「神は細部に宿る」という言葉がある。

「細かい部分までこだわり抜くことで、全体としての完成度が高まる」と一般的には解釈されている。
まあ、「優れた作品は、ディテールも良く出来ている」くらいの意味だろう。

瀬名(有村架純)と信康(細田佳央太)が自害した第25話「はるかに遠い夢」は神回だ。
信長(岡田准一)を欺いても二人を逃がそうとする家康(松本潤)だったが、二人は徳川を守るために自害する。そのやりとりと登場人物たちの心の彩の描き方が優れており、視聴者は何度も涙せざるを得なかった。

しかも優れた物語は、番組終了後の紀行パート「どうする家康ツアーズ」までもが秀逸だった。


信長を欺く作戦

インテージが測定する15秒毎の視聴データで、25話が如何に神回だったのかが実証された。
流出率データという、その瞬間に番組視聴を止めた人がどの程度いたのかを測定したデータである。

まず圧巻だったのは、家康が信長を欺くことにしたシーン。
瀬名と信康は処分を申し出たが、家康は処分と見せかけて替え玉を用意し、信長には自害してもらうと報告した。
一連のシーンは、直近の4話と比べても0.1%以上流出率が低く推移した。国と妻子の両方をどう守り切るのか、家康の判断と登場人物たちの行動に多くの視聴者が注視していた。

一連のシーンには、役者による迫真の演技が花を添えた。
例えば信康が岡崎城を離れる際の五徳(久保史緒里)との最後のやりとり。
信康「いつでも織田家に戻るが良い」
五徳「いつでもどこに行こうと、岡崎殿と呼ばれとうございます。お許し頂けますか」
信康「もちろんじゃ」

笑顔の信康に対して、胸騒ぎがするのか五徳の顔は曇る。


信康の自害まで

ところが瀬名と信康は、二人を救おうとする家康の考えに従わない。
信康を逃がそうとした服部半蔵(山田孝之)は、失敗に終わったと報告した。信康自身に逃げる気がないためのしくじりだった。

瀬名が築山を出るシーンは、前半で最も流出率が低くなった。
かつて家康が彫った兎を持参して出発しようとする瀬名に、石川数正が声をかける。
「どうか殿のお指図通りに」
含みを持った笑顔で応える瀬名だった。

そして佐鳴湖畔
半蔵たちが用意した替え玉の女を瀬名は帰らせてしまった。
瀬名は湖に向かって正座し、鋭い目つきで女大鼠(松本まりか)に介錯を頼む。女大鼠は兵の刀を盗み取り、瀬名に斬り付けようとしたところで鳥居元忠(音尾琢真)に制止された。
ここが信康自害までの一連での重要なステップとなった。

場面変わって信康幽閉の館。
家康の命に従わない信康を説得しようとする半蔵との会話も出色だ。
信康「母上がお逃げになってからというたはず」
半蔵「お方様はお逃げになられました。殿が直々に説得されました」
信康「忍びのくせに、嘘が下手じゃのう」

半蔵は家康同様に信康に忍び扱いされたことと、切り札として出した嘘が見破られ、得も言われぬ苦渋の表情を見せた。
信康「ご自害なさったのじゃな」
半蔵「すべては若殿に生き延びて頂くためでござる」

結局、半蔵たちに従うと見せかけ、家臣の刀を奪い信康は果てた。
最期は刀を振り上げながら落涙した半蔵が介錯した。


視聴者が最も注目したシーン

実は最も流出率が低かったのは、武田家でのシーンだった。
千代(古川琴音)から二人の自害を聞いた勝頼は「誠か」と一言。
千代は返事をせず、一礼をして立ち去ろうとする。
「どこへ行く」と止める勝頼。
振り向き、絶望と侮蔑の色を滲ませ一礼するのみの千代。この瞬間が第25話で流出率が断トツで最低となった。

「人でなしじゃな、家康は…」
瀬名たちの理想を裏切り、それを利用しようとした勝頼の一言が天唾のように響く。
前回見せられた瀬名たちの計画を「戦国の世に、こんな理想論はあり得ない」と感じた視聴者の批判と、「人でなし」の言葉が重なって聞こえた。
かくゆう筆者も、千代の表情に身の竦む思いをした一人だった。


弱虫泣き虫鼻水垂れ

終盤は視聴者も「弱虫泣き虫鼻水垂れ」に塗れた10分だった。

家康が佐鳴湖畔の瀬名の元にやってきた。
生き延びるように説得するためだった。ところが瀬名は翻意しない。
瀬名の父母からの言葉「いつか大切なものを守るために命を懸ける時が来る」があったからだ。
「今がその時なのです」

