『どうする家康』第36回「於愛日記」で、家康の3人目の側室・於愛(広瀬アリス)が亡くなった。
心から慕っていた前夫を亡くした悲しみを、偽りの笑顔で隠してきた於愛の人間ドラマが遺憾なく描かれた回だった。

これを受けた「どうする家康ツアーズ」では、広瀬アリスが登場したために前4話より注目されるコーナーとなった。たかが“おまけ”、されど“おまけ”のコーナーだ。その奥深さをデータで検証する。


「どうする家康ツアーズ」の明暗

大河ドラマには、本編の後に紀行コーナーがある。
『太平記』(1991年)より始まったとされているが、物語ゆかりの地を映像とともに巡礼するミニ解説は、ドラマの余韻を楽しむひと時となっている。

「於愛日記」および前4話紀行コーナーの視聴率推移を比較してみよう。
基本的に本編の後の次回予告でやや視聴率は下がり、紀行コーナーでもう一段の下げがある。本編および次回予告には関心があるが、紀行コーナーのうんちくは不要という視聴者が一定数いるからだ。
またコーナー後の番宣では、さらに大きく数字を落とすのが一般的だ。

ところが「於愛日記」はいつもと違った。
五社神社(静岡県浜松市)と宝台院(静岡市)が登場したが、前4話紀行コーナーのようには率が落ちなかった。
平均的にはコーナー冒頭からの下落幅は0.2~0.3%台となるが、「於愛日記」では逃げる人が半分ほどで済んだ。

要因は本編とコーナーの関係性にある。
まず大きいのは、本編の俳優がコーナーにも登場するか否か。単にゆかりの地紹介にとどまらず、俳優の魅力で見せる演出が一般的には強い。

次に本編物語の魅力がコーナーにどうつながっているか。
「於愛日記」では、かつて徳川家を翻弄した武田の忍び・千代(古川琴音)を、鳥居元忠(音尾琢真)がひそかに側に置いていたことが発覚。真意を問われた千代が、最後まで自らの本心を偽り、元忠をかばう姿が自らも本心を偽ってきた於愛と重なった。

於愛の助言で、家康(松本潤)も千代に恨みはなく、正式に妻にするよう元忠に申し渡す。
本編メインは、お互いの存在が救いになり、かつての悲劇から於愛も家康も穏やかな心を取り戻していたと展開した。

この後に続いた「どうする家康ツアーズ」。
この日のメインとなった於愛ゆかりの地を、演じた広瀬アリスが巡ったことで、人間ドラマの余韻が見る者にしみじみ伝わった。


「はるかに遠い夢」との違い

ただし7月2日放送の第25回でのコーナーとは大きな差が生じた。

数字で比べると、約1分半の中で視聴率が緩やかに落ち続けた「於愛日記」に対して、「はるかに遠い夢」の紀行パートは冒頭で一旦落ちたが、その後は視聴率が上がり続けたのである。
本編および次回予告の終了で一定数が一旦逃げたが、紀行パートに入ると流出する視聴者より流入する人の数が上回り続けた。
それだけ紀行が魅力的だったのである。

実は「はるかに遠い夢」は、戦のない理想の国作りを果たせなかった瀬名(有村架純)が自害する悲しい回だった。
必死に自害させないようとする家康に頑なに従わない瀬名。家康の身を慮っての決意だった。
気高く崇高な佇まいのまま死を選んだ瀬名に対して、「弱虫泣き虫鼻水垂れ」に塗れた松本潤の演技は、一層の悲しさを醸し出していた。

これを受けた「どうする家康ツアーズ」。
壮絶な演技を続けた2人が、穏やかに瀬名最後の地・佐鳴湖畔を尋ねた。
歴史の解説は最小限で、2人の顔のアップや会話がふんだんに使われた。視聴者が深い悲しみの余韻に浸るには完璧な1分半だった。

残念ながら、これと比べると「於愛日記」には弱点が散見された。
まず1分半の配分だ。ゆかりの地や記録の映像が多めで、逆に広瀬アリスの映像や発言が少なかった。
さらに本編終盤に茶々が登場し、北川景子が快演してしまった。次回以降を見てもらうための演出であることは明白だが、これにより本編メインの人間ドラマと、その余韻となるはずの紀行パートが分断されてしまった。

もちろん次回以降を見てもらうことが大切で、所詮「どうする家康ツアーズ」はおまけかも知れない。
どちらが良い悪いではないし、実際に放送後のSNSでは、北川景子再登場で大いに盛り上がった。制作陣の狙いは的中したと言えよう。

ただし番組は少しのさじ加減で視聴者の感動は変化する。
正室だった瀬名と3人目の側室の於愛とでは、重みも違うのかも知れない。それでも3人目の側室ならではの人間物語に惹かれた視聴者も少なくなかったはずだ。於愛の人間ドラマに徹する道もあったのではないだろうか。

テレビ番組はデリケートだ。すべての狙いを実現することは出来ず、制作陣はどれか1つを選び、他を捨てざるを得ない。

本編終盤での茶々(北川景子)の騒がしい登場と、紀行パートの少し普通な構成は残念と言わざるを得ない。
『どうする家康』は例年の大河と比べると、人間ドラマを厚くしたユニークな存在だ。そのために、本編と紀行パートの関係も見え方が違っている。

読者の皆さんなら、茶々(北川景子)の登場により、本編における於愛の人間ドラマと紀行パートが分断された点をどう思われるだろうか。
ぜひ再放送などで、もう一度味わって頂ければ幸いである。

愛知県西尾市出身。1982年、東京大学文学部卒業後にNHK入局。番組制作現場にてドキュメンタリーの制作に従事した後、放送文化研究所、解説委員室、編成、Nスペ事務局を経て2014年より現職。デジタル化が進む中で、メディアがどう変貌するかを取材・分析。「次世代メディア研究所」主宰。著作には「放送十五講」(2011年/共著)、「メディアの将来を探る」(2014年/共著)。