昨年12月16、23日に放送されたドラマ「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」。ろう者やその家族、中途失聴者や難聴者などを取り巻く現状をリアルに描き出しつつも、良質なミステリーとして、観る人を惹き込むストーリーも兼ね備えており、大きな反響を呼びました。

また、本作は20名近いろう者(エキストラも含めると30名以上)や中途失聴者、難聴者、コーダ(聞こえない・聞こえにくい親をもつ聞こえる子ども)の役を当事者が演じるという初の試みでもあったことから、関係するコミュニティの人たちの間でもかなりの話題を集めました。

ドラマ「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」より

通常のドラマは、テレビリモコンで「字幕」付き映像を選択できる、いわゆる「字幕放送」で放送することが一般的ですが、去年放送した本作では、耳が聞こえない・聞こえにくい人たちに見てもらうことを大前提として考え、はじめから番組全編に字幕を付けて放送するという試みにも挑戦しました。

一方で、こうした人たちの中には、日本語字幕よりも手話の方が理解しやすいという方も大勢います。“耳が聞こえない・聞こえにくい”すべての人たちにこのドラマを楽しんでもらえたら……。そんなスタッフや関係者の熱い思いから、手話版の制作が実現しました。

ドラマの手話版では、手話演者が、セリフを言っている人のキャラクターや心情も含めて、より丹念に表現します。手話演者は、みなさんがイメージしやすいところで言うと声優に近いそうです。

2月4日、11日のEテレでの手話版「デフ・ヴォイス」の放送を前に、制作を担当したNHKエデュケーショナル コンテンツ制作開発センター 美術教養グループ 専任部長の堀川篤志さんにお話をお伺いしました。


ドラマ「デフ・ヴォイス」の中のセリフにも出てきますが、耳が聞こえない・聞こえにくい人たちの中には、日本語とは異なる“手話”という独自の言語文化の中で暮らしている人が大勢います。こうした人たちにとって日本語は、いわば“外国語”。日本語がうまく理解できない、日本語よりも手話のほうが理解しやすい、という人もいるのです。これまで、こうした人たちにとって、手話で楽しむことのできるテレビ番組は、「手話ニュース」などの報道番組や「みんなの手話」などの語学番組に限られてきました。

NHKの人気番組を手話でも楽しみたい!!

そんな声に応えて生まれたのが、「手話で楽しむみんなのテレビ」という番組です(Eテレ「ハートネットTV」で毎月2回放送)。これまでに手話を付けて放送してきた番組は、「サラメシ」「ドキュメント72時間」「美の壺」「サイエンスZERO」「ダーウィンが来た!」「ねほりんぱほりん」「阿佐ヶ谷アパートメント」「クローズアップ現代」などさまざま。「楽しめるテレビ番組が増え、世界が一気にひろがった」など、よろこびの声が寄せられているといいます。堀川さんはこうした番組の制作を担当しています。

「解説・字幕・手話のユニバーサル3放送のうち、最も拡充が遅れているのが手話放送です。NHKでも手話放送をもっと増やしていこうということで、『手話で楽しむみんなのテレビ』が始まりました。制作に携わる中で改めて気づかされたのは、私のような聴者は、当たり前のように、ニュースやドラマ、スポーツにバラエティー、歴史、自然、芸術、世界紀行など、さまざまなジャンルの番組を楽しんでいますが、手話を主たるコミュニケーションの手段としている人たちにとっては、楽しめるテレビ番組は本当に限られているということ。そして、手話をめぐる世界の奥深さ。毎日が勉強の連続です」(堀川さん、以下同)

議論を重ね、手話表現を練り上げる

「手話を付ける」作業は、さまざまな困難を伴うといいます。日本語とは異なる言語であるため、日本語の単語に相当する手話が存在しないことは頻繁にあります。その度に、いくつかの手話の組み合わせを考え、その単語が表す意味に近づけていきます。さらに、“このカットは〇秒間だから、その中で表現しなければならない”という時間的な制約も加わります。限られた映像尺の中で、どの要素を捨て、どの要素を残すか? 手話表現する演者と監修者、制作スタッフで議論を繰り返しながら、オリジナル番組の日本語の意味に近づけられるような手話表現に練り上げていきます。

聞こえる人、聞こえない人が意見を出し合い、手話表現を模索していきます(写真中央が堀川さん)

また、今回、手話を付ける役割を担っているのは、“手話通訳”ではなく“手話演者”であり、両者の間には大きな違いがあると言います。

「私も最初はその違いを深く理解していませんでした。しかし、ろうの監修者から『聴者の世界でも、アナウンサーと俳優では担う役割が違いますね』と言われて得心しました。“手話通訳”は、日本語の意味を正確に手話で翻訳することが求められます。一方、“手話演者”は、場面の意味や登場人物の心情をくみ取り、その人物の感情も添えながら手話表現します。ある手話演者は、『声優にイメージが近い』とも、おっしゃっていました」

手話版はこうして作られる!

ドラマには、性別や世代、キャラクターが異なるさまざまな人物が登場します。手話演者は、すべての登場人物が語る日本語のセリフをたった1人で手話表現しなければなりません。視聴者が一目見て、誰の言葉であるかを理解できるよう、若者の時は、若者がよく使う表現で、お年寄りが語る場面では、お年寄りがよく使う手話で演じ分けます。

それでは、どのように手話をつけていくのでしょうか?