説得できなかった家康は、瀬名を抱きしめ嗚咽する。
「相変わらず、弱虫泣き虫鼻水垂れの殿じゃ」
ここで瀬名は、かつて二人で逃げ出しこっそり静かに暮らそうと話した時のことを語る。
「あれがたった一つの夢でございました」
その夢の実現が、慈愛の国計画だったが、はるかに遠い物語で終わってしまった。そして城に戻るように促し、本多忠勝(山田裕貴)と榊原康政(杉野遥亮)に命ずる。
「殿と共に、そなたたちが安寧の世を作りなさい」

最後に瀬名は家康に木彫りの兎を手渡す。
「兎は狼よりずっとずっと強うございます」
信長に勝る家康を示唆したのだろう。つないだ家康の手に瀬名は頬を寄せ、祈るように語る。
「あなたならできます」
まるで母親が子を諭すような場面だったが、一連のシーンでの有村架純の表情の変化は白眉としか言いようがない。

もう一つ圧巻なのが、直後の家康の顔。
「弱虫泣き虫鼻水垂れの殿」がこれ以上ない表情となった。
『どうする家康』で松本潤が見せた弱い家康の演技は数々あったが、この1カットが至上の演技だった。役者の真価を見せつけた瞬間だった。

しかも家康は、舟を出した後も「弱虫泣き虫鼻水垂れ」だった。
二人が出会ってから今までの思い出がフラッシュバックし、瀬名の言葉にたどり着く。
「いつか必ず、取りに来て下さいませ。殿の弱くて優しいお心を。瀬名はその日を待っております」
その心の象徴が、木彫りの兎だった。

かくして家康は、舟から湖に飛び込んだ。
「こんなのは間違っておる」と叫び、瀬名の元に駆け寄ろうとする。
覚悟が定まらない家康を見て、瀬名は自害した。
家康がやはり家康であることを見届け、得心したような笑みを浮かべた後に自ら首に刃をあてた。
介錯した女大鼠は、地に頭をすりつけ、任務を全うできなかったことを謝罪した。

家康の絶叫。
ラストカットは、雄雛を残し雌雛だけが乗った花一杯の舟を模した籠だった。


紀行パートまでも秀逸

以上のように今回は、過去4話と比べ流出率が下回る瞬間が幾つもあった。

そして、もう一つ。
本編の後の紀行パート「どうする家康ツアーズ」も、最も流出率が低くなった。

原因の一つは、第25話の山場となった瀬名自刃の佐鳴湖畔が舞台となったから。
しかもここに、松本潤と有村架純が訪ねて来た。これまでも松本潤は同パートに7回ほど登場していた。一方で有村架純は初登場だ。キーマン二人の登場で、NHKから離れようとしていた視聴者の一部が思いとどまったようだ。

実はこうした現象は、既に確認されている。
朝ドラの後の『あさイチ』だ。ドラマの登場人物が、そのまま生放送に出演すると、『あさイチ』の視聴率は上昇する。通勤通学のために家を出ようとしていた人が出発を遅らせたり、家事を始めようとした主婦たちが仕事を後回しにしたりするからだ。

しかもこの傾向は、ドラマ部分の盛り上がりと出演者に大きく関係した。
ドラマが感動的な展開となり、そのシーンに出ていた人気俳優がそのまま登場すれば、視聴率の上げ幅は大きくなっていたのだ。

その意味で、第25話は紀行パートも最上の出来となった。
本編終盤の最大の山場で最上の演技を見せた二人が、素の顔に戻り縁の地を訪ねた。しかも単なるコメントバックとして登場したのではなく、自然な会話がふんだんに使われた。
視聴者はいつもの紀行パートの情報だけでなく、感動的な物語の余韻も堪能できたのである。

「神は細部に宿る」
例年の大河と比べ、弱々しい主人公に違和感を持った視聴者が確かにいた。
ところが今回の大河は、典型を廃して歴史上の偉人の人間性にスポットを当てた。その人物の描き方が、一つの頂点に達したのが神回と言われる第25話だった。
その感動は木彫りの兎に心を象徴させるなど、登場人物の描写が細部に渡って絶妙だったからだ。

かくしてターニングポイントを迎えた家康。
いよいよ天下に向けてどう進化していくのか。そして人間性の変化もどう描かれていくのか。
等身大の歴史物語『どうする家康』から、いよいよ目が離せなくなってきた。

愛知県西尾市出身。1982年、東京大学文学部卒業後にNHK入局。番組制作現場にてドキュメンタリーの制作に従事した後、放送文化研究所、解説委員室、編成、Nスペ事務局を経て2014年より現職。デジタル化が進む中で、メディアがどう変貌するかを取材・分析。「次世代メディア研究所」主宰。著作には「放送十五講」(2011年/共著)、「メディアの将来を探る」(2014年/共著)。