親を持つ聞こえる子ども、コーダ(CODA: Child of Deaf Adults)として生きる姿が描かれています。そんななか、尚人がしばらく使ってない手話を生かし「手話通訳士」となり、法廷での通訳をしたことをきっかけに、ある事件に巻き込まれていきます。
現在と過去が交錯していく社会派サスペンスです。
昔関わった事件で容疑者と一緒にいた女の子に、手話で「あなたは、私たちの味方?それとも敵?」と質問される尚人。彼はこの問いかけがずっと頭に残り、答えを見つけようとします。この作品はコーダの家庭や尚人の心の葛藤が丹念に描かれ、聴覚障害のある人たちのメッセージに留まらず、視聴者に異なる文化やコミュニティ、アイデンティティの複雑さを身近に問いかける力があると感じました。
私自身も、作品の影響を受けた一人でした。日本人の両親のもとアメリカで生まれ、家庭では日本語で話し、日本人の価値観で育てられた私は、同時に学校の先生や友達とは英語で会話し、アメリカ文化を身に着ける環境にいました。字幕制作にあたり、私のダブルスタンダードな状態が尚人と重なり、自分のアイデンティティを必死で探していたころを思い出したのです。
作品の中で尚人が父親の病状を医師から聞かされる際、手話でそれを母親に伝える場面があります。その場面を見た時、自分が小学校2年生の頃に先生と親の二者面談に同席し通訳した記憶が蘇りました。英語があまりできず学校行事や風習も分からない両親を自分がサポートしなければいけないと負担を感じました。それに似たような想いをコーダも抱いているのではないかと思ったのです。異なる文化やコミュニティの狭間で自分の居場所を探し、結局「どちらでもない」という答えにたどり着いていく尚人・・・。それはまさに自分の経験したことだったのではないか。そういう気持ちに至りました。
■多様な世界を尊重しながら進めた字幕版制作
英語化において、言葉と表現に関する課題がいくつかありました。例えば、「コーダ」についてです。翻訳者から送られてきた英語台本には、「CODA : Child(ren) of Deaf Adults」という表記だけがあり、説明はありませんでした。私はこれで伝わるのかなと不安に感じました。なぜならAdultsが誰を指しているのか、そしてChildrenがどういった子供を表すのかが分からないのです。しかし、アメリカ人のコーダの監修者に相談したところ、この用語は英語圏で十分に認識されており、大丈夫だとアドバイスをいただきました。
また、今回、英語字幕で何度も登場する「deaf」の表記について、大文字と小文字での使い分けが必要でした。大文字には、「ろう者」を医療的障害者ではなく、彼らのコミュニティの一員として位置づけ、その文化を尊重する意を持つと全米ろう者協会公式サイトに記されていました。監修者からは「役柄がろう者の手話や文化を理解する一員であれば大文字のDeafが適切である」とのアドバイスもいただきました。例えば、尚人が言う台詞で「父も母もろう者でしたから」は“My parents were both Deaf.”と大文字にしました。一方で、ある警官が発する何気ない言葉・・・「それが耳の聞こえない人物だったらしい」という台詞は”The person was deaf.”と小文字にしています。役柄が「ろう者」をどう捉えているかで、どちらにするか、字幕一つ一つで考えていきました。大文字の“D”はデフコミュニティへの尊重が表現され、異なる文化やコミュニティに対する理解の表れとなっています。
■コーダを扱った作品の世界的な広がり
私がコーダの存在を知ったのは、第94回アカデミー賞で作品賞を含む3部門を受賞した話題作『コーダあいのうた』でした。この映画は、コーダとして生まれ、歌手になる夢を抱く高校生の娘とその家族を描いています。デフ・ヴォイスと同様に、聴覚障害者がキャスティングされています。以前は健聴者が、聴覚障害者を演じることが少なくなかったのですが、こういった新しいアプローチでは、リアリティを感じる表現が可能で、異なる文化やコミュニティへの単一的でない視点を得て考えるきっかけになると思いました。今回、国際コンクールの出展にあたり、海外の審査等でも、多様性といった観点で良い議論に発展することを期待したいと思います。
【「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」放送予定】
2023年12月16日(土)、23日(土)よる10時 <総合・BSP4K>
2024年2月4日(日)、11日(日・祝)午後3時45分 <Eテレ>※手話つき
コーダの他にろう者を兄弟、姉妹に持つ人を指すときにはソーダ「SODA:Sibling of Deaf Adults」。親がろう者の子供で18歳未満の場合は“K”でのコーダ「KODA:Kids of Deaf Adults」と呼びこの他にも幾つかあるそうです。
☆英語ワンポイント:時代とともに変化する言葉
「聴覚障害者」の英訳。全米ろう者協会のサイトによると「聴覚障害者」は以前まで「hearing impaired」と記されていたそうです。しかし、最近では実際の当事者たちは「hard of hearing」(耳の不自由な、よく聞こえない)を強く好むとあります。その理由として「hearing impaired」のimpairedには何か損なわれているの意味があり、否定的な印象を与えるため、コミュニティや一般的なニュースや放送などでは避けるようになっています。NHKワールド JAPANのニュースでも「hearing impaired」は使用していません。今回、このドラマでは、役柄によっては聴覚障害者のことを理解できず面倒な存在として扱っている人物もでてくることもあり、その現実感を描写するため、あえて物語の流れに合わせて英訳は「hearing impaired」を使いました。《参照》全米ろう者協会 (National Association of the Deaf:NAD)
取材・文/NHK財団 国際事業本部 羽吹 香里(英語版制作プロデューサー)
プロデューサーとして、英語ネイティブの和英翻訳のプロや制作者との調整、音響効果、収録、字幕、テロップ入れなどのスタジオ業務など全般をまとめ、番組を完成させています。現在もさまざまなジャンルのNHK番組を英語化しています。それらは、NHKワールドJAPANで放送、または国際コンクールに出品されています。