NHK放送博物館の川村です。長かった猛暑の季節も終わりいよいよ秋本番です。秋といえば「読書の秋」や「芸術の秋」など、じっくりと知識を豊かにする季節ではないでしょうか。そこで今回は少々強引ですが「学びの秋」にちなんだ放送のお話です。

ラジオ放送は今から約100年前に始まりましたが、その本放送開始とほぼ同時にスタートした番組があります。それがラジオ英語講座です。初代東京放送局総裁だった後藤新平が放送に望んだ4つの役割の2つが「文化の機会均等」と「教育の社会化」でしたが、英語講座はまさにその重要な放送の機能の一つとして登場しました。

1925年7月20日の番組表 英語講座がこの日最初の番組だった

本放送が始まってから8日後の7月20日午前8時、記念すべき第1回の英語講座が放送されます。初回の講師は岡倉天心の弟で英語学者の岡倉由三郎でした。当時の番組表によると放送は月曜日から土曜日までの6日間で一つの英文の作品を扱い、作品ごとに担当講師が指導しました。このため翌週27日以降は別の講師の担当となっています。
この英語講座では番組開始時からテキストが発行されていました。いわゆる複数のメディアを融合した日本で初めての「メディアミックス」でした。

1925年秋季講座版 ラジオ英語講座のテキスト(当館収蔵品)

テキストを見るとかなり長い構文が続いていて、初心者にとってはかなりレベルが高かったのではないでしょうか。ただ岡倉の講座は毎回講座の初めにユーモラスな小話をしてから本題に入ったそうで、これが人気につながったといわれています。こうして始まったラジオ英語講座は講座番組のパイオニアのひとつであり、現在に至るまで人気講座として続いています。 

秋季講座のテキスト 当時は長文の講読が講座の基本だった

実は日本のラジオ放送では試験放送の時代から講座番組が数多く編成されていました。前掲の番組表の中にも「英語講座」のほかに「通俗科学講座」「趣味講座~魚情の話」という番組があり、短い一日の放送時間の中で講座番組が3本も放送されています。ちなみにこの第1回の英語講座に続いて放送された「通俗科学講座」の講師は、先ほどご紹介した「文化の機会均等」と「教育の社会化」という放送への抱負を語った初代東京放送局総裁の後藤新平でした。この時の講座には「我が国民性と科学」というタイトルがつけられていました。なお「通俗」とは「わかりやすい」「一般向けの」といった意味です。

「通俗科学講座」第1巻(1927年 日本ラジオ協会発行)  放送の後、後年になって当時放送した内容を再掲した冊子 全3巻として発行された

余談ですが「魚情の話」とは一体どんな話だったのか気になります。調べたところ、この番組の講師は「丸山久俊」という人でした。丸山は島根県の浜田水産学校(現島根県立浜田水産高等学校)の初代校長で、日本海有数の好漁場である「大和堆」を発見した人物です。つまり「魚情の話」は水産資源の現状について講義をしたのではないかと思われます。

こうした講座番組は芝浦の仮放送所時代から行われており、「家庭講座」や「宗教講座」が放送開始約2か月後から始まっています。同時に「栄養料理献立」という番組も始まっており、こちらは今の料理番組の原型のようなものでした。

さらに本放送が始まると「科学講座」「文芸講座」「趣味講座」「婦人講座」など20前後の講座が次々に登場します。先ほどの「魚情の話」のように産業に関する講座番組もありました。次の画像は1933年に静岡放送局が制作・放送した「郷土水産講座」のテキストです。番組は月1回、1年間で13回放送されました。この冊子は放送の際には発行されていなかったので正しくはテキストとは異なりますが、放送内容が水産関係者に役立つものだったことから、静岡放送局の放送原稿をもとに放送終了後の1934年に静岡県水産会が発行したものです。

講座の内容は県内の水産業の現況や、様々な漁法、駿河湾で生息する魚種の解説などを、県知事をはじめ研究者や漁業関係者が講師となってラジオを通じて講義しました。

このように講座番組の中にはローカル局制作のものもありました。
ラジオが一般に普及していくと、講座番組はいよいよ百花繚乱の時代に入ります。先ほど少し触れましたが、料理番組は英語講座と同じくラジオ放送開始直後から放送されています。ただ当初は料理番組といっても現在放送されているような調理の実演を行うわけではなく、献立を読み上げる程度の内容でした。当時の番組表には午前中の早い時間に「料理献立」という名の番組が組まれていたことがわかります。

当館にはこの番組で紹介した献立をまとめたテキストも保存されています。このテキストは1925年の放送開始から1年間に放送された献立300種類のレシピと作り方をまとめたもので、冒頭には家庭の主婦が日々の献立を考えるうえで役に立てるように、といった番組の主旨が掲載されています。ではこの当時の料理番組のレシピはどんなものだったのか、ごく一部ですがご紹介します。           

「四季の料理」番組としての「料理献立」で紹介したレシピ1年分をまとめた冊子(1927年 日本放送協会関東支部編 日本ラジオ協会発行)

このメニューを見ると「天ぷらの煮込み、しぼり柚子」(天ぷらといっても魚をラードで揚げる!)「鰻の北海道煮」(鰻を輪切りにして昆布で煮る!)など今ではいったいどんな料理なのか全く想像のつかない斬新な創作料理のレシピが並んでいます。メニューは和食に限らず洋食やデザートまで多彩です。中には「ご飯のパンケーキ」(米粉ではなく小麦粉と炊いたご飯を材料にしたもの)なるものも紹介されていて、何じゃこりゃ?という驚きのレシピが登場しています。とはいえ日々の献立に頭を悩ませていた当時の女性にはこうした番組はありがたい存在だったのかもしれません。

そして「趣味講座」は文化・芸術・スポーツなど内容が多岐にわたり、実に様々な講座が開講し、テキストも増えていきます。ここからはそのラインナップの数々を画像でご紹介します。

「家庭大学講座~彫塑について」(1930年) 
講師は彫刻家の朝倉文雄だった
▲▼「水泳講座」(1936年)写真や図解で詳細な解説が書かれている
ラジオで学ぶ「アマチュア写真講座」テキスト(1935年)
放送を聞きながらテキストで構図やアングルなどを視覚的に学ぶ
▲▼「家庭大学講座~女性のための哲学」(1931年)

これらはまだまだほんの一部です。このほかにも「舞踊講座」「釣り講座」「スケッチ講座」などありとあらゆる講座がラジオから流れていました。最後にご紹介した「女性のための哲学」は、当時哲学という学問を簡単に学べる環境になかった女性のために、大学で学ぶような知識と教養を身につけてもらえるようにとはじまった講座でした。同様の女性向けの講座は「婦人講座」というタイトルで始まったもので、その後「家庭大学講座」と番組名は変わりましたが、美術などの芸術や文学といった文化的なものから医学や天文学など科学的なものまでその内容はあらゆる分野に及んでいました。大正デモクラシーの下で女性の権利が認められ始めた時代の空気が感じられます。
今から約1世紀前に始まったラジオはこうして今に至るまで、いつでもどこでも人々の知的好奇心を刺激し続けているのです。 


コラム「放送百年秘話」は、月刊誌『ラジオ深夜便』にも連載しています。
第7回は、12月号(11月17日発売 定価420円)に掲載。