スポーツ中継の優勝者インタビューは事前の打ち合わせもなく、誰になるのかも分かりません。しかも国際大会で外国人となると格段に難易度が増します。

1988年、雪の札幌・宮の森ジャンプ競技場、表彰台の真ん中にその男は立っていました。スキージャンプのスーパースター、フィンランドのマッティ・ニッカネンです。この年のカルガリー五輪で90メートル級・70メートル級・団体金メダルの三冠王で〝鳥人〞とも呼ばれていました。そのニッカネンが国際大会で札幌にやって来たのです。長身で色白、甘いマスクの25歳。事前取材では口数が少ない印象でした。

この日も楽々と勝利を収めました。私の役目は優勝者インタビュー、外国人の場合、スキー連盟やボランティアが通訳を担当します。ニッカネンの優勝は予想通りで準備していた通訳が4人、私とニッカネンの間に割って入りました。隣の人に「通訳の方ですよね?」と聞くと笑顔で「そうです」と返ってきましたが、私には「???」が残りました。ほどなくインタビューを開始。

私が隣の通訳①に「おめでとうございます 」と向けてからようやく、通訳四人態勢の構図がのみ込めました。通訳①「日本語→英語」、通訳②「英語→フィンランド語」、通訳③「フィンランド語→ニッカネンの地域の方言」、通訳④「ニッカネンの地域の方言→ニッカネンの親友」という構図だったのです。2人目まではよくあるパターンですが、4人目が想像できませんでした。ニッカネンは超シャイで五輪のような大きな場は別として、基本的にはインタビューには応じず、ふだんも親しい友人としか話をしないのでした。勝因を聞いたあと、札幌の印象を聞いた程度にもかかわらず、チーフプロデューサーには長すぎるとお叱りを受ける惨敗でした。

五輪で聞いた「フィンランドの若者、マッティ・ニッカネン! 恐れるものはなし!」という先輩の金メダル実況が耳に残っていましたが、私にとってニッカネンは「恐るべし!」でした。

(おのづか・やすゆき第1金曜担当)

この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2023年9月号に掲載されたものです。

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