NHK放送博物館の川村です。日本の放送100年の歴史、今回は実況中継黎明期の物語についてお話します。


今年のプロ野球日本シリーズは、59年ぶりの関西対決ということで関西を中心に大いに盛り上がりました。テレビ・ラジオを通じて阪神タイガースの日本一に歓喜された方も多かったのではないでしょうか。実は野球中継の歴史は古く、日本初の実況中継は、ラジオ放送開始から2年後の1927年8月13日に行なわれました。

その放送は「第13回全国中等学校優勝野球大会」の実況中継で、これは現在の「全国高等学校野球選手権」、つまり夏の甲子園でした。会場はもちろん阪神タイガースのホームグラウンド「阪神甲子園球場」。日本初の野球中継は甲子園球場から放送されたのです。そして、日本初のスポーツ中継でもあったのです。

1927年8月13日の大阪中央放送局ラジオ番組確定票

中継は大阪中央放送局の制作で、関西地方に向けたローカルで放送されました。この当時はまだ全国放送ではありませんでした。もっともこの時点で開局していたのはまだ東京・名古屋・大阪の3局だけでした。

さて、番組表を見ると番組名の前に「甲子園無線連絡放送開始」という表記があります。この聞き慣れない「無線連絡」という単語は、「中継」のことです。当時はまだ、中継という言葉が使われていなかったことがわかります。

NHKアーカイブスで保存されている写真を見ると、当時の実況席はネット裏の最前席にありました。実況の音声は甲子園球場から500Wの送信機で発信し、天王寺に設けられた臨時中継所を介して上本町送信所まで有線で送られたのち、電波に乗せられました。

日本初の実況を担当したのは大阪中央放送局の魚谷忠アナウンサーでした。「20世紀放送史」(日本放送協会 2001年)によると当日の実況の様子は主催者である大阪朝日新聞の紙面で紹介されたとあります。当初、甲子園球場を所有している阪神電車は、中継によって来場者が減るのではないかと難色を示したそうですが、主催の朝日新聞社の中から「これからはスポーツの大衆化に貢献すべき」という放送積極論がおこり、実況中継が実現したそうです。


こうした野外での中継のためにさまざまな機材も開発されました。その一つがこちら、パラボラ型集音機です。  

         

こちらは現在公開していませんが、当館の所蔵品のひとつ。アンテナのような巨大なパラボラを備えたマイクの一種です。構造的にはパラボラの中央にマイクロフォンが取りつけられていて、お椀状のパラボラで集めた音声を中央のマイクが拾う仕組みです。1933年に名古屋中央放送局が開発したもので、1935年6月に行われた「鳳来寺山のブッポウソウ」の生中継で使用され、その能力を大いに発揮しました。この成功によって、その後東京や大阪でも集音器が開発され、スポーツ中継をはじめとした屋外の中継に活躍しました。中にはこんな不思議な形をした集音器も開発されました。 

             

こちらの細長い装置は「管状位相型集音機」といい、遠く離れた場所の音を拾うためのもので、マイク本体はこの装置の根元部分に取り付けて使用します。こちらも現在は非公開ですが、当館の収蔵品です。雅楽で使う「笙(しょう)」のように、長さの違う細い管が何本も束になって構成されています。この管を通して遠くの音声を拾えるようになっています。集音機としては先ほどのパラボラ型のものがよく知られていますが、こちらは指向性が鋭くて音質が良かったため劇場中継や屋外での実況収録などに使われました。

さて日本のラジオ黎明期の中継放送として大きな節目となったのが、1928年11月6日に放送された昭和天皇の即位大礼の実況放送です。        

皇居を出発した天皇・皇后の車列 1928年11月6日

昭和天皇の即位の大礼は11月10日に京都御所で行われましたが、この日は即位式のために皇居を出発して東京駅まで移動する車列の実況中継が特別放送として行われました。この時の模様が前掲の「20世紀放送史」に書かれています。以下一部を引用します。

「午前7時に宮城(きゅうじょう:皇居)を出た天皇・皇后の馬車列は、東京駅へ向かった。東京中央放送局は、沿道に据えた集音用マイクで馬蹄の響きをとらえ、警視庁付近の天幕の陰から松田義郎(注:当時のアナウンサー)が予定原稿を読みあげた。東京駅頭の模様は愛宕山のスタジオから中村茂(注:同じくアナウンサー)が、同様に予定原稿を読み上げた。」

このようにこの中継では現場を見たまま伝えるのではなく、現場の音声に予定原稿のアナウンスを乗せるというものでした。

即位式関連の特別放送はその後連日続き、11月10日の京都御所での即位式の中継でクライマックスを迎えました。

京都市内でのJOBK中継現場風景 1928年11月

即位式の中継は大阪中央放送局が担当しました。この日は即位式の模様だけでなく、京都市内で行われた市民による祝賀会の様子も中継されました。

大礼関連の特別放送は、この後名古屋中央放送局により20、21日の両陛下の伊勢神宮参拝の模様を中継したほか、帰京までのおよそ1か月近くにわたり当時の3放送局が総力を挙げて行いました。そしてこの年、ラジオの契約数は飛躍的に伸びています。即位の大礼というビッグイベントがこの国のラジオの普及に大きく影響したことがわかります。その背景には「実況中継」という放送ならではの大きな機能が貢献したのです。