この冬公開された映画に「セプテンバー5」という作品がありました。これは1972年のミュンヘンオリンピックの選手村でおきたテロ事件を題材にしたものです。事件の報道にあたったテレビ局の様子をとてもリアルに描いていましたが、ところどころにさしはさまれる「実際の映像」が、緊迫感や臨場感を一段と確かなものにしていました。歴史を語るのに、実際の映像が持つ説得力、そしてアーカイブスの重要性を痛感しました。
アーカイブスは映像による時代の証人となるものです。いま、アーカイブスの重要性にもっとも注目しているのが、ウクライナ公共放送局です。NHK財団が取り組んでいる「ウクライナ公共放送局支援プログラム」で1月に日本での研修が実施され、ウクライナから15名のアーカイブス関係者が来日しました。その様子をリポートします。
古い映像が何も残っていなかったショック
ウクライナ公共放送局から来日したメンバーのリーダー、ターヤ・トゥルチンさんは、今はアーカイブスを統括しています。その動機となったのは記者時代の経験だと話してくれました。

ターヤさん「2022年、ロシアによる攻撃が始まって、私はかつてマイダン革命(2014)の際に取材した人に再会したいと思い、古い映像を調べようとしたのですが、なんと何の映像も残っていませんでした。私はショックで、何とかしてアーカイブスを立て直さなければいけない、と思ったのです」
研修はNHK渋谷の放送センターから始まりました。
知財センター・アーカイブス部のみなさんは、ウクライナ側の嵐のような勢いの質問にも、初日からひとつひとつ丁寧に答えてくださいました。アーカイブス倉庫を見学しながら、「ビデオは何本ある?」「何人がここで働いているの」といった内容から、「映像の保存の可否は誰がどう判断しているのか」といったものまで、さまざまでした。
いま、ウクライナ公共放送局にとってアーカイブスを強化する理由はどこにあるのか、ターヤさんはこう答えてくれました。
ターヤさん 「ひとつは放送局に残っている大量のフィルムをデジタル化することで、私たちが知らないウクライナの歴史を発掘し、次世代につなげていくこと。そしてウクライナ全土から入ってくる戦争の映像をきちんと保存し、いつの日かロシアの犯罪を国際社会に知ってもらうことが、大きな役割です。戦争の映像は本当につらい。だれも見たくはないです、だけどこれは現実におこっていること。それを残して伝えていくことはとてもやりがいがあるのです。」
今回の研修で感じたことは何なのか、聞きました。
ターヤさん 「まずメタデータ、キャプションの基本(画像や動画のデータとその内容説明)の徹底ですね。データの重要性を重視していることに感銘を受けました。またセキュリティを重視しているほか、情報の保護や統制の徹底ぶりにも驚きました。あとはカラー化の技術です。NHKが1961年に取材したキーウの映像に色を付ける体験ができましたが、白黒に色をつけるだけで、見えるものが“まったく”違っていました。」
命のリスクにさらされながら取材したジャーナリストの仕事を大切にしたい
ウクライナ公共放送局は、アーカイブスを充実させるだけでなく、それを視聴者に還元しようという取り組みもはじめています。それはスマートフォンで動画をみることができる、というサービスです。
戦争やスポーツなど9つのジャンルで動画が見られるようになっています。中でも現在は「戦争」の重要性が高いのは言うまでもありません。
また、1986年のチョルノービル原子力発電所事故の映像を出した際、当時を知る多くのひとからアクセスがあったそうです。 デスクのイリーナ・ホッツさんは、当時を振り返ることの重要性を痛感した、と言います。

イリーナさん 「ウクライナのアイデンティティを今また、ロシアは絶滅させようとしている。昔のクリスマスの儀式など、若い人にも伝えていきたい。残ったものは消せないのです。残して後世に伝えるのが私たちの役割です。」
今回の研修に参加したダリヤさんは、もともと東部ドネツクの支局で勤務していましたが、ロシアの侵攻で避難を余儀なくされました。今は立ち入ることもできない職場への思いをこう語ってくれました。

ダリヤさん 「チームがばらばらになってしまった。避難先もばらばらだし、連絡もSNSだけです。そして大切にしていたアーカイブス資料が失われてしまったのです。ロシアがウクライナのアイデンティティを破壊しようとしているのです。全部取り戻していきたいのです。」
今回の研修の終わりに、ターヤさんはこう振り返ってくれました。
ターヤさん 「NHKの皆さんには心から感謝したいし、これからも協力関係を発展させたい。アーカイブスの価値がわかったのは「戦争」がきっかけでした。命のリスクにさらされながら取材したジャーナリストの仕事を大事にして、後世に伝えていきたい。将来戦争を振り返った時に、亡くなった人が「統計」でなく、思い出となるようにしていきたいのです。」
戦争から早くも3年が経過しました。しかし今も停戦の道筋が見えていない状況が続いています。一日も早く戦争が終わり、ウクライナに平和な時が戻ってくることを願ってやみません。
(取材・文/NHK財団 国際事業本部 井口治彦)