「手話演者と監修者には、スタジオ収録の2週間ほど前までに、ドラマの台本と、手話で表現する日本語の箇所を字幕テロップで表記した映像をお渡しします。それらを見て、どのような手話で表現すればいいか、考えておいてもらうのです。リハーサルでは、監修者や制作スタッフの前で、あらかじめ考えてきた手話表現を、ドラマの映像をモニターに映しだしながら実際に披露してもらいます。それに対して、みんなで意見を出し合いながら、最も適切な手話表現を検討し、練り上げていくのです」

ドラマの登場人物が手話でやりとりする場面は、手話は付けずに放送

手話をつけるにあたっては、「日本語の単語に相当する手話表現が存在しない」こともよくあります。例えば、今回のドラマでは、「傷害致死罪」という言葉をどのように表現するかについて議論になりました。「傷害致死罪」は、「人に傷害を与え、その結果、死亡させてしまう犯罪」を指します。しかし、手話ではあまり使われない言葉だと言います。話し合いの結果、「傷つける」・「亡くなる」・「罪」という3つの手話を組み合わせて「傷害致死罪」を伝えることになりました。

また、喜怒哀楽などの感情をどれくらい表現するか? ということも、重要なポイントになりました。例えば、草彅剛さん演じる主人公・荒井に対し、恋人のみゆき(松本若菜さん)が言い放った『私は怒っているから!』というセリフ。聴者であれば、その人が発する声の大きさや語気、ニュアンスなどから、どれくらい怒っているかを推測することができます。しかし、聞こえないろうの手話演者にはそれがわかりません。そこで、微妙な感情のニュアンスを聴者のスタッフが手話演者に伝えながら、最終的な感情のレベルを調整していきます。

手話演者はどんな人?

本作は前編・後編のそれぞれが73分ずつある長編ドラマです。前編は那須映里さんが、後編は長井恵里さんが手話演者を担当しました。那須さんは家族全員がろう者という、いわゆる“デフファミリー”の生まれです。このドラマでは、父の英彰さんも窃盗未遂の容疑で逮捕されたろう者を熱演。このドラマで親子共演を果たしています。また、長井さんは一般企業で働きながら、ろうの俳優として映画やテレビなどに出演するなど、活躍の場をひろげています。

父・那須英彰さんの出演シーンを、手話で演じる娘の那須映里さん

「2人とも、『手話で楽しむみんなのテレビ』のレギュラー手話演者ですが、普段は、1日のスタジオ収録で30分サイズの番組1本分に手話を付けているので、これだけ長い時間の番組に手話を付けるのは初めての経験です。当初は、それぞれ2日にわけて収録することも検討しましたが、ドラマの途中で雰囲気が変わるのは良くないということで、1日のスタジオ収録で普段の2倍以上の長さの番組への手話表現を完遂しました。収録を終えた瞬間、スタッフから拍手が沸き起こりました」

もっともっと手話つきの番組を増やしたい

長編ドラマに手話を付けるという初めての試みを終えた今、「手話で楽しむみんなのテレビ」チームのメンバーの間では、さらなるチャレンジの話で盛り上がっていると言います。課題は、手話放送の制作を担う手話演者や監修者の数が圧倒的に足りないこと。番組では、当事者団体の協力も得ながら、番組制作とも連動させた人材育成プロジェクトを進めています。

「あるろう者のシングルマザーから、『これまでは、耳が聞こえず日本語もできない我が子のために、自分がテレビの脇に立って番組の内容を手話で伝えていた。でも、この番組が始まってから、子どもも自分もいろいろな番組を楽しめるようになった』と、お礼を言われたことがあります。今回の手話版「デフ・ヴォイス」の制作は私たちにとって大きな挑戦でしたが、こうした声に応えられるよう、もっともっと手話つきの番組を増やしたいと考えています。チームのメンバーからは、子ども番組やアニメ、囲碁・将棋にスポーツ中継、更には紅白歌合戦にも手話を付けたい…なんて提案まであがっています」

「手話で楽しむみんなのテレビ」には、聞こえない・聞こえにくい人たちからだけでなく、聞こえる視聴者から「手話に興味を抱くようになった」という声も届いています。堀川さんたちの、“手話を通じてすべての人たちにテレビの楽しさを知ってもらえたら”という試みは、まだ始まったばかりです。

Eテレ「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」手話つき放送
前編 2月4日(日)午後3時45分〜
後編 2月11日(日・祝)午後3時45分〜

「NHK福祉情報サイト ハートネット」で、ドラマ「デフ・ヴォイス」の見どころ、俳優インタビューなどを、手話で紹介しています。

Eテレ「手話で楽しむみんなのテレビ
NHKの人気番組を“手話”でも楽しみたい!そんな声に応えるシリーズ!
表現豊かな手話に誘われ、バラエティから、美術、自然、紀行、心温まるヒューマンドキュメント、そして社会問題を鋭くえぐる硬派な調査報道まで、ありとあらゆる番組を旅する。更に、アバンギャルドな実験的手話番組にも挑戦! 新たな放送文化を切り拓く!!

デフ・ヴォイス もう1つの物語 ろう・難聴・聴 共演の舞台裏
  [Eテレ] 2月4日(日)   午後2時45分~3時45分  
約20人のろう・難聴者が出演し、聴者と共に作り上げた「デフ・ヴォイス」。作品にどのような思いが込められたのか、舞台裏に密着する番組。